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▼ 案内 シンポジウム、例会関西東海四国

 2010年 7月27日 改訂

1,古賀達也の洛中洛外日記 '10を連載

 270話271話を、new272話を公開

2,古賀達也の論文を掲載new

九州王朝の筑後遷宮 高良玉垂命考(『新・古代学』第4集)
「日出ずる処の天子」の時代ーー試論・九州王朝史の復原(『新・古代学』第5集)
八女郡星野村行(『新・古代学』第6集)

3、『邪馬壹国の論理』ーー古代に真実を求めて
古田武彦(ミネルヴァ書房) の抜粋を改訂して見本として掲載。

4、『盗まれた神話』ーー記・紀の秘密
 古田武彦(ミネルヴァ書房) の抜粋を見本として掲載。

5、『失われた九州王朝』 天皇家以前の古代史
 古田武彦(ミネルヴァ書房) の各章の第一説を見本として掲載

6、巻頭対談虹の架け橋 ロンドンと京都の対話
 森嶋通夫・古田武彦(『新・古代学』第4集)を掲載

7、『「邪馬台国」はなかった ーー解読された倭人伝の謎』
 古田武彦(ミネルヴァ書房)の各章の第一節を見本として掲載

 


お知らせ
『東日流[内・外]三郡誌 ーーついに出現、幻の寛政原本!』は、発刊されました。

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古賀達也の洛中洛外日記
第270話 2010/07/10

伊予の「紫宸殿」

 
 7月3日、四国松山市での古田史学の会・四国主催講演会で、「九州王朝の瀬戸内巡幸−太宰府・越智国・難波−」というテーマで講演してきました。ご同行いただいた正木裕さんは、大阪で行われた「禅譲・放伐」シンポジウムの報告をされました。
 今回の発表の論証と史料根拠のポイントは、厳島縁起や『豫章記』『伊豫三嶋縁起』、風土記逸文「温湯碑」に記された、九州王朝の天子多利思北孤の時代の九州年号「端政」「法興」の分布状況や伝承の存在です。そして、西条市・今治市などの旧越智国が太宰府と難波を結ぶ海上交通の要の地であるという点から、この地が九州王朝にとって重要な地域であったことを明確にできたことです。
 そしてそれらの「論理的帰結」として、西条市(旧東予市)に現存する「紫宸殿」という字地名の新理解(作業仮説)を提起しました。この地に「紫宸殿」地名があることを今井久さん(西条市・古田史学の会会員)が「発見」され、『古田史学会報』98号で紹介されたのですが、その時点では、「紫宸殿」地名の歴史的由来や伝承も無いので、どのように捉えるか判断できずにいました。
 しかし、松山市に向かう特急の中で正木さんとディスカッションするうちに、『日本書紀』天武12年条にある副都詔、都や宮室を二つ三つ造れと言う詔勅と関わりがあるのではないかと考えるに至ったのです。もちろん、現段階では作業仮説に留まりますが、九州王朝が出した副都詔とすれば、副都の前期難波宮を筆頭に他の地にも造られた宮室の一つが、旧東予市の「紫宸殿」とは考えられないか。そのように思っています。今後の考古学的調査が期待されます。
 ちなみにこの「紫宸殿」と、「白雉二年奉納面」を所蔵している福岡八幡神社は、そう離れてはいませんし、北方には永納山神籠石山城もあります。このように、九州王朝との強い繋がりを感じさせる地に「紫宸殿」は位置しているのです。講演会の翌日に、合田さんと今井さんのご案内で現地を視察しましたが、この感をますます強くしました。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第271話 2010/07/11

「紫宸殿」「内裏」地名研究の課題と可能性

 第270話で、「『紫宸殿』地名の歴史的由来や伝承も無いので、どのように捉えるか判断できずにいました」と述べました。と言うのも、地名研究を歴史学に応用や利用する場合の難しさを感じていたからです。
  例えば、太宰府政庁跡にある「紫宸殿」「大裏(内裏)」という字地名は、古田先生による九州王朝説という体系的に成立した学説や考古学的遺跡の裏づけにより、ここに九州王朝の宮殿が存在していたという傍証力を有しますが、仮に他の地域にあった場合、そこに古代王朝の宮殿があったという論証力を地名自身は持ち得ないからです。
  すなわち、地名がいつ付いたのか、誰により付けられたのか、どのような歴史的背景を持つのかは一般的には地名自身からは不明です。したがって他の史料や伝承、考古学的事実に基づく個別の論証が要求されるのです。
  例を挙げれば、紀貫之が赴任した土佐の国府跡には「内裏」という字地名が残されていますし、大伴家持は越中の国府を「大君の遠の朝廷」と『万葉集』(巻十七・4011、巻十八・4113)で歌っています。これら地名や歌により、土佐や越中に王朝があったと言うことは学問上できません。都から派遣された国司が自らの赴任先の館を「内裏」と呼んだり、「遠の朝廷」と歌ったというケースを否定できないからです。
 ですから、伊予に「紫宸殿」という字地名があると今井さんが「発見」された時も、九州王朝や越智国の紫宸殿という魅力的な仮説に飛びつきたい衝動と同時に、土佐や越中と同じケースもあることが脳裏をよぎったのです。
 このように地名や地名研究を歴史学に利用する場合、多元史観に立つわたしたちはより慎重にならなければなりません。その点、九州や出雲は九州王朝・出雲王朝の存在が既に安定した学説として成立していますから、こうした多元史観に立った地名研究が、歴史学に大きく寄与できる可能性があります。地名研究の限界に配慮しながらも、新たな可能性にわたしは期待しています。

