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◎「古田史学」研究サイト@なんば.opu案内
大阪府立大学I-siteなんばまちライブラリーの交通アクセスはここから
開館時間: 月〜土 9:00〜21:00
       日・祝 9:00〜17:00

登録 受付時間:13:00〜20:45(火曜日〜土曜日、事務局員在)
まちライブラリー@大阪府立大学をご利用いただくには会員登録が必要です。
会員登録時に、ICカード実費として3,000円必要です。

住所:大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル3階まちライブラリー内
 アクセスは、南海電鉄難波駅 なんばパークス方面出口より南約800m 徒歩12分
 地下鉄なんば駅(御堂筋線)5号出口より南約1,000m 徒歩15分
 地下鉄大国町駅(御堂筋線・四つ橋線)1号出口より東約450m 徒歩7分です。

「古田史学」研究サイトの蔵書目録です。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第1300話 2016/11/27

和水町講演会で古代寺院調査を要請

 昨日の熊本県和水町での講演会は70名近くの町民の皆さんにご参加をいただき、盛況でした(主催:菊水史談会、平田稔会長)。久留米地名研究会の荒川恒光会長も見えておられ、旧交を温めました。
 正木裕さん(古田史学の会・事務局長)は、最初に九州王朝説の概要を話され、邪馬壹国の所在地が博多湾岸であること、倭人伝に記された傍国に肥後にあった国々が含まれるという仮説を発表されました。
 わたしからは九州王朝における肥後の役割として、古代の鉄や馬の産地であったこと、隋使がわざわざ肥後(阿蘇山)まで訪問していることから、九州王朝の天子・多利思北孤に次ぐ有力者(肥後の君、弟か)がいたことを説明しました。その上で、太宰府が日本最古の条坊都市であること、7世紀中頃には難波に副都(前期難波宮)を造営するに至ったことなどを解説しました。
 最後に、肥後には6世紀末から7世紀初頭の古代寺院があったとする伝承が残されており、地元の皆様で調査していただきたいと協力要請しました。
 肥後の古代寺院・神社について、史料に次の記録がありますのでご紹介します。
○山鹿郡中村手永 久原村の一目神社
 「当社ハ継体帝善記四年十一月四日高天山ノ神主祭之」(善記四年:525年)
○山鹿の日輪寺
「俗説ニ当寺ハ敏達天皇ノ御宇、鏡常三年百済国日羅大士来朝ノ時、当国ニ七伽藍ヲ建立スル其一ニテ、初メ小峰山日羅寺ト称シ法相宗ナリ」(鏡常三年:583年。『二中歴』では「鏡當」)
○上益城郡鯰手永 小池村の項
 「常楽寺飯田山大聖院  ・・・。寺記ニ云。推古帝ノ御宇、吉貴年中、聖徳太子ノ建立ト云伝ヘ・・・」(吉貴年中:594〜600年。『二中歴』では「告貴」)
○下益城郡砥用手永 甲佐平村の項
 「福成寺亀甲山  ・・・。推古帝ノ御宇吉貴元年、湛西上人ノ開基。」(吉貴元年:594年。『二中歴』では「告貴」)

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第1301話 2016/11/29

太宰府防衛の「羅城」跡が発見される

 今日は大阪市で開催の繊維応用技術研究会に出席しています。大阪府立産業技術総合研究所の山下怜子さんの講演「ニオイ可視化への検討:色素によるにおいのセンシングとその評価方法」の座長を仰せつかっています。色素の応用技術に関する研究報告ということもあって、楽しみな発表です。

 お昼休みに正木裕さん(古田史学の会・事務局長)のfacebookを見ると、太宰府を防衛する巨大土塁が筑紫野市から発見されたという本日朝刊の記事が紹介されていました。これはすごい遺跡が発見されたとスマホで関連ニュースを検索しています。
 熊本県和水町と福岡市で、太宰府を「日本最古の条坊都市」とする講演をしたばかりですから、このタイミングに不思議な縁を感じました。
 WEBニュースによれば、発見されたのは大宰府政庁の南東約7kmに位置する前畑遺跡で、南北に走る約500mの土塁とのこと。地図で見ると、東からの侵入に対して太宰府を防衛する位置にあり、ニュースでは白村江戦(663年)の敗北後に防衛施設として造営されたと説明されていますが、北の唐や新羅からの防衛施設とするには位置が不自然です。やはり九州王朝の都、太宰府条坊都市を取り囲む羅城の一部と思われます。
 今日は夜遅くまで学会の懇親会が予定されていますが、なるべく早く帰宅して、今回の発見について情報収集したいと思います。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第1302話 2016/12/01

