和田家資料    
書評『和田家資料』(1〜4)を読む 古田武彦

和田家文書「北斗抄」に使用された美濃和紙を探して(竹内強)
究極の史料批判 「寛政原本」の出現について 古田武彦 『なかった』 第六号



和田家資料 4

北斗抄十〜総結

北方新社

藤本光幸 編

初めの数字は目次です。

目次

  まえがき 竹田侑子

  凡例(「和田家資料」の編集について)

北斗抄 十
001  注言一句
001  諸翁聞取帳
     一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七 十八 十九

 

北斗抄十一
031  注言
031  諸翁聞取帳
     一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七 十八 十九 二十 二十一 二十二 二十三 二十四 二十五 二十六 二十七 二十八 二十九 三十 三十一 三十二 三十三 三十四 三十五 三十七 三十八 三十九 四十

078  終筆之言
079  愚言

 

北斗抄十二
080  注
080  陸羽諸翁聞取帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七 十八 十九 二十 二十一 二十二 二十三 二十四 二十五 二十六 二十七 二十八 二十九 後記

 

北斗抄十三
117  注言一述
117  諸翁聞取帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七 十八 十九 二十 二十一 二十二 二十三 二十四

 

北斗抄十四
145  要注
145  上磯諸古事
147  丑寅古事談
148  神器伝統之事
149  山靼クリルタイ之事
150  陸奥歌暦 一
157  羽州史談
157  東山道夜話
162  陸奥歌暦 二

北斗抄十五
170  注言
170  諸翁聞取帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七 十八  後記

北斗抄十六
193  荒覇吐神大要
194  奥州諸記選
195  カムイノミの事
196  チセの事
196  ヌササンの事
197  アラハバキの事
197  荒覇吐神修成
199  語印之事
199  祭行之事
200  荒覇吐神抄
201  丑寅日本国遺風

北斗抄十七
203  注言
203  諸翁聞取帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一(奥州歌草紙) 十二 十三 十四 十五 十六 十七 十八 十九(陸羽古歌選)二十 二十一 後記

北斗抄十八
236  岱雲山湊福寺掟
236  山靼旅程之事
239  生保内日記 一
241  生保内日記 二
242  生保内城武鑑
243  クリルタイの事
244  飽田鬼道伝
244  仙北夜話
246  飽田三郡誌
247  衣川物語
248  良昭状
248  頼良状
249  北方渡民抄

北斗抄十九
252  注言
252  諸翁聞取帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十

北斗抄二十一
266  東日流修験宗
268  修験宗大要
269  修験之道
271  耶馬台王耶馬止彦之箸墓
272  耶馬台国三輪山神爾
274  北膽駒山大神神社由来
275  熊野宮由来
279  荒覇吐王国之盛亡抄
280  筑紫豊之国耶馬壹王
280  荒覇吐王政の治事
282  荒覇吐即位之神器
283  荒覇吐神根本本願祭旨
284  石塔山悠久なる心を導く
285  誠の道を求めよ
286  倭銭之創
286  中山之秘跡
290  安倍、安東、秋田抄一
293  安倍、安東、秋田抄二
296  東日流海涛誌
297  東日流古代農耕
299  奥州宮城之事
300  渡島地史抄
301  あらばき奥州名景十八図
306  津軽史談
308  津軽六郡誌考
309  安東一族之墓
310  詫言

 

北斗抄二十一
311  注言
311  諸翁聞取古事帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 記

北斗抄二十二
333  前九年之役諸話
     一話 二話 三話 四話 五話 六話 七話 八話 九話
357  安倍氏考
359  陸奥行状記
360  直進之仏縁
360  奥州奇談
362  陸奥史護持抄
363  羽州洞之怪事
364  神伝不可思議之事
365  山靼往来之事
366  北辰大学
367  奥州諸談
368  日高見流史
369  生保内域鑑
370  武具之事
370  安倍攻防陣取
371  安倍軍謀
371  北都之計覚
372  在北光衣川
374  北斗之軸星
375  頻良立君之事
376  樺太記
377  安東船之事
378  山靼旅状記
378  北光とはに
380  東日流中山抄
381  相内山王抄
382  蝦夷史観抄

 

北斗抄二十五
384  注言
384  諸翁聞取帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十

北斗抄二十六
398  注言
398 諸翁聞取帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五

北斗抄二十七 記了巻
414  申付之事
414  諸翁聞取帳
   一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七(倭の古歌集百選抄 一) 十八(倭の古歌集百選抄 二) 十九 二十 二十一 二十二 二十三 二十四 二十五

