2019年10月15日

古田史学会報

154号

1,箸墓古墳の本当の姿
 大原重雄

2,持統の吉野行幸
 満田正賢

3,飛ぶ鳥のアスカは「安宿」
 岡下英男

4,壬申の乱
 服部静尚

5,曹操墓と
日田市から出土した鉄鏡
 古賀達也

6,「壹」から始める古田史学
 二十 磐井の事績
古田史学の会事務局長 正木 裕

 

 

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聖徳太子の伝記の中の九州年号が消された理由 (148号)

飛ぶ鳥のアスカは「安宿」 岡下英男 (154号)../kaiho154/kai15403.html


飛ぶ鳥のアスカは「安宿」

京都市 岡下英男

一 はじめに

 「飛鳥」と書いて「アスカ」と読む。何故か?その理由については、すでにいろいろの説が報告されているが、それらにおいては、多くの場合、地名の起源だけが云々されている。いわば、一面的な地名起源譚である。しかし、「飛鳥」は、私の見るところ、地名を含めて、次のような複数の側面を持っている。
①飛鳥は、大和だけでなく、河内にもあり、河内のそれは「近つ飛鳥」、大和のそれは「遠つ飛鳥」と呼ばれている。

②好字令により、「飛鳥戸」郡は「安宿」郡になったとされている。

③奈良時代の姓において、「飛鳥」は「安宿」と同義であり、混用されている。

④『万葉集』においては、「とぶとり」と読んで、明日香にかかる枕詞として使われている。

「飛鳥=アスカ」の起源を提唱するとき、それは、これらの四項目を説明できるものでなければならない。
 以下、「飛鳥=アスカ」の起源は、古代に、「飛ぶ鳥の安宿」という形で通用していた枕詞であるとする「枕詞説」を紹介し、これによれば右の飛鳥が関係する四項目が無理なく説明できることを述べる。

 

二 飛鳥の起源としての枕詞説

Ⅰ河内湖は天然の良港、その湖畔は渡来人の安らかな宿であった

 私は、アスカの語源・由来は、漢字の「安宿」であると考えている。その発祥の地は河内(現在の大阪府羽曳野市から柏原市にかけての地域)である。古代、河内には河内湖が広がり、天然の良港として使われ、湖畔には渡来人が多く居住していた。彼らは文字などの先進の知識を持って交易などに活躍したが、そのスタートにおいては、戦乱の母国を離れた亡命者のような境遇にあったであろう。それで、彼らは河内を安住できる「安らかな宿」としたのだ。「宿」は、自分たちの母国ではない、仮の宿りの意味であろう。どのように安らかであるか。彼らはそれを、湖に飛来する水鳥が安心して眠ることができるねぐらのように安全であるという意味で、「飛ぶ鳥の」と表現したのだ。
 このように、河内が安住の地であることを強調するために、「安らかな宿」は「飛ぶ鳥の安らかな宿」と修飾されたのである。飛ぶ鳥には、朝鮮半島から亡命して来た彼らの境遇も籠められていた。この修飾語である「飛ぶ鳥の」が枕詞である。「安らかな宿」を安宿と書き、アスカと読んだ経緯を次に示す。

 

Ⅱ安宿=アスカの読みは、長谷=ハセとする読み方と同じである

 「長谷」と書いてハセと読む。何故か?「長谷」の元になったのは「初瀬」、そのまた元は「泊瀬」である。古代の交通・輸送手段は河川を利用した舟運であった。奈良県桜井市の長い谷あいを流れる大和川が大和盆地に出る、そこに船着き場があった。船着き場と言っても古代の舟運では桟橋は無く、浅瀬に舟を乗り上げて泊め、荷物の積み下ろしをしたであろう。「舟を泊める浅瀬」であるから、その場所を示すために「泊瀬」という文字をあてた。その「泊瀬」を読むにあたって、倭語の「とめる」を示唆する発音(訓読み)を用いずに、漢字の訓み(音読み)で「ハクセ」と発音した。この「長い谷の出口にある船着場」は「長谷の泊瀬」として広く知られて、「長谷の」とあれば「ああ、泊瀬のこと」と理解され、「長谷」が「泊瀬」の代わりに「ハクセ」と読まれるようになったのである。ただし、発音は次のように変化した。

 泊瀬=ハクセ→ハツセ→ハセ

 漢字表記も、発音の変化につられて「泊瀬」から「初瀬」に変化した。「長谷の初瀬」である。現在、そこには西国三十三霊場の長谷寺がある。
 「安宿」も同じであると考える。「安らかな宿」を文字、つまり、漢字で、「安宿」と書き、それを発音するにあたって、倭語の「やすらか」を用いずに、音読みで「アンスク」と発音したのだ。宿をスクと読む例は宿祢にある。この「飛ぶ鳥の安宿」という表現が広く知られて、「飛ぶ鳥の」とあれば、「ああ、安宿のこと」と理解され、ついには、「飛鳥」が「安宿」の代わりにアスカと読まれるようになったのである。発音は次のように変化したと考える。

 安宿=アンスク→アスク→アスカ

 