11月に配信した「洛中洛外日記【号外】」

 

 今日は仕事で愛知県一宮市に来ています。夜の一宮駅のクリスマスイルミネーションがきれいでした。わたしのfacebookに写真を掲載しています。

 11月に配信した「洛中洛外日記【号外】」のタイトルをご紹介します。配信をご希望される「古田史学の会」会員は担当(竹村順弘事務局次長 yorihiro.takemura@gmail.com)まで、会員番号を添えてメールでお申し込みください。
 ※「洛中洛外日記【号外】」は「古田史学の会」会員限定サービスです。

 11月「洛中洛外日記【号外】」配信タイトル
2016/11/02 『多元』No.136のご紹介
2016/11/06 「黄葉」と「紅葉」
2016/11/19 文武天皇即位と大宝建元の年次差の謎
2016/11/26 『失われた倭国年号《大和朝廷以前》』の「巻頭言」執筆中
2016/11/29 『東京古田会ニュース』で『二中歴』論争

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第1303話 2016/12/01

倭国と日本国の「尺」

 11月27日に福岡市で開催した「古田史学の会」主催の講演会では問題意識の高い質問が参加者から出され、講演会後の懇親会も含めて成功裏に終えることができました。ご協力いただいた久留米大学の福山先生、「九州古代史の会」の方々、「古田史学の会」会員の犬塚幹夫さん中村通敏さん、そして参加された皆様に御礼申し上げます。
 その質疑応答で、太宰府条坊地割(一辺約90m)の「尺」とその後に地割された北部(政庁・観世音寺)の「尺」の違いについての質問が出されました。井上信正さんは前者を「大尺」、後者を8世紀初頭の「小尺」とされたのですが、わたしは九州王朝(倭国)の「尺」制度の変遷について研究中でもあり、1尺は約30cm程度としか答えられませんでした。
 太宰府条坊の一辺90mという実測値から、約30cmの「尺」で300尺という整数が得られることから、七世紀初頭の九州王朝「尺」は約30cmと考えてよいかもしれませんし、あるいは36cmであれば250尺となります。この点、引き続き調査検討が必要です。
 先日、京都の染色工場の経営トップの方と懇談する機会があったのですが、そのとき正倉院宝物のカタログを見せていただきました。それには東大寺の「緑綾几帯(みどりあやのつくえのおび)」が掲載されており、それに墨で次のような長さと年代が記されていました。

 「花机帯 長二丈三尺四寸 廣二寸五分 天平勝寶四年四月九日」「東大寺」

 解説には現在の実測値が「長六八二・〇 幅七・五」とあり、墨書の数値と実測値から計算すると、全長から1尺は29.145cm、幅からは30cmという数値が得られます。この計算値から、天平勝寶四年(752)時点の大和朝廷(日本国)の「尺」は1尺=29〜30cmだったことがわかります。ちなみに天平勝寶四年は東大寺の大仏開眼供養の年ですから、この帯はその儀式に用いられたものと思われます。
 この正倉院宝物カタログを見せていただいた方は草木染めの専門家で、愛子内親王が二十歳の宮廷儀式で着用される十二単(じゅうにひとえ)の天然染料を用いた染色を宮内庁から委託されているとのこと。その十二単に使用される生地は蓮糸(ハスの糸)で織られているそうで、それを天然染料(主に草木染)で復元することはかなり困難とのことでした。わたしも色素化学・染色化学のケミストの一人として、何かお手伝いできればと願っています。ちなみに、本日(12月1日)は愛子内親王15歳のお誕生日です。おめでとうございます。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第1296話 2016/11/12

パリの画家、奥中清三さんとの邂逅

 今日は四年ぶりに帰国されたパリの画家、奥中清三さん(古田史学の会・会員)と大阪でお会いしました。四年前は京都でお会いし、京都御所や相国寺、同志社大学をご案内したのですが、今回はI-siteなんばの図書館の古田武彦コーナーを正木裕さん(古田史学の会・事務局長)とご案内しました。
 奥中さんは44年前にパリに行かれ、モンマルトルでパリ市公認の画家として活躍されています。古くからの古田先生のファンで、邪馬壹国の「壹」の字をモチーフとした作品を数多く手がけられています。その中の一枚をお土産としていただきましたので、I-siteなんばの古田武彦コーナーに飾らせていただきました。わたしのfacebookにその写真などを掲載していますので、ぜひご覧ください。
 その後、大阪歴博や紅葉が美しい大阪城、難波宮址をご案内しました。古田先生没後の古田学派の状況や最新の研究動向についてもご説明し、長時間歓談しました。再会を約束し、固い握手を交わしてお別れしました。「朋あり、遠方より来る。また楽しからずや」の快晴に恵まれた秋の一日でした。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第1297話 2016/11/13

