2010年8月8日

古田史学会報

99号

1, 「公地公民」と
「 昔在の天皇」
 正木裕

2,記紀、私の楽しみ方
隠されていた和珥氏伝承
 西井健一郎

3,「天 の 原」はあった二
古歌謡に見る九州王朝
 西脇幸雄

4,星の子1
  深津栄美

5,伊倉 十三
天子宮は誰を祀るか
  古川清久

6,古田史学の会
第十六回
定期会員総会の報告
会計報告(ともに略)

7,穴埋めヨタ話4
 少童考
 西村

 

古田史学会報一覧

「天の原」はあった -- 古歌謡に見る九州王朝 西脇幸雄(会報98号)
古歌謡に現れた「九州王朝」の史実 西脇幸雄(会報105号)

「三笠山新考」和歌に見える九州王朝の残映 古賀達也(会報98号)


「天の原」はあった(その二)

古歌謡に見る九州王朝

東京都世田谷区 西脇幸雄

 前稿で著名な歌に詠われている「天の原」は、大空などは意味しないことを、古今集の安倍仲麻呂の歌について例証しました。
 今回は、万葉集の和歌を調べて、天の原が壱岐の天の原でなければならないことを論証したいと思います。一応、前回の論証結果を再説します。(注1)

 

第一章 天の原は倭国の祈りの場

       安倍仲麻呂
  天の原ふりさけみれば春日なる
  三笠の山にいでし月かも
      (古今集 巻第九「羇旅」)【大意】天の原神宮で航海の無事を心ゆくまで祈っておりました。祈りを終えて、その場を退出してみますと、春日の三笠山から煌煌とした月が差し昇ってきたではありませんか。ああ、これで明日は晴れるなあ(航海の無事が約束されたのだなあ)。
壱岐の天の原で、航海の無事を祈ったものです。従来の解釈は、唐の明州で月を見て、日本で見た月を思い出して懐かしんだというものです。

【従来の解釈】「通解名歌辞典・武田祐吉著」(注2)
大空を遠く望むと、今しも月がのぼってきた。あの月は、その昔わたくしが故郷にいた時見た、春日にある三笠の山に出た月と同じであろうか。ああなつかしい月だ。

 筆者の解釈のポイントは、“天の原”が「空」などではなく、歌を詠んだ場所であるということと、“ふりさけ”が“ふりさく”の連用形で、“十分に振る”という古神道に関係した用語で、「(海の神の)鎮魂(たましずめ)の儀式を十分に行う」ことを意味する歌語であるということです。「三笠山」は、北部九州の春日(当時)の山の名です(注3)。また、“いでし月かも”は、「今まさに月が出た」との表現で、助詞“かも”は、直前の体言節または用言節を受けてそれを繰り返す意味の、強い詠嘆を表します。「月がでたなあ、出たんだ月が」ということです。
 これで思い出すのが、筆者の子供時代の風習「月見」です。中秋の名月に、ススキと団子を供えて鑑賞するということがまだ各地で実際に行われていました。これはただ単に月を鑑賞するなどということではなく、月の神に祈るという習俗が形を変えて伝承されてきたものです。この歌の精神と通ずるものがあり、感懐に堪えません。
 それでは、この解釈に当たる用例がほかにあるでしょうか。
 万葉集には、“天の原”を歌った歌が、十五首載せられています。

 

第二章 「天の原」と満月の歌

 そのうちの一首を検討しましょう。
  万葉集巻第三 二八九
(原文)間人宿祢大浦初月歌二首
 天原 振離見者 白真弓
 張而懸有 夜路者将吉
 「万葉集 全訳注原文付」(注4)では、
 間人宿祢大浦(まひとすくね)の初月(しょげつ)の歌二首
 天あまの原(1)ふりさけみれば白真弓しらまゆみ(2)張りて懸けたり(3)夜路よみちは吉よけむ(4)
 1→一四七2白真弓=白檀で作った弓か。白木の弓ともいう。初月の形容。初月は新月━三日月をいう。3張ルも懸クも他動詞。主語は天か。4形容詞の未然形+ム。ヨシは実際上夜道が明るいとともに情趣上もよい意。 
○大空をふり仰いで見ると、白い真弓を張って空にかけたように月が照っている。夜道はよいことだろう。
 この解釈でよいのでしょうか。筆者は、次の歌謡曲を思い出しました。
 月がとっても青いから
 遠廻りして帰ろ
 あのすずかけの並木路なみきじを(以下略)
 (月がとっても青いから・作詞清水みのる・昭和三十年)

