2007年 4月10日

古田史学会報

79号

バルディビア探求の旅
倭人世界の南界を極める
 大下隆司

2洛中洛外日記より転載
 九州王朝と庚午年籍
 古賀達也

日本書紀の編纂
 と九州年号
三十四年の遡上分析
 正木 裕

4冨川ケイ子氏 
【武烈天皇紀における
「倭君」】を読んで
 永井正範

『日本書紀』中
の「百済本記」記事
 飯田満麿

6 彦島物語IIー外伝I
 胸形の三女神
 多紀理毘売
と田心姫(後編)
 西井健一郎

巣山古墳第七次調査
 現地説明会
 伊東義彰

 事務局便り

 

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続・「バルディビアへの旅」 九州の甕棺と縄文土器 へ


バルディビア探求の旅

倭人世界の南界を極める

古田史学の会・事務局次長 (豊中市) 大下隆司

 二月十三日〜二十三日まで古田先生一行に通訳として同行しエクアドルを訪問しました。訪れた博物館では縄文だけでなく、弥生時代の日本のものに似た出土品との連日の遭遇、また南米から日本へバルサ材を組んだ筏で乗り出そうとしている日本の青年との出会いなど好運にめぐまれ、素晴らしい旅になりました。道中の古田先生のお話をもとにして、以下まとめましたので報告いたします。

 

一.中国史書の現実性

 日本の弥生時代に相当する出土物がエクアドルででていることから
○また裸国・黒歯国あり、またその東南にあり。船行一年にして至るべし。(魏志倭人伝)
○建武中元二年・・・、倭国南界を極めるや。光武、賜うに印綬を以てす。(後漢書倭伝)
○侏儒より東南船を行ること一年。裸国・黒歯国に至る。使駅の伝うる所ここに極まる。(同)

 倭人の住む東南の果ては裸国・黒歯国でそこへ倭国はいっていたという、これらの中国史書が俄然現実味を帯びてきました。魏志倭人伝に書かれているのは弥生時代。裸国・黒歯国から弥生のものが出るのは当然のことと考えられます。

 

二.エクアドルにおける甕棺

 着いたその日の午後に訪問した文化の家博物館にありました。この甕棺は二個の甕を開口部で合わせたもので内部では、遺体を屈葬する形態がとられています。ただし九州のものが横たえられているのにくらべここのものは垂直に立てられていました。博物館の説明では時代は紀元前五百年とのことでした(他の博物館での甕棺は紀元後五百年など時代についての説明はまちまちでした)。
 その後に訪れたキトーの中央銀行博物館では、入り口にトーテムのように高く積み上げられている甕棺がおいてありました。エクアドルにおいて甕棺は長い時代にわたって、また使われていた場所もアマゾンにまでおよぶ広大な地域に、さらに近年では水の浄化用壷として使用するなど、多様な使われ方がされていたようです。

 

三.黒曜石の鏡

 キトーの中央銀行博物館では直径十センチほどの素晴らしくきれいに磨かれた黒曜石の鏡を見ることができました。古代のシャーマンが呪術に使っていたようで、紀元前二千年の海岸地帯で出土しています。エクアドルにおける黒曜石の山地は首都キトーの近くの火山地帯に限られており、古代に沿岸地域の人々がアンデスにまで足を伸ばし、黒曜石や同じく呪術に使うコカを手に入れていたと考えられます。
 黒曜石の鏡の面は水晶でみがかれています。またここの黒曜石は鏡以外に、その他の地域と同じように鏃や削器などに使われています。

 

四.能面「翁」に似た人面

 エクアドルの北部沿岸、コロンビアに近いところにトリタという古代の遺跡があります。そこでは多くの土偶、人面がでています。最終日に訪れたグアヤキルの人類学博物館の修復作業場に保管されている人面の中に能の「翁」によく似た面を見ました。これらトリタの土偶は紀元前4〜6世紀のもののようです。古田先生の言素論に従えば、鳥浜のトリ、太郎のタ、又は田んぼのタ、と古代縄文語できっちりと説明の出来る地名です。バルディビアの北の方にも古代日本人が住んでいた可能性があります。または古代エクアドル人がそれらを弥生人に伝えたか!

