2010年8月8日

古田史学会報

99号

1, 「公地公民」と
「 昔在の天皇」
 正木裕

2,記紀、私の楽しみ方
隠されていた和珥氏伝承
 西井健一郎

3,「天 の 原」はあった二
古歌謡に見る九州王朝
 西脇幸雄

4,星の子1
  深津栄美

5,伊倉 十三
天子宮は誰を祀るか
  古川清久

6,古田史学の会
第十六回
定期会員総会の報告
会計報告(ともに略)

7,穴埋めヨタ話4
 少童考
 西村

 

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割付担当の穴埋めヨタ話4

少童考

西村秀己

 「少童」と書いて「ワタツミ」と読む。海神の謂いだ。日本書紀には「又生海神等。號少童命」とあり、その訓注には「和多都美」とあるし、古事記では「綿津見」であるから、これはまず間違いの無いもののように思える。
 ところが、一カ所だけこれと矛盾する記述が日本書紀にはあるのだ。
 神代第八段本文「毎年為八岐大蛇所呑。今此少童且臨被呑」すなわち奇稲田姫が「少童」とされている。所は「出雲國簸之川上」なのだから、海とは何の関わりも無い山中の事件。奇稲田姫が海神の筈がない。 
 この矛盾には、二つの理由が考えられる。ひとつは、この奇稲田姫の段が例えば「少女」の誤記であった場合。もう一つは、「ワタツミ」が阿礼若しくは安麻呂(書紀編纂者を含む)の誤読であった場合だ。そもそも、「少」に「ワタ」などという読みはないし「海」という意味はない。日本書紀における「少」の用法は「若い」か「小さい」の二つである。そして「多」と「哥」は混同されやすい。「和多都美」が「和哥都美」であった場合、「ワカツミ」は「幼い女神」の謂いである。「日向の橘の小戸」で生まれた筒男たちは「ワカツミ」すなわち「幼い女神」とセットで生まれることになる。
 さて、この判断どちらが論理的か?或いは意味がないのか?(西村)
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 次号はいよいよ一〇〇号です。良質の論文の投稿をどしどしお願いします。西


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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