462  追而付書
463  遺言之事
466  石塔山之事
466  諸事申付之事
468  子孫への戒
468  終章之事

 

北斗抄二十八
470  注言
470  諸翁聞取帳
  序言 第一章 日本国之誕生 第二章 荒覇吐神之事 第三章 宇宙之誕生 第四章 第五章 第六章 孝季系譜 第七章 第八章 第九章 後記

 

北斗抄 総結
483  注言
483  諸翁聞取帳
   序言 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二

 


編者紹介
藤本光幸(ふじもと・みつゆき)
1931年生れ。「東日流外三郡誌」(共著)(北方新社)の詳細を語る第一人者。
藤崎町教育委員、同町文化財審議委員を歴任。
2005年10月没。

和田家資料 4  北斗抄 十〜総結
________________________________________________________
2007年 7月10日

 編 者  藤 本 光 幸
 発行者 木 村 義 昭
 発行所 北 方 新 社
 印刷所 小 野 印 刷



「和田家文書」の周辺

まえがき

 平成十七年十月、「和田家文書」の発刊をライフワークとして、長年文書の原稿化に取り組んできた兄藤本光幸が死去しました。兄の残した仕事を受け継ぎ、遺稿や文書等の整理に追われていた十二月半ば、兄の調べでは欠巻としていた「北斗抄」十、二十三、二十四の巻のうちの十と新たに二十八の二巻(冊)が、「北鑑」全六十巻(未刊)の中に紛れ込んでいるのをみつけました。
 既に『和田家資料3』のあとがきで報告しましたが、「北斗抄」には二十の巻が二冊あります。一から二十八と総結の巻まで、全ての巻が大福帳裏紙使用のほぼ35×25cmの大型冊子なのですが、例外として、二冊ある二十の巻の一方が、「支那紙に付き破れ易く開書注意せよ」と表書きのある17×24cmのものです。
 『和田家資料3』には、兄の希望で、他の巻と形態を同じくする二十の巻の方を、欠巻の十として収録しています。しかし、十の巻がありました。
 本書『和田家資料4』の編集にあたり、新たに見つかった十の巻の取り扱いを検討した結果、十の巻はそのまま十として収録することにしました。従って、本来の「北斗抄」は二十の巻が二冊なのですが、本書では、十の巻が二冊として収録されていますことをご了承ください。
 昭和五十年、『市浦村史資料編』が出版されて間もなく、「和田家文書」は、真偽論争の渦中に投ぜられました。文書を偽書とする人たちは、「和田末吉は文盲、長作もそれに近かった。使用の紙は現代の紙、昭和三十年以降和田喜八郎によって偽作された。」と強弁しています。一方、真書であるとする人たちは、「末吉・長作父子によって、明治二年より書き写され書き継がれてきた、書き継ぎ文書である」という見解に立っています。
 和田家文書」全書を調査された古田武彦氏は、和田末吉の秘書的役割を担った長作の存在を指摘し、詳細な筆蹟調査から、「和田家文書」には、○全文末吉の筆になるもの ○署名を含む全文長作の代筆のもの ○文は長作、署名のみ末吉 ○文途中から末吉あるいは長作が書き継いで記了しているもの、など、文書を構成する筆蹟パターンが幾つかあることを指摘しました。
 「北斗抄」は、その全パターンを知ることのできる書であります。
 また「北斗抄」には、他の「和田家文書」にはみられない、明治大正期の新聞等諸書から取り入れたニュースが書き込まれています。さらに、明治の学制発布と自由民権運動に対する末吉の強い期待と情熱、そして挫折を味わった者の心情が綴られています。なかでも、長作による末吉死去の記事と遺言により文書を書き継ぐ決意を記す二十七記了巻や末吉の身辺事情を吐露する総結の巻は、「北斗抄」をはじめとする「和田家文書」が書き継ぎ文書であることを明白に示すものと考えます。
 平成十一年秋、世に出した文物の全てを“曖昧”というべールに包んで隠蔽し、和田喜八郎氏が世を去りました。それから八年、文書に書き伝えられている遺跡や遺物が、少しずつ姿を現わしはじめています。

 遺物では、「北斗抄」九の八等で語られるマルコポオロとフビライハンの像が、盛岡市報恩寺と弘前市長勝寺に確認されています。

  ※長勝寺にはマルコポオロ像のみですが、明治の神仏分離令で岩木山社百沢寺より移されたことが伝えられています、廃仏毀釈を受けて、山門の本尊十一面観音や五百羅漢像の百余体が破壊されたといわれます。倶生神としてともに山門に祀られていた二体のうちの一方、フビライ像もこのとき失われたと考えられます。

