2024年4月16日

古田史学会報

181号

1,不都合な真実に目をそむけた
NHKスペシャル」(上)

 正木裕

2,倭国天皇の地位について
西村秀己・古賀達也両氏への回答
 日野智貴

3,「邪靡堆」論への
谷本茂氏の疑問に答える

 野田利郎

4,『朝倉村誌』(愛媛県)の「天皇」地名
 古賀達也

5,皇暦実年代の換算法について
 正木論稿への疑問
 日野智貴

6,大きな勘違いだった
 古代船『なみはや』の復元
 大原重雄

 

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皇極はなぜ即位できたのか -- 河内祥輔・神崎勝両氏の問題提起 日野智貴 (会報180号)

皇弟・皇子・皇女の起源 日野智貴(会報182号)


皇暦実年代の換算法について

正木論稿への疑問

たつの市 日野智貴

 会報一七八号に正木裕の「「二倍年暦」と「皇暦」から考える「神武と欠史八代」」と題する論稿が載った(文中敬称略)。近年、古田学派の論稿ではいわゆる「通史」的な内容を論理的に説明した者が見られず不満に思っていた中の正木の論稿であり、私はその論稿の趣旨の多くに賛同する。
 しかしながら、正木の論稿では残念ながら古田学派内部の先行研究の一部が参照されていない上に、私自身も細部において気になるところがあった。倭国史の通史を今後の論者がより描きやすくするために、そうした疑問点について指摘させていただきたい。

 

天皇の崩御年齢について

 正木は「「皇暦」は史実とは異なるが「一定の根拠」のもとに策定された」と述べている。これは私自身も深く同意する処であり、通説派・古田学派を問わず論証なく「造作であるから信用できない」としていた論者へ深く警鐘を鳴らすものであると言える。
 しかしながら、正木の載せた天皇の没年齢の表においては『日本書紀』にない部分を『帝王編年記』や『皇代記』で補っており、そのような表を作成することは誤解を招きかねないのではないのか。表の『古事記』の部分は『古事記』にないところを空白にしており、『日本書紀』についても同様の態度を取ることが出来たはずである。
 しかも天武天皇の没年齢を五十六歳としているが、管見の限りそれを明記している史料は無いはずである。少なくとも『帝王編年記』や『皇代記』にはその記載がない。天武天皇の没年齢は過去議論の対象となってきたところであり、どの史料の誰の解釈に基づくものであるのかを明記してほしかったところである。

 

二倍年暦と皇暦を巡る先行研究

 また残念ながら、正木論稿では古田学派内部の先行研究の一部に触れられていない。
 二倍年暦仮説によって皇暦実年代を換算したものとしては飯田満麿による研究がある①。正木説と飯田説の違いにも触れてほしかったところである。
 さらには、二倍年暦による皇暦復原を否定している研究もある。
 砂川恵伸は『古事記』の記述を二倍年暦とした場合、綏靖・安寧・懿徳の各天皇が全て二〇代前半で崩御したことになり、必然的にかなり幼い(一桁の)年齢で安寧・懿徳・孝昭の各天皇が即位したことになると指摘、これらを通常の年暦であると「仮定すれば、ここにはそれ以上、何の問題も生じない」として二倍年暦による解釈を否定した②。
 私もこの解釈には説得力を感じるし、正木自身私に口頭で、綏靖天皇の崩御年齢が『古事記』で四十五歳だが『日本書紀』だと八十四歳とほぼ倍になっていることを挙げ、二倍年暦と通常年暦の年齢が混ざっている可能性もある旨の説明をされた記憶がある。
 こうした問題についても改めて論稿にしていただきたかったと思う。

 

「近江討伐」説話について

 正木説への最大の疑問は「神功紀」の「近江討伐」説話を九州王朝による銅鐸圏討伐説話からの盗用としている点である。
 このことについて私は何度も例会等で指摘したが、論稿の形にはしていなかったので、改めて簡潔に指摘をさせていただきたい。
 第一に、正木は忍熊王の存在も架空乃至盗用であるという見解なのだろうか?その点を明確にしていただきたいものである。

 第二に、仮に忍熊王の存在が造作であったとした場合、どうして『日本書紀』の編者にそのような造作をする動機があったのであろうか?異母兄(しかも忍熊王の生母も神功皇后同様皇族である)との争いなど、造作する動機は考えにくい。仮に造作するのであれば「異母弟の反乱」の伝承を盗用すれば良いであろう。

 第三に、正木は第一次大津宮が存在しなかったという見解なのだろうか?忍熊王の話は景行天皇から仲哀天皇の時代に至る第一次大津宮が存在したと考えれば全く不審ではなく、わざわざ造作と考える必要性はない。

 第四に、仮に第一次大津宮や忍熊王が存在しなかったという立場であれば、仲哀天皇についてはどう考えておられるのであろうか?仲哀天皇が「神に殺された」(『古事記』)とか「戦死した」(『日本書紀』異伝)と言った伝承を大和朝廷の史官が造作するとは考えられないのである。

 第五に、正木は盗用説の根拠として「神話的要素を含むこと」を挙げておられるが、例えば麛坂王が猪に喰われることを「神話的要素」の例として挙げているのは大いに疑問である。人間が猪に喰い殺されるのは何も「神話」だけの話ではない。確かに猪が人間を食べることは非常に稀であるが、稀であるが故に記録に残っていたとさえ言える。
 倍数年暦を前提とすると仲哀天皇は数え二十六歳で崩御しており、忍熊王と香坂王(私は『古事記』の表記を主に使う)はかなり「幼かった」可能性が高い。猪に喰い殺されたというのが誇張であったとしても、山の中で猪に襲われて亡くなった可能性は充分にあるであろう。そのようなショッキングな話が多少盛られるのは世の常であり、「神話的」どころか大変リアリティを感じる説話ではあるまいか。

まとめ

 以上、正木の主張に幾つか批判を加えたが、基本的には賛同できる点が多い。特に神武天皇の即位が西暦一世紀前後とするのは、考古学の成果とも矛盾しない穏当な結論であろう。 また吉備の勢力の存在を重視していることも正木説の優れた点であり、私自身もこれまでこの正木の問題提起から大いに啓発された。
 私からの批判にも説得力のある反論が来ることを希望する次第である。

① 飯田満麿(二〇〇八)「皇暦実年代算定についての試案」『古代に真実を求めて』第十一集

② 砂川恵伸(二〇〇五)『古代天皇実年代の解明』新泉社


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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