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古田武彦 歴史の探究


古田武彦 歴史の探究2

史料批判のまなざし

ミネルヴァ書房

古田武彦[著]
古田武彦と古代史を研究する会[編]

特別掲載 「論理の導くところ」 -- 新しいシリーズに寄せて

始めの数字は、目次です。「編集にあたって」は下にあります。

【頁】【目 次】
i はしがき 古田武彦

 001 第一篇 東洋に学ぶ

   003 泰山の夢
   013 中国往来
   026 顔回
   038 創刊『なかった』

 049 第二篇 西洋に学ぶ

   051 ローマ法王
   056 さわやかな応答
   066 ソクラテスの弁明(一)
   071 ソクラテスの弁明(二)
   078 ホメロスとソクラテス
   090 ソクラテス
   099 一週間はなぜ七日間か -- バイブル論
   117 真実の神と虚偽の神

 125 第三篇 史料批判のまなざし

   127 火中の栗
   140 史料批判と同時代経験
   151 乃木希典批判
   158 古代史と現代(一)
   168 古代史と現代(二)
   176 ト部うらべ日記
   184 人間からの問い -- 東国原知事へ
   196 「古田武彦・古代史コレクション」
   201 日本道
   227 天皇陵 -- 歴史的象徴論
   237 「史料批判」の史料批判

 247 第四篇 倭人も海を渡る

   249 佐原レジメ
   360 奴隷神 -- 続・佐原レジメ
   273 スミソニアン

 283 第五篇 歴史は足で知るべし

   285 文殊の旅
   296 荒神
   309 出雲とウラジオストク
   314 ロシア
   320 福音
   326 コプト語
   333 訪れ
   341 ウラジオストクの黒曜石

  349 編集にあたって -- 古田武彦と古代史を研究する会・平松健

  1〜8 人名・事項・地名索引


古田武彦 歴史の探究2

 史料批判のまなざし
_______________

2013年 4月15日 初版第1刷発行

 著 者 古 田 武 彦

 発行者 杉 田 敬 三

 印刷社 江 戸 宏 介

 発行所 株式会社 ミネルヴァ書房

_________________

© 古田武彦, 2013    共同印刷工業・兼文堂

ISBN978-4-623-06493-9

   Printed in Japan


 はしがき

 二つの史料批判がある。
 第一は、最古の写本ないし版本を「原本」とし、後代の写本ないし版本に対しては、その「改定」の根拠を突きとめること、そして必要にして十分な理由なきものには従わない。この立場である。
 第二は、論者(学者ないし研究者)が自己のイデオロギーを根拠とする「ストーリー」を抱き、各写本・各版本の中から、それに合致するものを採り、合致しないものを捨て、これを「史料批判」と称するのである。
 信じがたいことだが、わが国の活字本(岩波の古典文学体系と日本思想大系の古事記、同じく、古典文学大系の日本書紀等)は、右の第二の「史料批判」に拠って作製されている。(1)
 たとえば、日本書紀巻九の神功紀において北野本・熱田本・伊勢本の「皇居」は「皇后」と「改定」されている。別述するように、これは重大な「問題点の異同」につながっている。
 たとえば、新訂増補、国史大系の「続日本紀前篇」(吉川弘文館)の文武天皇紀、その冒頭から「宣長の説に據りて補す」「宣長の説に據りて改む」等の注記が上欄に頻出している。別に「古事記伝 -- 本居宣長批判」(『九州王朝の歴史学』復刊本、「日本の生きた歴史(十六)」参照)で詳述したように、本居宣長は自家の「美学」によって諸写本・諸版本を「取捨」して、「定本」を作製したのである。そのような宣長の「取捨」を根拠として、この国史大系本の活字本は“作製”されているのだ。
 だから、真の史料批判の第一の立場から、これらの古典(古事記・日本書紀・続日本紀・風土記等)は“再検証”されねばならない。真の史料批判は、これからはじまらねばならないのである。
 わたしがこのような立場へと進んできた経緯が、本書には展開されている。