 また、石塔山神杜には、末吉・長作の書き継いだ文書とともに、六五〇余冊の江戸期版木本、一〇〇余冊の明治大正期刊行本が蔵されていました。その中に、明治七年発行の小学読本がありました。この教科書には、「福沢殿より届けられる」等々の書き入れはありませんから、これをもって「北斗抄」三の二十一記の記事を立証することはできませんが、教科書には和田長作の記名があること、また明治大正刊行本の殆どが教科書類であることを記し置きたいと思います。
 新たな発見は遺跡にもありました。
 「北斗抄」八の七や二十の絵図に記される大倉山耶馬苔城址と考えられる石垣の一部を竹田も確認しました(平成十五年)。一の巻記の山津浪によって崩壊してしまったという飛鳥耶馬臺城と考えられる石垣跡も現存するという報も得ています。
 また同じく「北斗抄」七や十二の十九等に語られる役小角の塚や安倍安東一族の塚も、「東日流外三郡誌」をはじめとする「和田家文書」の筆者秋田孝季の塚も、峰の風谷の水音聞こゆ石塔山に現存することを報告したいと思います。
 末尾になりましたが、寛政原本と考えられる「東日流外三郡誌」二巻(冊)と「東日流内三郡誌」二巻(冊)の発見をお伝えしなければなりません。
 兄の遺稿や文書の整理のために実家を訪ねたある日、「座敷廊下奥の書棚もみる? 脚腰が弱くなってからおやじは開けることがなかったけど」と問われて、開けてもらった書棚の中に、喜八郎氏の写した原稿用紙にボールペン書きの「東日流外三郡誌」数十冊や昭和三、四十年代の青色コピー版「東日流外三郡誌」数冊等と一緒に保管されていました。
 寛政原本「東日流外・内三郡誌」の出現については、平成十九年六月発行の雑誌『なかった』(ミネルヴァ書房刊)に古田武彦氏が発表されますので、氏の検証に期したいと思います。
 三十余年の歳月を投じて編纂した史書は、世に障りありとされて三春藩に入れられず、門外不出の極秘書として秘蔵せざるを得なかった秋田孝季と和田長三郎吉次。それでもなお彼らは、「後世いつの日か陽光を信じて」と書き綴り、受け継いだ明治の末吉・長作父子もまた挫折の中から、「必ず至る世襲の自由あるべく日を念じて」と希求した自由と陽光の日が、二十一世紀の今この時でありたいものです。「凡そ本書は史伝に年代の相違なる諸説多しとも、一編の歴史と照会して事実錯誤の発見あれども、私考にして訂正するは正確とぞ認め難く、訂正の労は後世なる識者に委ねたり。」とする孝季・吉次の言葉を添えて、お読み下さる皆様へこの書をお届けしたいと思います。
  平成十九年四月
                  竹田侑子


「和田家資料」の編集について

一、「和田家資料」の編集方針としては、「和田家資料」では冊子別、巻別、が明白であるため、原本の分類を尊重する事にした。現存の「和田家文書」の状態は冊子本、巻本、一枚物、裏打ちのないままの巻紙状の物等、様々な体裁である。

一、原本は「此の書は前後相混ずる処あるも、文献の見付次第に記されし者ママなれば、順々不乱も詮なし」とあるように全体が統一テーマによって編纂されたものではないので、統一的、時間的な流れはないが、御了承を願いたい。

一、原本は旧字体であるが、本文については新字を心がけたが、人名、地名などはできるだけ原字体のままとした。また当て字なども多いが、意味のとれるものはそのままとし、明らかに誤字、脱字、重複字、のわかるものについては訂正した。

一、記述の内容において間違いと思われるが曖昧なものは、そのままにして(ママ)と付した。書継ぎ者が既にわからなかった字については「不詳」、現在不明な字については「不明」とした。、

一、 原本には句読点および改行一字下げはないが適宜これを施した。なお、現本にはまれにルビや傍線があるが、そのまま存置し、編者によるルビはない。

一、本巻は北斗抄二十八巻+総結のうち十〜総結を収録した。


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書評『和田家資料』(1〜4)を読む 古田武彦

「和田家文書」に依る『天皇記』『国記』及び日本の古代史の考察   

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