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上野東3丁目2−4
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06−
6849−0926
 
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【住所】
 大阪府東大阪市
 寺前町2-3-16

【電話番号】
 06-6727-0408

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▼ 案内 講演会、例会関西東海、四国▼

 2010年 2月 7日改訂

1,古賀達也の洛中洛外日記 '10を連載

 241話new242話new243話を公開

2、講演記録 原初的宗教の資料批判 トマス福音書と大乗仏教
「磐井の乱」はなかった 古田武彦(『古代に真実を求めて』第8集) へ

3、第三章九州王朝の風土記 『よみがえる九州王朝』(古田武彦)へ

4、講演親鸞の伝承と史料批判(『なかった』第四集)古田武彦を掲載


お知らせ
『東日流[内・外]三郡誌 ーーついに出現、幻の寛政原本!』は、発刊されました。

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古賀達也の洛中洛外日記

第241話 2010/01/23

謡曲と九州王朝

 新年最初の関西例会では、正木さんから能楽・謡曲の中に九州王朝の痕跡が見えることなどが報告されました。謡曲と九州王朝の関係については、新庄智恵子さんによる先駆的な研究(『謡曲のなかの九州王朝』新泉社刊、2004年)がありますが、新庄さん同様に能楽・謡曲に詳しい正木さんから、より周密な研究報告が関西例会でなされてきました。
 特に今回の発表で驚いたのが、謡曲「白楽天」に見える国名表記で、「日本」と「和国」が混在しており、「和国」の部分が見事な七五調となっており、明らかに別史料からの転用と思われることでした。おそらく「和国」とは九州王朝「倭国」が原形で、この部分は九州王朝歌謡に淵源するものではないでしょうか。謡曲と九州王朝、あるいは古典文学と九州王朝の研究は、九州王朝歌謡・九州王朝文学の復原という可能性をうかがわせ、楽しみな研究分野です。正木さんの今後の研究成果に期待したいところです。
 1月関西例会の発表テーマは次の通りでした。

〔古田史学の会・1月度関西例会の内容〕
○研究発表
1). 伊予水軍・他(豊中市・木村賢司)

2). 県・県主について(豊中市・木村賢司)

3). 謡曲と九州王朝2(川西市・正木裕)
 謡曲「白楽天」中の「住吉(の神)」について、本来は摂津住吉(の神)ではなく筑紫博多湾岸の「住吉(の神)」である事、また、謡曲「岩船」中の「如意宝珠」伝来の伝承は九州王朝のもので、舞台の「住吉」も博多湾岸である事を示した。
1. 「白楽天」は、唐太子の賓客とされる白楽天が日本に渡るが、住吉神に唐土に吹き戻される能。渡った先は「筑紫の海」で、舞台は「松浦潟」の海上。そこに「西の海、檍が原の波間より、住吉の神」が現われ出るのであり、これは一義的に筑紫の事と考えるべき。この点、福岡には住吉神社が多数存在し、中でも姪浜住吉神社は、古田氏が伊邪那岐の禊場所とされる「筑紫の日向の橘の小戸の檍原」の「小戸」付近にあった(現在は少し内陸部に移転)もので、「檍が原の波間より」の句に一致する。
 また「高砂」では住吉神を神松とし、「生の松」を名所と謡うが、姪浜住吉神社は「生の松原」に隣接し、神功皇后の植えたという「逆松(生松)」も同松原に存在した。博多区の住吉神社や福岡城にも神松の伝承があり、大宰府が舞台の謡曲「老松」も神松が主役等、博多湾岸には神松伝承が集中する。
 「白楽天」の住吉神は筑紫住吉の神で、曲の句(檍が原)と国産み神話が一致する事や神松伝承から、その由来は摂津住吉より遥かに古く、本来の住吉の神は筑紫の神だったと考える。
2. 「岩船」の舞台は「摂津国住吉の浦」。しかし曲中天の探女が「如意宝珠」を帝に捧げる為に来たとあるが、如意宝珠は『隋書イ妥国伝』に「如意宝珠有り。其の色青く、大なること鶏卵の如し。夜則ち光有り、魚の眼精也と云ふ。」と阿蘇山と並び記される通りイ妥国=九州王朝の象徴である。
 また、帝は住吉に高麗・唐土と貿易を始める為市を設けると言い、曲中に「運ぶ宝や高麗百済。唐土舟も西の海」とあるが、『隋書』で「新羅、百濟皆イ妥を大国で珍物多しとし、敬仰し常に通使往来す」とされ、『魏志倭人伝』で、対海国(対馬)では「船に乗り南北の市に糴(交易)す」と、九州北岸と半島の「市」間の活発な交易を記す通り、高麗百済との交易拠点も「イ妥国=九州」だった。
また、「西の海。檍が原の波間より。現はれ出でし住吉の。」と住吉神が謡われ、住吉の松も「宮柱」と讃えられるのは「白楽天」同様である事からも、この住吉も筑紫と考えられる。
 なお宇佐八幡宮文書中に、「筑紫の教到四年(五三四)」に天竺摩訶陀国より如意珠が渡来したとあり(古賀氏の発見・洛中洛外日記第一七四話)、これも岩船の原典が筑紫で、相当古い事を示すものだ。
 また、現在姪浜住吉神社に、豊漁や航海安全を祈願し、木製の玉を激しく奪い合う「玉競(たませせり)祭」が伝わるが、これは住吉の如意宝珠伝承とも関連するものではないか。