 

五.黒歯国・裸国について

 バルディビアでは古代のシャーマンがアンデスから取り寄せたコカの葉を灰などと混ぜて口に含んでトランス状態になっていました。この時にコカのために口の中は黒く染まります。これを黒歯国と呼んでいたのではないかと考えられます。また言素論によるとラは浦(ウラ)の古代形で裸国は浦国になります。日本各地で多く残っている浦島伝説は遠くエクアドルまで黒潮に乗っていって、帰ってきた人達の話である可能性があります。
 今後各地に残っている伝承の詳しい調査が必要になってきました。

 

六.現地に残る古代日本語

 エクアドル沿岸地域にトリタ以外にハマ、マナビなど言素論で説明できる地名が残っています。また南の方、日本人と同じ遺伝子をもつミイラの見つかっているチリ北部にはアリカという地名もあります。また、藤沢氏によるとチチカカ湖も現地のアイマラ族の言葉では「神聖な神の水」と古代縄文語と同じ意味となっています。インカ以前のインディオの言語の研究、また現地地名の詳しい調査が必要です。

 

七.エクアドル→日本への航海

 バルサの筏で日本をめざそうとしているのは千葉県出身の日暮邦行氏(二十九才)です。一年少し前に良質のバルサ材のあるエクアドルに入り、在留邦人、エクアドルの海洋学者、エクアドル海軍などの協力を得てバルサ船の建造を始め、これがようやく出来上がり海流の好転する四月の試運転をまつばかりになっています。彼の計画は「(1)エクアドル沿岸での訓練航海。(2)メキシコ沿岸に向かう古代エクアドルーメキシコの交易路の実証のための航海。これが成功した後に(3)北赤道海流にのり日本に向う」というものです。古田史学の会のホームページを読み古田先生の説をよく理解されていました。彼の船が出来上がったちょうどその時に古田先生がエクアドルに着かれたことは不思議なめぐり合わせだと感じました。
 現地へついて二日目に一行二五名でバルディビアを訪問しました。真っ青な太平洋に面した漁村です。海岸では地引網で魚をとっており、空にはかもめ、軍艦鳥などが舞い群がっていました。村にはバルディビアの出土物を展示した資料館があり、村長さん以下村の幹部が総出で我々を歓迎してくれました。
 歓迎のセレモニーでの村長さんのスピーチで「今までは、アメリカの考古学者の影響を受けているエクアドルの考古学会と、その意見に従っている政府関係者の圧力で、太平洋を渡る交流は公にすることは出来なかった。しかし、太平洋伝播説を証明する新しい発見が次々にでてきて、これだけの事実をいつまでも覆い隠すことは出来なくなってきたので、二年前にこの資料館の建設を始めた。特にバルディビアの若い人たちに、彼らを正しい未来に向って導くには、真実の歴史を知らしめす必要があると考えたのがこの決断の大きな要素です。今日、日本の兄弟の人たちがたくさんきてくれて大変うれしい。バルディビア文化の時代から数千年たったが、再び、日本の兄弟との交流を再開できることをうれしく思っています」と熱く語っていたのが印象的でした。
 なお今回の旅行で、バルディビア遺跡の発見をされた故エミリオ・エストラダ氏の娘さんのグロリアさん、お孫さんのアレクシアさんにお会いできました。アレクシアさんからは、一行二十五名を前に故エストラダ氏の業績のプレゼンテーションをしていただきました。 また太田覚眠の研究をされている松本郁子さんのご親戚で、現地で商社をもたれている今井邦昭さんがちょうどグアヤキルにおられて、直前の連絡にも関わらず、我々の調査活動にたいし、誠にありがたいサポートをしていただきました。また今井さんのお声がかりで十一名の在住日本人の方が集られ、古田先生の講演を熱心に聞かれました。今回の旅行が、これからのバルディビアと日本の関係強化の最初のステップになることを確信しています。

インターネット事務局注記2009.11 写真の掲載は今回は略


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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