古田武彦著作集

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シンポジウム

邪馬壹国から九州王朝へ

新泉社

古田武彦 編

始めの数字は、目次です。「 はじめに」のみ下にあります。

【頁】【目 次】
001 はじめに

007 3.22 開会の場
013 3.22 午前の部 第一部

好太王碑に現われる倭とは何か 藤田友治

好太王碑とは/研究を導いた糸/好太王碑の現地調査/倭の基本的確認/「倭」(2−9−38)追求/王氏が「新たに解読」した倭について/好太王碑をめぐるシンポジウム/倭=海賊説について/辛卯年条の読み方/王健群・西嶋定生「以・・・来」説への批判

065 3.22 午前の部 第一部

万葉集と九州王朝 中小路駿逸

109 3.22 午後の部 第一部

「邪馬台国」論争は終わったか  橋田 薫

121 3.22 午後の部 第二部

邪馬壹国から九州王朝へ 古田武彦

卑弥呼は何者か/九州王朝の立証/九州における短里

171 3.23 午前の部

質問にこたえる  古田武彦(藤田友治、中小路駿逸氏、橋田 薫氏に対する質問は略)

・藤田友治(略)

・中小路駿逸(略)

・橋田 薫(略)

・古田武彦
甕依姫/祝について/白村江の戦いと九州王朝/好太王碑/卑弥呼の冢はどこか/甕依姫は八女地方出身か/卑弥呼=八女津媛について/「継体の反乱」

221 3.23 午後の部

筑紫舞の上演(巻頭口絵参照、インターネット上にはなし)

224 自由討論 古田武彦(藤田友治、中小路駿逸氏、橋田 薫氏に対する討論は略)

 

278 《メッセージ》
東京ヤマタイ国研究会 古代未来塾 壱岐一郎
市民古代研究会「万葉と漢文を読む会」 原 広通
古田武彦と古代史を研究する会会長  山本真之助
市民の古代研究会・関東連絡所 柳川美紀子
同 ・古代の関東研究部会 椎名 誠
同 ・関東例会  高田かつ子

[10 参 考<]シンポジウム「邪馬壹国から九州王朝へ」
     主催:九州王朝文化研究会
     1987年(昭和62年)3月22〜23日

     装幀 勝木勇二
_________________________________

シンポジウム

邪馬壹国から九州王朝へ

1987年10月1日第1刷発行

編者 古田武彦
著者=藤田友治・中小路駿逸・橋田 薫・古田武彦
発行所=株式会社 新泉社
印刷=太平印刷社
製本=根本製本所


はじめに

 このような時を、わたしは予想できただろうか。ーー否。「邪馬壹いち国から九州王朝へ」などというタイトルをもつシンポジウム、その中に自分たちが呼ばれるなどという事件が、自分の生涯の中におこりえようとは、夢想さえしなかった。これがいつわりえぬ、わたしの感懐である。
 かつて一七年前、当地の学会(西日本歴史学会)に来て、「ここが邪馬一国です。」と、わたしの研究報告を結んだこと、それが昨日のことのように思い出される。この博多の福岡大学が会場だった。
 それはまだ、第一歩にすぎなかった。『史学雑誌』(78-9)に発表した「邪馬壹国」が、昭和四四年。その翌年頃から、ようやくそのありか、首都圏領域の存在がわたしの目に入ってきた。
 それもただ、「論理の神の導き」に依ったものにすぎず、考古学的出土物の分布図など、いまだわたしの「知識」からは遠かった。 ーーそしてやがて、ここ博多湾岸とその周辺(糸島郡から朝倉郡まで)こそ、弥生の中心的文物(鏡・矛・璧・ガラスの勾玉等)の集中する地帯であったことを知る、幸いをえた。論理は、ついにわたしを裏切らなかったのである。
 今、「邪馬一国のありか」は、煮つまってきた。倭人伝の“自分好みの読み変え”なら、いくらでもできようが、出土物、ことにその分布図を“作り変える”わけにはいかない。いかないとすれば、弥生時代、中国文明伝播の金属器(銅・鉄)やガラス器(璧・勾玉)や錦類の密集する地帯、この筑前中域(糸島・博多・春日・太宰府・朝倉等)を除いて、卑弥呼の都邑の地を“呼称”すること、それは誰人にも不可能なのである。
 この弥生文明は、断絶していない。九州の古墳文明へと脈々とうけつがれている。そして「装飾古墳」と名づけられた、あの個性的な文明圏の展開が見られるのである。そしてそれは、関東(茨城)からその周辺(福島・千葉・神奈川・山梨)へと分布圏をひろげているように見える。決して「一地方文化」などではない。逆に、大陸や朝鮮半島からの新しい波(カラフル古墳)をいち早く反映した、新時代の現象だった。
 これに比すれば、近畿の場合、むしろ弥生九州の古式(弥生遺跡やモノクロ古墳)を継承すること、年久しかったように見える。いまだ五〜六世紀の古墳に、カラフルな壁画を見ないようであるから。ここにも、九州を原点とした「ドーナツ化現象」(文化人類学の用語。中心部に消失した文物が、周縁部に強く残存する現象を指す。)の現われが見られるのではあるまいか。
 これを、逆に、いつも近畿を「中心」とし、装飾古墳を「地方文化」であるかのように見なしてきた、近畿天皇家一元主義の考古学、それはやがて決定的な「改新」を迫られるのではあるまいか。
 この点、やはり落ち着くべきところ、それは「天皇陵発掘」問題だ。古代史の科学的究明にとって、これは不可欠である。各地の大古墳(たとえば、関東最大の太田天神山古墳〈群馬県太田市〉など)が、盗掘され、荒廃した形のままで放置(昭和六二年六月現在)されている反面、いわゆる「天皇陵」古墳のみ、かたくなに「丁重な学術発掘」すらこばみ通している姿。そこには、明治以降の日本人の精神のあり方のゆがみ、死者に対する真の礼儀の喪失がクッキリとしめされているのである。
 ここには、外国文物の模倣にのみ急であったため、自家の脚下を正すことを忘れた、不可避の証拠が横たわっている。これではいまだ、精神の中のもっとも貴重なるもの、誇りの回復いまだし、そのように他から評されても止むをえないのではあるまいか。
 しかし、希望はある。“お仕着せの一元主義史観”でなく、大胆に、自由に、そして常に実証的に、歴史の真実を“恐れざる”人々が数多く集(つど)われた上、このようにユニークな報告書が江湖に問われようとしているのであるから。
 時間の制約のため、論議不十分の点、出席諸氏の著述(藤田友治氏『好太王碑論争の解明』新泉社、中小路駿逸氏『日本文学の構図』桜楓社、『古代史の論理』〈仮題〉八幡書店近刊)、またわたしの論文集(『よみがえる卑弥呼 ーー日本国はいつ始まったか』駸々堂)で補っていただきたい。
 最後に、本シンポジウムの成功のため尽力された橋田薫・高山秀雄の両氏、また本報告書の刊行に力を寄せていただいた藤田友治氏や新泉社の方々に深く感謝をささげたい。
  一九八七年七月三十一日
                古田武彦


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