「邪靡堆(ヤビタイ)」とは何か(会報179号)
「邪靡堆」論への谷本茂氏の疑問に答える野田利郎(会報179号) ../kaiho181/kai18103.html
野田利郎氏の「邪靡堆(ヤビタイ)」論と漢文解釈への疑問 谷本茂 (会報180号) ../kaiho180/kai18003.html
野田利郎氏の「邪靡堆(ヤビタイ)」論と
漢文解釈への疑問
神戸市 谷本茂
初めに
『古田史学会報』一七九号(二〇二三年一二月一三日)に掲載された野田利郎氏の「〝邪靡堆〟とは何か」を拝読し、『隋書』俀国伝や『後漢書』倭伝・李賢注の漢文(原文)の読み方に大きな違和感を抱いたので、基本的な幾つかの疑問点を提示して、会員諸氏の御批判を仰ぎたいと思う。
一.『隋書』俀国伝の冒頭部原文の読み方について
①俀國 在 百濟・新羅 東南 水陸三千里 於大海之中 依山㠀而居
②魏時 譯通中國三十餘國 皆自稱王
③夷人不知里數 但計以日 其國境 東西五月行 南北三月行 各至於海
④其地勢 東髙 西下 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
古云 去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里 在 會稽之東 與儋耳相近
⑤漢光武時 遣使入朝 自稱大夫
⑥安帝時 又 遣使朝貢 謂之俀奴國 …(以下略)…
(①~⑥の文章の区分番号は野田氏に準じた)
{テキスト原文は百衲本(元・大徳刊本[一三世紀末~一四世紀初頃])による}
野田氏は、②の冒頭の「魏時」は⑤の冒頭の「漢光武時」の直前まで係る、とされる。つまり②③④は魏の時代のことを記述したものであるという。その結果、「邪靡堆」は、隋の時代の倭の都ではなく、魏の時代の都を指すことになり、意味は「(魏の時)邪靡堆に都す、則ち、『魏志』のいわゆる邪馬臺なる者なり」となって、「「魏の時」と『魏志』と時代が一致して文意が通じ」るという[会報一七九号一二頁]。野田氏は①だけが隋代の情報と理解されている。
野田氏の判断の根拠が何なのか理解に苦しむのは私だけであろうか?
〈a〉③の「其國境 東西五月行 南北三月行」という情報や④の「其地勢 東髙 西下」といった情報は、『三国志』に限らず、三国時代の同時代(ないしは準同時代)史料に全く現れていない記述である。これらの情報を魏の時のものとする根拠は、野田氏が想定した{「水陸三千里」(隋の時の情報:里単位は通常(長)里)=東西五月行+南北三月行(魏の時の情報)=青森から長崎までの日本列島の距離=[隋代の(長)里で約千六百㎞]}という自説しか挙げられていない。③が魏の時の情報であるとするならば、青森から長崎までの日本列島をほぼ縦断する(倭人の部族の)領域が三世紀に存在したという史料根拠あるいは考古学的根拠を提示すべきであろう。逆に、氏の御指摘の様に青森~長崎の距離(水陸三千里=隋の通常里単位とされる)が「東西五月行 南北三月行」によく合致するのであれば、それは取りも直さず、「東西五月行 南北三月行」が隋の時代にもたらされた情報ではないのか、という疑問を誘起させるであろう。つまり、野田氏の理路から言えば、寧ろ、③は隋の時の情報とみなす方が自然だという結論になるのではあるまいか?
〈b〉④が魏の時代の記述だとするならば、「去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」が「古云」と表記されている理由が理解不能になるであろう。「万二千余里」は魏志倭人伝で初めてもたらされた情報であり、それが何故「古云」と表現されるのか意味不明である。④が現代(隋ないしは唐初期の時代)の地の文であるから、三世紀中葉・魏の時代にもたらされた情報が「古云」と記されて自然なのである。また、魏代の倭人の情報は、帯方郡を起点に示されており、楽浪郡を起点として示すのは、漢/後漢代ではあっても、魏代の表現とは思われない。魏・西晋代の著述である『漢書』地理志・如淳注、『三国志』、『魏略』いずれも帯方郡起点の記述である。楽浪郡を起点とする表現は、『漢書』地理志・本文、『後漢書』である。④の後半の文は、隋書の編纂者が過去の史書の表記をまとめて一括して記述した(隋~初唐代の)地の文とみなすのが自然であろう。少なくとも、野田氏は魏・西晋代に楽浪郡を起点に倭人の情報を表記した例を示す必要があるのではなかろうか?
〈c〉現代の倭の都が「邪靡堆」と呼ばれているからこそ、それはすなわち魏志のいう(ところの)邪馬臺であると説明しているのであり、「魏の時」の都が「邪靡堆」であるなら、何故またわざわざ魏志を引用して説明する必要があるのか、「文意が通じる」どころか、意図不明の解説となってしまうと考えられる。
以上から、③④は、通説のように(古田氏の理解のように)、『隋書』編纂時期の情報に基づく地の文(隋のときの情報を基本とする)とみなすのが妥当であろう。
これは会報の公開です。
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