 モチーフとしては、この歌と同じです。菅原都々子の独特の節回しで、戦後大ヒットした名曲で、筆者はこの唄が大好きです。これは恋人同士が、夜そぞろ歩きをしている情景です。でもこの万葉集の歌が「空に三日月が出て、夜道も情趣があってよい」というそんな歌でしょうか、これでは内容の乏しい歌のような気がします。これはそんな歌ではありません。
 それでは、どのように理解するべきでしょうか。
▼天の原ふりさけみれば=第一章で解いたように、天の原神宮での鎮魂(タマフリまたはタマシズメ)の儀式を終えて見ると、ということです。
▼白真弓=この時代は、まだ良い竹がわが国に渡来していないか、または多くなかったため、檀(まゆみ)の木でつくった白木の弓です。檀は山野に自生するニシキギ科の落葉高木で、材質が堅いため弓に利用されていました。
▼張りて懸けたり=“白い真弓を張って空にかけたよう”と解釈していますが、“弦を張って”の意味でしょうか。ハッキリしません。弦を張っていないものは弓とは言わないのです。これは、白真弓の弓を引き絞って空にかけたようだの意味で、満月の形容なのです。
▼初月の歌=初月は三日月を指しますが、実はこの万葉集巻第三の編者(未詳)の誤断で、この歌は満月を詠ったものなのです。
▼夜路=ヨミチではなくヨルジで、夜の航海を指します。従来説は、月が出て情趣が良いとか安全であるなどと解釈して

いますが、そもそも夜道などという理解では、まるで暗がりを怖がる小学生の歌です。従って、この歌は、こう解釈すべきです。
 天の原ふりさけみれば 白真弓
 張りて懸けたり 夜路よるじはよけむ
●天の原神宮で鎮魂(たましずめ)の儀式を熱心に行いました。退出してみますと、白真弓を引き絞って空に掛けたような満月が出ていました。これは必ずや夜の航海が無事であるとの神様のお計らいであります。
 この歌はあまり知られていませんが、第一稿で解明した、安倍仲麻呂作(?)の歌と同じく、倭国の歌人の切々たる思いが強く伝わってきます。街灯もビルの明かりもない、真っ暗な中で煌々と月が輝いている情景が目に浮かぶような名歌と言うべきです。

 

第三章 「天の原」と漁火の歌

 次の歌、
 万葉集巻第六 九八三
(原文)山葉 左左良榎壮士
 天原 門度光 見良久之良藻
  右一首謌、或云月別名曰佐散良衣壮子也、縁此辞作此謌
 山の端のささらえ壮子おとこ
 天の原と渡わたる光見らくしよしも
  右の一首は、或は曰はく「月の別の名をささらえ男といふ・此の辞に縁りて此の歌を作れり」といへり。
「中西進 万葉集」(注4)によると
○山の端にいさようささらえ壮子よ、天空を渡っていくお前の光こそ見ると美しいことだ。
「新日本古典文学体系 万葉集」(注5)では、
○山の端の「ささらえ男」が天の原を渡る光を見ることは良いことだ。
 この二つの解釈とも残念ながら支離滅裂です。天の原を空としていますが、「と渡る光」を解釈できていません。「中西万葉集」では、「月が空を渡るのを見て作者が美しいと思っている」との解釈です。しかし、「よしも」というのは美しいという意味はありません。
 後者(岩波本)の解釈は、山の端のささらえ男(=月)が見る「天の原を渡る光」とは、一体何を指すのでしょうか。なぜそれを見ると良いのでしょうか。全く意味不明です。
▼この歌は、ささらえ男という言葉がキーポイントです。月といえば良い所をなぜわざわざこのように言ったのかを考えなくてはなりません。それには、“と渡る光”が何を意味するかが分からなければなりません。“と渡る”は原文で“門渡”とありますが、「門」は「瀬戸」のことで海峡を指します。天の原は勿論壱岐の天の原です。
 と渡る光 とは、海峡を行く船のかかげる光です。漁船の漁火と見て間違いないでしょう。現在も、日本列島の周りに点々と灯る、夜出漁するイカ釣り船の明るい光が衛星写真で撮影されています。当時からこのような漁を行っていたとはまさに驚きです。この歌は、当時の風俗・習慣を知ることのできる貴重な名歌です
 そして、“ささらえ男”と月を呼ぶ裏には、と渡る光を操作する作者の“え男”つまり作者の夫もしくは恋人が、暗喩されているのです。天の原は壱岐の天の原だといいましたが、壱岐の北部には、「大瀬戸」、「中瀬戸」、「博多瀬戸」があり、壱岐南部には、「大島瀬戸」など海峡が現にあります。おそらく格好な漁場だったのでしょう。その付近で遊漁している夫の身を案じている作者がいるのです。字面には出ていませんが、天の原で漁の安全を祈願したはずです。その結果が、「ささらえ壮子」たる満月が出て、夫の船を明るく照らしているのです。擬人化した「ささらえ壮子」が見ている(=照らしている)のは作者の「え男」が操る船の「と渡る光」なのです。女性の作者は「よしも」と大きな安堵の息を漏らしたのです。
 山の端のささらえ壮子天の原
 と渡る光見らくしよしも
●夫の漁の安全を祈願しました。山の端から顔を出したささらえ壮子(をとこ)たるお月様が天の原の瀬戸で漁をする私のいいひとの船を照らしてくださるとはなんともありがたいことです。
もうひとつ天の原が地名である例をあげましょう。