『九州倭国通信』に「条坊都市の多元史観」掲載

 今年から機関紙交流を始めた「九州古代史の会」から『九州倭国通信』No.183が送られてきました。5ページにわたり、拙稿「条坊都市の多元史観」を掲載していただきました。
 一元史観の文献史学研究者よりも、一元史観の考古学者の研究論文に九州王朝説を支持する考古学的事実が発表され始めたことを紹介し、中でも井上信正さんの太宰府条坊都市研究の論理性と画期性を解説したものです。
 今月26日(和水町)と27日(福岡市)で行う古代史講演会で、「日本最古の条坊都市 太宰府から難波京へ」というテーマでも詳しくお話ししたいと思います。特に九州の皆さんのご参加をお待ちしています。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第1298話 2016/11/16

権力者「出身地名」の広域化

 古代において、中国でも日本でも権力者の出身地(発生地)の地名が、その権力範囲の拡大に伴って広域化するという現象があります。
 たとえば近畿天皇家の場合は地方名称「大和(やまと)」が、そのまま日本国の別称となり。それから派生した「大和魂」とか「大和なでしこ」という言葉も作られました。もちろん「奈良県の魂」「奈良県の女性」という意味ではなく、「日本の魂」「日本の女性」を意味するわけです。
 それは九州王朝においても同様だったと思われます。九州内の地方権力者「生葉(浮羽)の臣」の場合でも、その出身地「うきは」は現在の福岡県うきは市ですが、「うきは」地名の淵源はうきは市の中の小領域「大字浮羽」です。このことを知ったのはわたしの本籍が以前は「浮羽郡浮羽町大字浮羽」だったからです。そこには古賀家墓地があり、父やご先祖様が眠っています。
 これが九州王朝の天子の場合はどうでしょうか。筑紫君磐井などに見られるように、九州王朝の天子・国王は「筑紫」という地名を冠しています。今の福岡県にほぼ相当する地域で、6世紀末頃には筑前と筑後に分国されています。これが『日本書紀』編纂の時代になると「九州島」を「筑紫」とする表記例が現れます。この傾向は中世にも引き継がれ、「筑紫」地名が広域化します。
 逆に「筑紫」地名の淵源をたどりますと、現在の筑紫野市に「大字筑紫」「字筑紫」がありますので、権力者「出身地名」が広域化するという現象からすれば、九州王朝の淵源の地がこの「字筑紫」だったということになります。当地の近隣には筑紫神社(筑紫野市原田)もありますから、まさに「筑紫の中の筑紫」という地域です。
 その観点からすれば、古田説では九州王朝は天国領域(壱岐・対馬など)から天孫降臨で糸島半島に侵攻した勢力ですから、その淵源は天国領域か、せめて九州島内では糸島博多湾岸の地こそ「出身地」と称すべきです。ところが「筑紫君」を自称していますから、糸島博多湾岸よりも内陸部に位置する「筑紫」を淵源とすることを主張しています。この不思議な現象について、その理由はまだよくわかりませんが、おそらくは九州王朝発展史にその理由があることでしょう。九州王朝はどうしても「筑紫」を名乗りたかった、そう考えるほかありません。近世でも尾張出身の秀吉が一時期「羽柴筑前守」を名乗ったように。この小領域「筑紫」の謎は今後の研究テーマです。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第1299話 2016/11/19