4). 「薬猟」の虚構(川西市・正木裕)
 『書紀』推古紀等には「五月五日の薬猟」が五回記述される。この内、推古十九年記事の薬猟における額田部比羅夫連等の先導や装束の記述部分は、その直前の推古十八年の新羅・任那使人の歓送迎記事からの盗用である事、薬猟は『書紀』の記述の様な煌びやかなものでも、重要な行事でもなかったことを「万葉三千八百八十五番歌」や、隋使歓迎記事等での額田部比羅夫の役割から明らかにした。 また薬猟記事に日の干支が無いのは、推古十八年十月の記事を盗用すれば推古十九年五月五日の干支と合わないことが主たる原因であり、この記事が『書紀』編纂において、干支の調整を済ませてからの盗用であることを示すものと考えられる。盗用の動機について、古田氏が指摘する「白村江直前の猟における九州王朝の大王の不慮の死」を隠すためではないか、との仮説を提示した。

4). 倭人伝の地名比定とその領域(豊中市・大下隆司)

5). 魏志は「漢音」で読むべきだ(富田林市・内倉武久)

5). 巨大古墳の環境破壊に伴う九州王朝の関西進出(木津川市・竹村順弘)

○水野代表報告
  古田氏近況・会務報告・初詣、矢田坐久志玉比古神社・他(奈良市・水野孝夫)

2010.1.23 試みに、連携として正木氏の例会報告を掲載致します。通常は〇〇字以内で要約を収録の予定。

 
 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第242話 2010/01/31

太宰府と前期難波宮


 2月27日、東京で講演することになりました(多元的古代研究会主催・文京区民センター)。「太宰府と前期難波宮ーー九州年号と考古学による九州王朝史復原の研究」というテーマで、7世紀段階の九州王朝研究の成果をまとめた内容です。更には関西例会で報告された各氏の説も紹介させていただきます。これを期に、関西と関東の研究交流が進むことを願っています。
 講演内容の項目は次の通りです。関東の皆さんのご参加をお待ちしております。

太宰府と前期難波宮
ーー九州年号と考古学による九州王朝史復原の研究ーー
2010/02/27
古賀達也
1.白雉改元と前期難波宮
  1).大和朝廷王宮編年の矛盾
  2).『日本書紀』白雉改元記事の2年移動 652年→650年
  3).史料と考古学の一致 「天下立評」「律令体制」と7世紀中頃の「朝堂院」
2.九州年号と遷都遷宮
【資料】正木 裕 九州王朝の改元と『書紀』等の遷都遷宮関連記事の対応
      2009/11/21 古田史学の会・関西例会
3.前期難波宮の土器
【資料】寺井 誠 「古代難波に運ばれた筑紫の須恵器」
     『九州考古学』第83号 2008/11/29 九州考古学会
4.前期難波宮と藤原宮木簡
【資料】田中 卓 「古事記における国名とその表記」
     『古典籍と資料 田中卓著作集10』国書刊行会 平成5年
5.太宰府条坊と政庁
【資料】井上信正 「大宰府条坊区画の成立」
     『考古学ジャーナル』No.588 平成21年7月号
6.九州王朝王宮・王都の変遷
  古賀旧説:太宰府政庁第?期(条坊都市・倭京元年618年)→前期難波宮(副都・白雉元年652年)→近江宮(白鳳元年661年)
  古賀新説:太宰府条坊(通古賀王城宮・倭京元年618年)→前期難波宮(副都・白雉元年652年)→近江宮(白鳳元年661年)→太宰府政庁第II期(条坊拡張)
7.「白雉二年九月吉日」奉納面の発見(西条市丹原町福岡八幡神社蔵)
  【資料】大下隆司 「白雉二年銘奉納面」について
     2009/08/15 古田史学の会・関西例会
8.九州王朝王族の探索
【資料】西村秀己 「橘諸兄・考」 2009/12/19 古田史学の会・関西例会

日記内は、項目とリンクしています。

 
 