 

第四章 「天の原」と満月の歌(その二)

万葉集巻第十 二〇五一
(原文)天原 往射跡 白檀 挽而隠在 月人壮子
 天の原ゆきていてむと白真弓しらまゆみ
 引きてかくれる月人壮子つきひとおとこ

「新日本古典文学大系 萬葉集」(注5)には
○(大意)天の原に行って射ようと、白真弓を引きながら隠れている月人おとこよ
▽ 月を弓に譬えることは、三日月を「天の原振りさけ見れば白真弓張りてかけたり夜道はよけむ」(二八九)と詠んだ例があった。ここは、七日の上弦の月が西空に傾き沈むのをこう表現した。七夕詩の多くに(中略)などと月を描くのを承けて、七夕の夜の一点景として詠んだのであろう。
 としています。「七夕の夜の一点景」と言うところをみると、“天の原”を空と解釈しているようです。ところが、「天の原に行って射ようと」とあるので、地名とみているようでもあります。“天の原”に行ったのは誰でしょうか?「白真弓を引きながら隠れている」のは誰なのでしょうか?“月”なのですか?それでは、白真弓で何を、誰を射ようとしているのでしょうか?クエスチョン・マークだらけです。
 残念ながら歌の解釈になっていません。筆者の解釈は以下のようです。
▼ 歌の作者が過日、天の原神宮で願かけをしたのです。その願いがかなわなかったので、お月様を射落としてくれようと白真弓を引き絞ったら、あにはからんや、お月様が山の端に隠れてしまったよと冗談めかして詠んだ歌です。
第一章で述べたように、願掛けをするのは、上弦の月でも七夕でもありません。

十五夜お月様すなわち満月に向かってするので、これは満月なのです。また「挽而隠在(ひきてかくれる)」としていますが、これは、「ひきてかくれたる」とするべきでしょう。
 天の原ゆきて射てむと白真弓
 引きてかくれたる月人壮子
●この間の願いが叶わなかったので、(壱岐の)天の原に行って射落としてくれようと白真弓を引き絞ったら、あらあら、お月様は山の端にお隠れになってしまったことです。

 以上の四首の歌で明らかなように、“天の原”を“空”としたのでは、全くもって正しい解釈に到達することができません。ここで歌われているのは壱岐の天の原であり、しかもそこが倭国(九州王朝)の祈りの場であることを明白に示しています。
(ニ〇一〇・六・ニ〇)

注1 天の原はあった 古歌謡に見る九州王朝(西脇幸雄・古田史学会報No.九八号・二〇一〇)
注2 通解名歌辞典(武田祐吉・森北出版・一九六九)
注3 「三笠山新考」和歌に見える九州王朝の残映(古賀達也・古田史学会報No.九八号・二〇一〇)
注4 萬葉集一全訳注原文付(中西進・講談社文庫・一九七ハ)
注5 萬葉集ニ(新日本古典文学体系)(佐竹ほか校注・岩波・一九九九)


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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