2010年6月5日

古田史学会報

98号

1,禅譲・放伐
 木村賢司

2,九州王朝
の難波天王寺
 古賀達也

3,越智国に
紫宸(震)殿が存在した
 今井 久

4,「天 の 原」はあった
古歌謡に見る九州王朝
 西脇幸雄

5,「三笠山」新考
和歌に見える
九州王朝の残映
 古賀達也

6,能楽に残された
九州王朝の舞楽
 正木裕

7,穴埋めヨタ話3
一寸法師とヤマト朝廷

 西村

 

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割付担当の穴埋めヨタ話3

一寸法師とヤマト朝廷

西村秀己

 「一寸法師」あまりにも有名なおとぎ話である。身長一寸(余談だが、今の若者は尺貫法を殆ど解さない。一寸・一尺・一貫・一合・一里全て理解の彼方にあるようだ。このままでは、当該おとぎ話のみならず、種々の故事成句などが死滅する。肥さん〈当会会員、中学校の社会科の先生、 参照〓肥さんの夢ブログ(中社)http://koesan21.cocolog-nifty.com/〉のような熱意ある先生方、よろしくお願いします)お椀の舟に箸の櫂、刀の替りに針を腰に差し、姫を助けるために鬼と戦い、打ち出の小槌を手に入れる。その小槌で身長を人並みにし、財宝を我が物とするのである。
 ところが、御伽草子の一寸法師は驚くほどの卑劣漢でもある。主人である「三條の宰相殿」の「十三にならせ給ふ姫君」に懸想して「我が女房にせばや」と考えると就寝中の姫の口元に撒米うちまき塗りつけ「姫君の、童がこの程取集めて置き候撒米を、取らせ給ひ御參り候」と「宰相殿」に泣いて訴える。怒った宰相が姫を都から追放すると、これに同行して思いを遂げるのだ。
 さて、ヤマト朝廷である。彼らの始祖は船でやって来る。その始祖は根拠地を得る為に、目を覆うような卑劣な手段で先住者を滅ぼしていく。九代までは大和の一隅の支配者に過ぎないが、十一代の折、播磨(針間)と婚姻外交を行い、間の「狗奴この国」を滅ぼし支配領域が巨大化する。
 兵庫県西宮市には「えべっさん」で有名な西宮神社がある。この境内には「兒社このやしろ」と呼ばれる小さな祠がある。「梁塵秘抄」(四一六番)にも歌われる祠だ。祭神は不明だが取り敢えず「兒尊このみこと」と名付けられている。この「兒この」と「狗奴この」が関係あるとの考えは付会に過ぎるだろうか。だが、「狗奴この」の信仰する神を外部から見ると、これは「この神」であり、古い神が「チ」であるならば、「この神」は「このち」であり、さらに「の」が多く「つ」と表現されることから思うに、これは「こつち」でもある。すなわち「小槌」だ。そして、西宮神社の西隣り(現在の区分では隣接しているわけではない)には「打出町」があるのである。
 ヤマト朝廷は「狗奴この国」を滅ぼし、すなわち「狗奴神こつち」を手中にして強大になるのである。
 「お椀の舟」は「神武の船団」、「針の刀」は「播磨の勢力」、「打出の小槌」は「狗奴神こつち」、「一寸から人並みの身長」は「支配領域の拡大」とそれぞれ類似する。残りは一寸法師の策略に嵌った「姫」である。これを卑弥呼・壹与たち女王を始祖とする「九州王朝」と見るかどうかは、はなはだ疑問ではあるのだが、年齢の明記されている壹与の即位年齢が「一三歳」であることを思えば、必ずしも言い過ぎではあるまい。
 以上、一寸法師とヤマト朝廷発展史との類似が果たして妄想か否か?
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 今号も、二分の一頁穴が空き、ヨタ話で穴埋めするはめに。但し、原稿が無いわけではなく穴に比して長かった為。行数ピッタリの作文に苦労しました。 (西)


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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