   平成二十四年十一月三十日
                        古田武彦

 注(1)岩波古典文学大系「古事記」六〇六ぺージ参照。


編集にあたって

古田武彦と古代史を研究する会 編集担当 平松健

 古田武彦先生の「閑中月記」・「学問論」を本にしようと言つ話が持ち上がって、もうかなり時間が経過しました。最初は『百問百答』の形式で、東京古田会自身が発行するという意見が強かったのですが、私は断乎、これを一つの書籍としてまとめることに固執いたしました。その最大の理由はこの内容が、一つの研究グループにとどめるべきものではなく、広く世間に、まさに世界に向かって発進して行くべきものであると考えたからです。しかし言つは易く、実際に編集を始めると、大変な苦労が待っていました。
 編集者としての最大の仕事は、第一に古田先生の書かれたことを最大限正確に再現すること、そして次に、第一の仕事と密接に関係することですが、古田先生の手法、考え方、むしろ思想そのものを正確に理解することであると考えます。
 第一の、膨大な資料を正確にデジタル化することについては、スキャンされた古い資料はありましたが、システムの未発達などのために、正しい文字に転換されていない個所が無数にありました。また、今まで無意識に会報に載せていたものも、国語審議会の定める方法で、新旧漢字、仮名遣い、送り仮名等すべてチェックしてみること、さらに、固有名詞、暦年、引用著書など再点検してみる必要がありました。この点、幸いにして、ミネルヴァ書房には岩崎さん他、優秀な社員がおられて、要所々々を適切にチェックしてくれましたので、非常に助かりました。
 それらは基本的な仕事です。編集者に求められる最大の仕事は、第二の古田先生の思想を正確に理解することです。もともとそれは私の能力をはるかに超えることですが、私は少しでもそれに近づくべく、色々の内容を原典にさかのぼって読み返して見るよう努力しました。
 古田先生は、藤沢会長の言を待つまでもなく、まさに「知の巨人」です。ごれらをフォローするためには、簡単には先生の持っておられるすべての蔵書をお借りすることが必要ですが、今でも多忙を極めておられる先生のお手をその都度煩わすわけには行きません。いきおい、国会図書館・大学図書館などを利用しますが、先生のご研究の範囲は、これらでは全く間に合わないことがしばしばです。
 本巻一八ページにある『孔門弟子研究』がその例です。新刊・古本はもちろん、国会図書館・大学図書館にもありません。八方手を尽くして探した結果、やっと日本では武蔵大学図書館など三ヶ所にしかないことが分かりました。公共図書館の紹介状をもらって、私立大学の図書館で見せてもらう不便さ、なんとなく古田史学の行く手を誰かが阻んでいるかのような錯覚を覚えました。
 自分の能力の無さを痛いほど感じましたのは、本巻九〇ページのアウグスト・ベエク(ドゥーデン・ドイツ語辞典ではべーク)です。今回の「学問論」や『新・古代学』第八集などでは、私には十分理解できないうえ、大学図書館でもうまく発見できないため、インターネット・アマゾン・ドイツで、この原典とされるENCYKLOPADIE UND METHODOGIE DER PHILOLOGISCHEN WISSENSCHAFTEN, AUGUST BOECKHを注文してみましたら、ケンブリツジの図書館がオンデマンド方式で新刊同様に印刷して送って来てくれました。見ると二冊に分かれた合計九〇〇ページに及ぶ大部の本です。ドイツ語には若干自信のあった自分も、これを研究していたら、後いくら長生きしても足りないと諦めました。それにしても、この難しい本を、古田先生は学生時代から研究しておられたとか。つく、づく、自分の無能力を悟らされました。
 無能力は努力すれば若干でも補えますが、何ともならないものは無力の方でしょうか。それを身にしみて感じましたのは、第三巻に出て来る「歴史への提言」です。ここでト部(うらべ)亮吾氏の話が出てきます。同氏は本巻(第二巻)の「卜部日記」にも出てきますが、同氏の隠れた支援のもとに、古田先生が宮内庁書陵部を訪問されるくだりがあります。内容は『古代は沈黙せず』(初版、駸々堂出版、一九八八年六月刊、復刊版、ミネルヴァ書房、二〇一二年一月刊)の冒頭に出て来る「法華義疏」の重要な個所が切り取られている件で、多くの方が読まれたと思います。自分もこの個所をこの際検分しておきたいと思い立ち、十日以上前の事前申請で書陵部を訪問しました。白い手袋をして、ようやく見せてもらったのが、見事にコピーした巻物。開き方にも注意されながら、丹念に調べましたが、切り取られたような個所は全くコピーに現れて来ていません。オリジナルを見せてくれ、許されれば何時でも何処へでも行く、と頼みましたが、一般の人には見せないとの一点張りでした。
 このように、色々悪戦苦闘しながら、先生の、いまだに止むことを知らず築かれている高い長い山道を、とぼとぼと懸命に昇ろうとしている自分に今は誇りを持っています。


「論理の導くところ」 -- 新しいシリーズに寄せて

 青年の日、わたしは聞いた。「論理の導くところへ行こうではないか。たとえそれがいかなるところに到ろうとも。」と。この一言がわたしの生涯を決定した。
 ところは、広島。あの原爆投下の前、一九四三年(昭和十八)、皆実町の旧制広島高校の教室の中である。
 岡田甫(はじめ)先生はこの一言を、黒板一杯に大きく書かれた。そしてコツコツと生徒の席の間をゆっくりと歩いてゆき、わたしたちに問いかけた。「この中で、一番大事なところはどこか、分るかい。」みんな、沈黙していた。先生は、その沈黙を見定めるようにして言葉を継がれた。「たとえそれがいかなるところに到ろうとも、だよ。」と。そのときは、もとの教壇へ帰っていた。その黒板の最後には、「ソクラテス」と書かれている。
 後日、調べてみたけれど、プラトン全集には、直接このままの表現はなかった。先生が全集の中の師弟の対話篇の中から、その真髄を趣意された。まとめたのである。それはどこか。もちろん、あの『ソクラテスの弁明』だ。わたしの生涯の、無上の愛読書である。
 だから、一冊の本から「抜き書き」して引用したのではない。己がいのちを懸けて、真実を未来の人類に向けて静かに語りかけて、ためらうことなく死刑の判決を受け入れて死んでいった、そのソクラテスの精神を、右の一言として表現したのであった。
 やがて広島を襲った、一九四五年の原爆も、この一言から脱れることはできなかった。誰が投下したのか。誰が被害を受けたのか。彼等が人類の悠大な歴史の中で下される、真実の審判は何か。ソクラテスはすでにそれを見通していた。未来の人類に警告したのだ。
 それはわたしの生涯をも決定した。学問のありかたをハッキリとしめしたのである。いかなる地上の権力も、「時」の前では空しいのである。それは倫理(「道義」と改称)の一時間の教育、忘れることができない。
      二〇一三年一月
                    古田武彦


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