 

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第272話 2010/07/25

「竹斯國以東」の理解

 7月17日の関西例会では、偶然にも「磐井の乱」に関する発表が2件(野田さん、正木さん)、「隅田八幡人物画像鏡」に関する発表も2件(永井さん、水野さん)がありました。関西の研究者達の興味のありどころがうかがえる貴重な発表でした。
 その中でも「ハッとした」発表がありました。それは野田さんの発表で、継体紀に見える領土分割案の「筑紫以西」「長門以東」という「A以西」「B以東」という表記の場合、その以西や以東の範囲にAやBは含まれるのかという指摘でした。  従来は含まれると理解していましたし、継体紀のこの部分は文脈からも含まれると理解する他ありません。他方、『隋書』イ妥国伝にある「竹斯國より以東、皆イ妥に附庸す」の場合も、この以東に竹斯國が含まれると読まざるを得ないのですが、古田説ではイ妥王の都は竹斯國にあるとされていますから、都がある竹斯国がイ妥国に附庸されていることになります。   
 そうすると、「附庸」の意味が問題となります。仮に「支配」という意味で有れば、竹斯国より西にある都斯麻國(対馬)や一支國(壱岐)はイ妥國の範囲外となってしまいます。野田さんが指摘されたこれらの問題をどのように考えるべきか思案中です。   

 7月度関西例会の発表テーマは次の通りです。

〔古田史学の会・7月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 禅譲・放伐シンポジウムを聞いて・他(豊中市・木村賢司)

2). 年表づくりで気づいたこと(交野市・不二井伸平)

3). 瓶原と恭仁京(木津川市・竹村順弘)

4). 古代歌謡の年代分布(木津川市・竹村順弘)

5). 恭仁京と聖武天皇(木津川市・竹村順弘)

6). 古田武彦久留米大学公開講座と山口訪問(豊中市・大下隆司)

7). 「隅田八幡人物画像鏡」銘文の解釈とその意味(たつの市・永井正範)

8). 「磐井の乱」と「『隋書』のイ妥国」の考察(姫路市・野田利郎)

9). 磐井乱の虚構(川西市・正木裕)
  『書紀』継体二十一年「磐井の乱」記事中の磐井の非行への非難に具体性は無く、逆に磐井に遮ぎられたとされる近江毛野臣には、『書紀』に様々な非行が記され、磐井への非難根拠の殆どがあてはまる。また、磐井が六万の軍の将毛野臣を「使者」と云うのは不自然。毛野臣の、彼を半島から召還する「皇華の使=調吉士」に対する言に相応しい。以上『書紀』に記す、磐井討伐の根拠となる非行は、毛野臣の非行をすり替えたものと考える。
 更に、磐井討伐に派遣された物部麁鹿火が、大伴金村の祖先を讃えるのは不自然。『古事記』が「金村と麁鹿火の二人が派遣された」とするのが正しく、『書紀』は金村の言を麁鹿火の言に変えたと考えられる。これは本来対新羅戦で二人が半島に派遣された記事を、麁鹿火の磐井討伐譚にすり替える為の作為の一環ではないか。
 なお「近江毛野臣」は近江有縁の継体ゆかりの人物か、との考えを示した。

○水野代表報告  
 古田氏近況・会務報告・隅田八幡宮蔵画像鏡の検討・他(奈良市水野孝夫)

 
史料として古田史学会報82号まで公開しています。
 (一年ごとに順次公開)
 
 
 

講演会・総会

なし

 


 

集会案内

一度覗いてみて下さい。誰でも参加できます。(要、参加費)


古田史学の会・関西2010年 8月例会

期日

2010年 8月21日(土)
午前10時より午後5時まで

場所

大阪歴史博物館4階 第2研修室

地図はこちらにリンクしています。

地下鉄 谷町線・中央線「谷町四丁目駅」九番出口
(TEL06-6946-5728
場所の問い合わせのみにして下さい。)

 

報告

会員発表のみ。例は例会報告参照

なお学芸員による難波宮遺跡発掘報告は ありません。

参加費 実費負担

9月18日(土)は、
大阪市立総合生涯学習センター(第二ビル)
5階第3研修室 です。

例会は毎月原則として第三土曜日です。
連絡先 水野孝夫 TEL0742-44-1805

 



古田史学の会・四国 勉強会 第77回(2010/ 08月度)

期日

2010年 8月 7日 土曜日
    13:30-16:30

場所 松山市立北条ふるさと館 2階会議室
(愛媛県松山市北条別府995)
Tel: 089-993-3266
演題
と講師

1). 古田武彦氏の最新学説 ーー斉明天皇論
講師:合田洋一氏(古田史学の会・全国世話人)

2). 出雲大社の珍説
講師:岡田幸子氏(古田史学の会・四国 幹事)

3). 古田史学における出雲王朝論 その1
講師:山田裕氏(古田史学の会・四国 幹事)

  連絡先 089-931-2373(合田)
     089-992-3162(会長・竹田)

参加費 会員は500円、会友(非会員)1000円


古田史学の会・東海 例会

例会案内は古田史学の会東海のホームページでご覧ください。

 

 

 

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