2007年12月 8日

古田史学会報

77号

日本書紀、
白村江以降に見られる
三十四年遡上り現象
 正木 裕

2古田・安川対談
『東日流外三郡誌』
と「福沢諭吉」
 大下隆司

九州古墳
文化の展開(抄)
 伊東義彰

装飾古墳に
描かれた文様
蕨手文について
 伊東義彰

九章算術の短里
 泥 憲和

6彦島物語IIー外伝I、
多紀理毘売と田心姫
(前編)
 西井健一郎

7 『 彩神 』第十一話
 シャクナゲの里2
 深津栄美

最後の九州年号
「大長」年号
の史料批判
 古賀達也

9書評
遣唐使・井真成の墓誌
 水野孝夫
 事務局便り

 

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古田・安川対談について

『東日流外三郡誌』と「福沢諭吉」

豊中市 大下隆司

 八月三十日、京都のアバンティホールで「福沢諭吉論」を中心とする古田先生と安川寿之輔氏(名古屋大学名誉教授)との対談がありました。安川氏は最近の著書『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』において古田先生の『真実の東北王朝』に書かれている「天は人の上に人を造らず・・・」の古田説の支持を表明され、これが今回の対談に結びついたものです。
 通常、福沢諭吉といえば、「一万円札、天は人の上に人をつくらず・・・、慶応義塾の創始者」が思いうかび、明治の開明的自由主義者と見られていますが、安川氏は、福沢のアジア蔑視と偏見、帝国主義的指向を洗い出し、「福沢神話」を根底からくつがえす論を展開されています。この京都での対談は夕食も含め五時間におよぶもので、福沢論からその他一般的な問題、差別や女性問題、戦争問題などが語られました。対談の要旨について報告いたします。

 

一.「天は人の上に人を造らず・・・」の出典
(『真実の東北王朝』における福沢諭吉論)

1.古田説
 福沢の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云えり」は、『東日流外三郡誌』にある秋田孝季の言葉からの引用で福沢の言葉ではない。その根拠は、
(1) 「祖訓の一句を福沢諭吉先生がご引用仕まつり・・・」と記載された和田長三郎末吉氏の文章。(秋田孝季ゆかりの秋田子
爵を通じて、末吉は『東日流外三郡誌』の一節を福沢諭吉に見せた、また会ったと考えられる)
(2) 福沢はこの文章を記し、最後を「云えり」で結んだ。これは何者かからの引用であることを示している。
(3) ただしこの引用は、米の「独立宣言」、仏の「人権宣言」など欧米の書物には「翻訳の原本」はどこにもない。これに対し、『東日流外三郡誌』には、おびただしく存在する。
(4) この言葉が古代東日流の「安日彦・長髄彦」の時代になく、平安時代の「安倍頼時・貞任」の時に現れるのは、古代東日流に差別はなく、平安時代に「近畿天皇家の暴虐と差別」が東日流に押し寄せたため。これがこの本の信憑性を証明している。いつか「福沢先生に帰せられていた栄誉は、一挙に逆転して、・・・古代東日流人の独創であったことを、結局、万人は承認せざるをえないであろう」。
(5) 『学問のすすめ』の冒頭の一句は、福沢の思想になじまない。本質的に福沢は「差別論者」である。

2.安川氏意見
 従来は、諭吉自身が翻訳した「アメリカ独立宣言」にヒントを得て福沢が考え出した文章であるとの説を踏襲していたが、古田説の(1)(3)(5)から、従来の踏襲は撤回して、古田説を基本的に支持する。(『東日流外三郡誌』、『真実の東北王朝』の引用箇所以外は未見・未読ゆえ全面的に古田説を支持する資格はない)
 長年にわたり消えなかった疑問が古田説に依拠することにより、下記のように考えれば合理的に理解できる。
(1) 福沢にとり西欧文明の精神こそが基本的な価値の観点であり、『学問のすすめ』では文章の出典を積極的に紹介している。なぜ「天は人の上・・・」の出典を紹介せず、生涯それに触れなかったのか?
(2) 福沢は自慢話に類することは結構言及しているが、西欧文明がプラスで東洋文明や明治以前の日本文明をマイナスとする彼にとり、津軽地方の豪農の屋根裏に存在した『東日流外三郡誌』が出典では、自慢話の対象にする類のものではなかった。

 

二.安川氏の「福沢諭吉」問題認識

1.日本とアジア諸国との歴史認識の溝
(1) 日本の最高額紙幣の肖像である福沢諭吉は、日本人にとってはまちがいなく近代日本最大の啓蒙思想家であり、近代日本の「民主主義」の先駆者である、とされている。
(2) 一方、韓国・台湾では「福沢は最も憎むべき民族の敵」として否定され、大学での福沢の研究すら難しい状況にある。
 福沢のアジア認識の体系的な解明をとおしてこの溝を埋めてゆく。

2.「明るい明治」と「暗い昭和」の分断、 司馬史観の是正
 明治「政府のお師匠様」を自負していた福沢諭吉を、日本近代化の道のり総体の「お師匠様」と位置づけなおすことをとおして、「明るくない明治」と「暗い昭和」に

学問的な架け橋をかけることによって、日本近代史像の分断の克服に寄与する。

3. 戦後民主主義の問い直し
(1) 戦後日本の社会はタナボタで転がり込んだ戦後民主化路線の追求に走り、昨日までの半世紀をこす侵略戦争と植民地支配に対する日本社会と日本人の戦争責任問題を放置した。
(2) この侵略戦争に思想的におおきな影響を与えた「福沢諭吉」を、丸山真男が「典型的な市民的自由主義者」として造型し、その影響で、新聞紙上では日経から朝日、赤旗までが福沢の美化をしている。
(3) 「戦後民主主義をリードした代表的政治学者」である丸山の福沢研究を問い直す作業を行うことは、戦後民主主義を問い直すことにつながる。
 戦後の福沢諭吉研究にもっとも大きな影響を与えた丸山真男の福沢研究のおおはば見直しをこころみる。

