2022年10月12日

古田史学会報

166号

1,竹内強さんの思い出と研究年譜
古田史学の会・代表 古賀達也

2,「自A以東」の用法
古田・白崎論争を検証する
 野田利郎

3,九州王朝の天子の系列(下改め3)
『赤渕神社縁起』と伊勢王の事績
 正木裕

4,『無量寺文書』における
斉明天皇「土佐ノ國朝倉」行幸
 別役政光

5,狂心の渠は水城のことだった
 大原重雄

6,「壹」から始める古田史学 ・三十二
多利思北孤の時代 Ⅸ
多利思北孤の「太宰府遷都」
古田史学の会事務局長 正木裕

 

古田史学会報一覧
ホームページ

『古田史学会報』採用審査の困難さ 編集部 古賀達也 (会報163号)
明帝、景初元年短里開始説の紹介 -- 永年の「待たれた」一冊 『邪馬壹国の歴史学』 古賀達也 (会報165号)
書評 荊木美行『東アジア金石文と日本古代史』斜め読み 古賀達也(会報167号)

「和田家文書『北斗抄』に使用された美濃和紙を探して」 『和田家資料3 北斗抄』(北方新社)


竹内強さんの思い出と研究年譜

古田史学の会・代表 古賀達也


 令和三年九月十八日、古田史学の会・東海の会長、竹内強さん(古田史学の会・全国世話人、愛知県阿久比町議)がご逝去されました(享年七一歳)。謹んで哀悼の意を捧げます。
 昨年の暮れ、竹内さんからお電話がありました。手術入院するとの連絡でした。病状がかなり悪いようで、「古賀さんへのお別れの電話になると思う」と言われ、「お互い、まだ使命があります。使命を果たすまで死ぬことはできません。古田先生ならもっと頑張れと言われるはずです」と励ますことしか、わたしにはできませんでした。そして、今年春のお電話が最後の会話となりました。
 竹内さんが阿久比町議になられ、研究の第一線から退かれてからも、名古屋出張のおりには夕食をご一緒していました。学問研究のこと、古田史学の将来のこと、議員活動のことなど、話題は尽きませんでした。しかし、体調が良くないようでしたので、町議を引退されてはどうかと、会う度に進言しましたが、地方町議の議員報酬は少ないので若い人では生活ができず、そのため後任の候補者もなく、辞められないとのことでした。
 竹内さんが町議に立候補する際、古田先生に報告されたのですが、先生は猛反対されました。二時間にわたり立候補への思いを訴えられ、古田先生も最後には「がんばりなさい」と言われたそうです。
 竹内さんは二十年ほど前から「古田史学の会」関西例会に岐阜市から参加されていました。二〇〇三年からは、古田先生の呼びかけに応えて、和田家文書に使用された美濃和紙の紙問屋調査に入られました。そして、廃業した紙問屋の御子孫を探しだし、和田家文書の紙が明治時代の美濃和紙であることをつきとめ、二〇〇五年六月の「古田史学の会」大阪講演会で発表されました。その研究論文「和田家文書『北斗抄』に使用された美濃和紙を探して」『和田家資料3 北斗抄』(北方新社)に掲載されました(古田史学の会HPに収録)。
 その経緯を「洛中洛外日記」二五七〇話(2021/9/16)〝『東日流外三郡誌』に使用された和紙(2)〟で紹介したのですが、その翌々日に竹内さんは亡くなられました。偶然とは思えません。和田家文書偽作キャンペーンに抗して、古田先生と古田史学を守り続けてきた同志のご逝去、無念と言うほかありません。

 竹内さんの研究年譜をここに書きとどめ、弔いといたします。

【竹内強さんの研究年譜】

2003年6月:古田先生の大阪講演会(「王朝の本質 九州王朝から東北王朝へ」)に参加。先生の呼びかけに応えて、美濃和紙の調査を始める。

2005年5月:「法隆寺金石文金銅仏『笠評君観音菩薩立像』の分析」(古田史学の会・関西例会)
同年6月:「和田家文書に使用された美濃紙追跡調査」(古田史学の会・大阪講演会)
同年8月:「安倍仲麻呂『天の原ふりさけみれば…』を考える」(古田史学の会・関西例会)
同年9月:「闇の中に消された『竺志』」(古田史学の会・関西例会)

2006年1月:「和田家文書『北斗抄』に使用された美濃和紙を探して」(『和田家資料3 北斗抄』北方新社)
同年3月:「大安寺伽藍縁起並流記資財帳の中の仲天皇と袁智天皇とは?」(古田史学の会・関西例会)
同年7月:「大野城創建と城門柱の刻書」(古田史学の会・関西例会)
同年10月:「竺志考2」(古田史学の会・関西例会)

2007年2月:古田先生のエクアドル調査旅行に同行。
同年3月:「エクアドルの旅─古田武彦と共に」(古田史学の会・関西例会)
同年8月:「『上宮聖徳法王帝説』中のもう一つの九州年号」(古田史学の会・関西例会)
同年10月:古田史学の会・東海の会長に就任。その後、古田史学の会・全国世話人に就任。

2008年3月:「両面宿儺伝説についての一考察」(古田史学の会・関西例会)
同年8月:「伊予の湯の岡碑文と九州王朝論 ─白方勝氏の歴史観について─」(古田史学の会・関西例会)
同年9月:「『上宮聖徳法王帝説』再考」(古田史学の会・関西例会)
同年11月:「二人の天子と『仁王経』―『隋書』「俀国伝」日出ずる処の天子に
ついての新理解」(古田史学の会・関西例会)

2009年1月:「前期難波宮の中の九州王朝」(古田史学の会・関西例会)
同年3月: 「愛知県刈谷市の天子神社と海士族の伝播」(古田史学の会・関西例会)
2011年7月:「板付水田遺跡は弥生か縄文か」(古田史学の会・関西例会)
2013年9月:「ワニ氏の北方系海人族としての歴史的考察」(古田史学の会・関西例会)


 これは会報の公開です。新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから


古田史学会報一覧

ホームページ


Created & Maintaince by" Yukio Yokota"