天武朝(天武14年)国分寺創建説

 本日の「古田史学の会」関西例会はいつも以上にエキサイティングな一日となりました。中でも正木裕さん(古田史学の会・事務局長)の発表で、天武朝(天武14年)国分寺創建説なるものがあったことを初めて知りました。正木さんの見解では『日本書紀』天武14年条に見える「諸国の家ごとに仏舎を造営せよ」という記事は、34年遡った九州王朝の記事とのことでした。国分寺のなかには創建軒丸瓦が複弁蓮華紋のケースもあり、その場合は天武期の創建とすると瓦の編年ではうまく整合するので、天武期(白鳳時代)における九州王朝の国分寺創建の例もあるのではないかと思いました。なお、正木さんの発表を多元的「国分寺」研究サークルのホームページに投稿するよう要請しました。
 茂山憲史さん(『古代に真実を求めて』編集委員)の発表は、水城の軍事上の機能として、単に土塁と堀による受け身的な防衛施設にとどまらないとするものでした。このテーマについては茂山さんとのメールや直接の意見交換を交わしてきたこともあり、水城と交差する御笠川をせき止めることが、当時の土木技術で可能だったのか否かという質疑応答が続きました。来月も後編の発表を予定されているとのことで、わたしとは異なる見解ですが、刺激的で勉強になるものでした。
 なお、このテーマについて茂山説に賛成する服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)とわたしとで例会後の二次会・三次会で「場外乱闘」のような論争が続きました。知らない他人が見たら二人がケンカしているのではと心配されたかもしれませんが、関西例会ではよくあることですので、心配ご無用です。
 11月例会の発表は次の通りでした。

〔11月度関西例会の内容〕
?「淡海」から「近江」そして「大津」は何時かわったのか(堺市・国沢)
?倭国・日本国考 八世紀初頭の造作(八尾市・服部静尚)
?「水城は水攻めの攻撃装置である」という作業仮説について(上)(吹田市・茂山憲史)
?藤原京下層瀬田遺跡の円形周溝暮(径30m)の調査報告について(川西市・正木裕)
?天武の「国分寺創建詔」はなかった −『書紀』天武十四年の「仏舎造営・礼拝供養」記事について−(川西市・正木裕)
?『二中歴』細注の「兵乱海賊始起又安居始行」と「阡陌町収始又方始」(川西市・正木裕)

○正木事務局長報告(川西市・正木裕)
 大阪府立大学「古田史学コーナー」の移転(二階に)・パリ在住会員奥中清三さん寄贈の絵画(「壹」の字をデザイン)を「古田史学コーナー」に展示・千歳市の「まちライブラリー」(国内最大規模の「まちライブラリー」)で「古田史学コーナー」設置の協力・11/26和水町で古代史講演会の案内・11/27『邪馬壹国の歴史学』出版記念福岡講演会の案内(久留米大学福岡サテライト)・2017.01.22 古田史学の会「新春古代史講演会」の案内・「古代史セッション」(森ノ宮)の報告と案内・会費未納者への督促・『古代に真実を求めて』20集「失われた倭国年号《大和朝廷以前》」の編集について・藤原京下層瀬田遺跡の円形周溝暮(径30m)の調査報告について・その他

 
 
 
史料として古田史学会報 113号まで公開しています。
 

講演会

 

 

 


 
 

集会案内

一度覗いてみて下さい。誰でも参加できます。(要、参加費)

古田史学の会・関西2016年12月例会

期日

2016年12月17日(土)
午前10時より午後5時まで

場所

大阪府立大学I-siteなんば2階S1会議室

住所:大阪市浪速区敷津東2-1-41南海なんば第1ビル2階
大阪府立大学I-siteなんばの交通アクセスはここから

  • 地下鉄御堂筋線・四つ橋線「大国町駅(1番出口)」下車、東へ約450m、徒歩約7分
  • 地下鉄堺筋線「恵美須町駅(1-B出口)」下車、西へ約450m、徒歩約7分
報告

会員発表例は例会報告参照

参加費 500円

2017年1月例会は、21日(土曜日)i-siteで行います。
関西例会は、毎月第三土曜日行います。

 



第142回 古田史学の会・四国 勉強会

期日

2016年12月10日(土)
    午後1時30分〜4時40分
今回に限り第二土曜日です。

場所

愛媛県立男女共同参画推進センター
2階 第3会議室

愛媛県松山市山越町450
(伊予鉄本町6丁目電停より徒歩3分)
Tel: 089−926−1633(場所の確認のみにして下さい)

演題
と講師

演題1、古田先生も尊敬するトーマス・ペインの
        「ベーシックインカム」について
     講師〜坂根修(当会会員)

演題2、「古田史学の目」
     講師〜阿部誠一(当会会長)

 

連絡先 携帯090−8976−8399(事務局長・合田)

参加費 会員500円・非会員の方は1000円
始めてご参加の方は500円とさせて頂きます。

 



古田史学の会・東海 例会

案内は古田史学の会東海のホームページでご覧ください。

9月例会は18日(日)午後1時30分〜5時、
名古屋市市政資料館2階第5集会室で行います。

 

 

 

 

 
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