 

三.安川氏「福沢諭吉論」の展開と論争

1.〇〇年十二月 安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識・日本近代史像をとらえ返す』出版。
2.〇一年二月 福沢命日コラムで日経から朝日、赤旗まで福沢美化の文章を綴る。
3.〇一年十二月 井田進也『歴史とテクスト』を出版、福沢の美化。
 福沢の論説を分析し、「語彙、表現、文体の特徴、筆癖」から福沢度をA〜Eまで5段階にわけ、福沢の筆、弟子の書いたものの認定を行う。岩波の『思想』に掲載される。
4.〇三年七月 安川寿之輔『福沢諭吉と丸山真男・「丸山諭吉」神話を解体する』出版。
 丸山の福沢論は諭吉の客観的な像でなく、丸山の思い込みで、諭吉を「典型的な市民的自由主義者」としたのは誤りであることを論証。丸山門下生、その他の研究者からの反論もなく、安川主張は認められたと判断されている。
 丸山自身も晩年自分の誤りを認識した模様であるが、自分の福沢論を基本的に組みかえる時間がなく、亡くなられた。
5.〇四年八月 平山 洋『福沢諭吉の真実』を出版。
 安川氏の「福沢諭吉」論を批判し、福沢の侵略主義賛美の論説はすべて弟子の石河幹明の作とし、丸山以上に福沢の美化をはかる。
6.〇六年七月 安川寿之輔『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』を出版
 朝日、毎日を始めとする、マスコミが平山氏の『福沢諭吉の真実』を絶賛したため、安川氏が、いかに平山論説が杜撰であるかを論証。
7.〇六年八月 平山 洋 安川『福沢諭吉の戦争論・・・』に対する反論をHPに掲載。
 安川氏が「福沢の、侵略主義の証拠として挙げた論説」、に対し、平山氏が「アジア侵略者、アジア蔑視者という福沢像には、根拠がない」とインターネット上で批判。
8.〇六年八月 古田・安川対談
・安川氏が平山氏の批判にたいし逐一的に反論。

 

四.対談の内容:「福沢諭吉論」

1.安川氏説明
(1) 新刊『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』を贈呈した方からの反響。
 古田氏の『真実の東北王朝』に言及された方が6名いた。5名が古田説支持
1名が東日流外三郡誌偽書説をコメントし、古田不信。
(2) 平山洋氏の「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』批判」に対する安川反論。
 平山氏が、「侵略主義的、アジア蔑視の論説は福沢でなく弟子の石河幹明の書いたもの」で、安川氏の「福沢の、侵略主義の証拠、として挙げた論説は根拠がない」として安川論の批判をHP上で逐語的註として掲載。
 これに対し安川氏が平山指摘の一二九ヶ所の内の最初の二七ヶ所につき逐一的にその反論を説明。平山氏の安川批判の根拠があまりにも杜撰で、論理展開が無茶苦茶なことを証明。

2.古田先生の考え方
(1) 時事新報の編集責任
 時事新報に載せられた、アジア蔑視、帝国主義的な論説は、福沢が書いたか、弟子が書いたかの議論がなされているが、福沢は時事新報のオーナーであり、総合編集責任者であったのだから、その新聞に書かれたものについては福沢に責任がある。

(2) 福沢諭吉
(1)封建時代が産んだ人である(男性を中心に考えていた)
 「天は人の上に・・・」は、「男は」と前提をいれて読むべき。女性のことは頭に入っていなかったと考える。
 息子の教育には熱心であったが、娘の教育はそれほどでもなかった。
 江戸時代=階級社会、福沢はこれから抜けられていない。維新の時は三十二歳でありすでに考え方は固まっていた。

(2)「たてまえ」と「本音」を使い分ける人
 福沢は『帝室論』において「天皇制は愚民を籠絡する・・・欺術」と言っているが、一方では天皇を絶対化している。彼の中では「天皇制を非難するやり方」と「天皇絶対視」のやり方が両立している。
 われわれは思想には発言責任があると思っているが、そのようなものの考え方を福沢にをあてはめたら、福沢は見えなくなる。

(3)福沢の戦争責任
 日本軍が中国において残虐行為を行った。この精神的土壌(中国人蔑視)を作ったのが福沢諭吉。

(3) 丸山真男
 丸山真男の「荻生徂徠」は仮説や概念を持ち込んでそれに合わせて論を進め、 合わない所はカットするやり方であるが、これはだめで、学問は「ありのままに対象を理解してゆくスタイル」でなければならない。

 

五.対談の内容:その他一般のテーマ

 対談の後半においては下記テーマなどについての話が行われました。
(1) 小泉の靖国参拝と十五年(アジア・太平洋)戦争(安川氏)
(2) 戦争責任(古田氏)
 太平洋戦争(大東亜戦争)、中国大侵略、ソ連の満州侵攻、従軍慰安婦
(3) 教科書検定、憲法九条(古田氏)
(4) 差別問題(古田氏)
 差別語、差別運動、部落語、東日流外三郡誌における差別
 今回の対談について、本として出版されることが企画されていますので詳しい内容については本の出版をお待ちください。

 

六.対談に出席して

 福沢諭吉がそれほどひどい人物であったのか、また明治時代の歴史といえば、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に代表される司馬史観が正しいと思っていたがまったく別の見方があることに驚きました。小生、近代史についてもほとんど知らないといっていいのですが、大変よい勉強をさせていただきました。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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