古賀達也の洛中洛外日記
第243話 2010/02/06

前期難波宮と番匠の初め

 
 第224話において、寺井誠氏の論文「古代難波に運ばれた筑紫の須恵器」(『九州考古学』第83号 2008/11/29 九州考古学会)を紹介しましたが、そこで指摘された前期難波宮から北部九州の須恵器が出土しているという考古学的事実が何を指し示すのか、どのような証明力を有するのかをずっと考えてきました。
 というのも、通説通り前期難波宮が孝徳の王宮であれば、その建設に北部九州の工人達も参加したということになり、前期難波宮が九州王朝の副都であったという特段の証明力にならないという反論が予想されたからです。しかも、前期難波宮からは北部九州以外の土器も出土していますから、尚更です。
 こうした学問上の論証力という視点から、寺井論文の持つ意味についてより深い考察が必要と考え続けてきたのです。そして、寺井論文を何度も熟読するうちに、やがて論点がはっきりと見えてきたのです。その結論は、寺井論文はわたしの前期難波宮九州王朝副都説を間違いなく証明する貴重な考古学的事実を指し示しているというものでした。
 寺井論文で紹介された北部九州の須恵器とは、「平行文当て具痕」のある須恵器で、「分布は旧国の筑紫に収まり、早良平野から糸島東部にかけて多く見られる」ものとされています。すなわち、ここでいわれている北部九州の須恵器とは厳密にはほぼ筑前の須恵器のことであり、九州王朝の中枢中の中枢とも言うべき領域から出土している須恵器なのです。
 この事実は重大です。何故なら、土器だけが難波に行くわけではなく、当然糸島博多湾岸の人々の移動に伴って同地の土器が難波にもたらされたはずです。そうすると九州王朝中枢領域の人々が前期難波宮の建築に関係したこととなり、九州王朝説に立つならば、前期難波宮は孝徳の王宮などでは絶対に有り得ません。
 何故なら、もし前期難波宮が通説通り孝徳の王宮であるのならば、九州王朝は大和の孝徳のために自らの王宮、たとえば「太宰府政庁」よりもはるかに大規模な宮殿を自らの中枢領域の工人達に造らせたことになるからです。こんな馬鹿げたことをする王朝や権力者がいるでしょうか。九州王朝説に立つ限り、こうした理解は不可能です。寺井氏が指摘した考古学的事実を説明できる説は、やはり九州王朝副都説しかないのです。
 しかも、九州王朝の工人たちが前期難波宮建設に向かった史料根拠もあるのです。その史料とは『伊予三島縁起』で、この縁起は九州年号が多用されていることで、以前から注目されているものです。その中に「孝徳天王位。番匠初」という記事があり、孝徳天皇の時代に番匠が初まるという意味ですが、この番匠とは王都や王宮の建築のために各地から集められる工人のことです。この番匠という制度が孝徳天皇の時代に始まったと主張しているのです。すなわち、九州から前期難波宮建設に集められた番匠の伝承が縁起に残されていたのです。「番匠の初め」という記事は『日本書紀』にはありませんから、九州王朝の独自史料に基づいたものと思われます。
 このように寺井論文が指摘した糸島博多湾岸の須恵器出土と『伊豫三嶋縁起』の「番匠の初め」という、考古学と伝承史料の一致は、強力な論証力を持ちます。ちなみに、『伊豫三嶋縁起』の「番匠の初め」という記事に着目されたのは正木裕さん(古田史学の会会員)で、古田史学の会関西例会で発表されました。ここまで論証が進むと、前期難波宮九州王朝副都説は揺るぎなく確立された最有力説と思うのですが、いかがでしょうか。

 

 
史料として古田史学会報82号まで公開しています。
 (一年ごとに順次公開)
 
 
 

講演会・総会

古賀達也 講演会

期日 2010年 2月27日(土)
午後1時30分より(午後1時開場)
場所

文京区民センター

地下鉄 春日(大江戸線、三田線)、後楽園(丸の内線、南北線)、JR(水道橋))
東京都文京区本郷4ー15ー4
TEL03(3814)6731
場所の問い合わせのみにして下さい。)

報告

太宰府と前期難波宮
 ー九州年号と考古学による九州王朝史復原の研究

レジュメとリンクは
古賀達也の洛中洛外日記第242話 へ

参加費 講 演 1000円
懇親会 1000円
主催 多元的古代研究会

 




 

集会案内

一度覗いてみて下さい。誰でも参加できます。(要、参加費)


古田史学の会・関西2010年 2月例会

期日 2010年 2月20日(土)
午前10時より午後5時まで(午後一時からも可)
場所

大阪市立総合生涯学習センター
大阪駅前第二ビル
5階第3研修室
(JR大阪駅中央出口南五分)
JR北新地駅すぐ
(TEL06-6345-5000
場所の問い合わせのみにして下さい。)

報告

午前の部 ビデオ観賞もしくは会員発表
午後 会員発表

参加費 500円

3月の例会は、20日(土)、大阪市立総合生涯学習センター5階第3研修室です。

例会は毎月原則として第三土曜日です。
連絡先 水野孝夫 TEL0742-44-1805


 

古田史学の会四国勉強会・第72回済み(2010/ 02月度)

期日

2010年 2月 6日 土曜日
     13:30-16:30

場所 松山市立北条ふるさと館 2階会議室
(愛媛県松山市北条別府995)
Tel: 089-993-3266
演題
と講師

テーマ:
1). 「磐井の乱」諸説
 講師:山田裕氏(古田史学の会・会員)

2). 道後温泉第三の外湯のネーミング「女帝の湯」について
ー「女帝」とは悪女の代名詞?ー
 講師:合田洋一氏(古田史学の会四国・事務局長)

連絡先 089-931-2373(合田)
    089-992-3162(会長・竹田)

参加費 会員は500円、
会友(非会員)1000円


古田史学の会・東海 例会

例会案内は古田史学の会東海のホームページでご覧ください。

 

 

 

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