三 枕詞説によって「飛鳥」に関わる事項は説明できる

 枕詞説によって、先に述べた飛鳥に関する四項目が無理なく説明できることを以下に述べる。

Ⅰ遠つ飛鳥から近つ飛鳥が生まれた

 渡来人は朝鮮半島から亡命してきて、最初、河内を安住の地としたが、さらに、山を越えて大和を安住の地とする人たちもいた。河内に留まった人たちは、大和の地を、自分たちの住む河内と区別して、遠くの安住の地を意味する「遠つ安宿」と呼んだのだ。その対照として、河内を近つ安宿とする呼び方が生まれたのである。つまり、近つ安宿、遠つ安宿はある一地点からの遠近を言うのではなく、初めに遠つ安宿という呼び方が生まれたので、それに対するものとして、近つ安宿という呼び方が生まれたのだ。そうして、安宿は、その枕詞である飛鳥がよく知られるようになるにつれて、飛鳥となり、遠つ飛鳥、近つ飛鳥となったのだ。
 飛鳥(アスカ)という地名の起源が大和にあるとする場合には、当然、大和が「近つ飛鳥」であり、河内の飛鳥は遠くにあるから「遠つ飛鳥」と呼ばれるであろうが、実際には逆である。

Ⅱ「飛鳥戸」と「安宿」で読みが保存されている

 好字令により、「飛鳥戸」郡は「安宿」郡になったとされている。では、何故「安宿」が「飛鳥戸」の好字として選ばれたのか?
 いわゆる「好字令」では、良い文字として、多くの場合、読み(発音)が同じになるような漢字が用いられた。たとえば、泉→和泉、針間→播磨、木→紀伊、などである。これらの例から、文字が変わっても読み(発音)は保存されていることが分かる。飛鳥戸→安宿の場合にも、文字は異なるが、飛鳥が安宿の枕詞としてアスカと読まれるので、読み(発音)が保存されているのである。
 好字令が発せられた和銅六年(七一三)のはるか以前から、渡来人の安住の地は「飛ぶ鳥の安宿」と表現され、これが広く知られて飛鳥が地名として通用した。六世紀頃、近畿天皇家が渡来人を把握するための戸籍制度として「戸」を採用し、安宿の地を「飛鳥戸(アスカベ)」と呼んだ。その後、好字令によって飛鳥戸を二文字で表記する際、飛鳥ではなく安宿が採用された。それは、飛鳥が、本来、安宿であったという記憶によるものであろう。これにより、安宿はアスカベと読まれるようになるのであるが、旧来のアスカの読みも混用されたと考える。

Ⅲ奈良時代の姓において、「飛鳥」は「安宿」と同義であり、混用されている

 奈良時代の正倉院文書(『大日本古文書』)などでは、「飛鳥」は「安宿」と同義であり、混用されている。例えば、「飛鳥戸造黒万呂」という人物が、別の文書では「安宿戸造黒麻呂」と書かれている。飛鳥が安宿に置き換えられている、つまり、飛鳥と安宿は同義であると認識されているのである。この人物は写経に従事しており、文書は紙や筆の請求書、出勤簿など職務に関係のあるものであるから、同名異人である可能性は低い。このような例は他にも複数ある。
 それだけではない。『万葉集』において、四四七二・四四七三番歌の作者である安宿奈杼麻呂という人物は、『続日本紀』においては百済安宿公奈登麿(天平神護元年正月条)、『公卿補任』においては飛鳥部奈止麻呂と書かれている。『公卿補任』において飛鳥部奈止麻呂の名前が記載されているのは弘仁二年(八〇九)条であるが、記載の内容が、任官された人物(藤冬嗣)の母が飛鳥部奈止麻呂の娘である、というものなので、年代的に合っている。このように、奈良時代の姓においては、飛鳥部=安宿、または、飛鳥=安宿であったのである。
 ただし、正倉院文書などを見ると、安宿はアスカと読まれるケースと、アスカベと読まれるケースがあるが、先に述べたように、前者は枕詞としての飛鳥の記憶によるものであり、後者は好字令以降の知識によるものであろう。

Ⅳ『万葉集』では、「とぶとり」と読んで、明日香にかかる枕詞として使われている

 万葉集においては、ずばり、枕詞として使われている例がある。私が、飛鳥をアスカと読むと考えるに至った発端の用法である。その一例を左に示す。

飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君が辺りは見えずかもあらむ(七八番歌)

 ここでは「飛ぶ鳥の明日香」とされているが、それが意味するのは「飛ぶ鳥の安宿」である。明日香は、「遠つ安宿」と呼ばれた大和の安宿の、作歌における美称であると考える。

 以上、飛鳥がアスカと読まれるようになった起源は安宿を修飾する枕詞としての「飛ぶ鳥」であり、飛鳥に関する四項目がこの枕詞説によって無理なく説明できることを示した。次項に、枕詞についての私の考えを述べる。

 

五 枕詞の特性

Ⅰ枕詞は具体的であった

 古代は情報の伝達手段が発達していないから、ある抽象的な情報を正確に伝えるためには、その社会で良く知られている具体的なものを引き合いに出して、その情報を限定することが必要だったのだ。例えば、女性の肌の白さを伝えるとき、「白い」だけでは白さの度合いが不明である。それを明確に伝えるために「雪のように白い肌」と、良く知られている雪の白さに喩える。それが枕詞の起源である。
 したがって、「飛ぶ鳥の安宿」という時、「飛鳥」は、山脈や地形が飛ぶ鳥のように見えるなどと言う抽象的なものではなく、実際に空を飛ぶ鳥なのである。ただし、留意すべきは、枕詞がよく知られるようになるにつれて、その具体性は忘れられやすいということである。

Ⅱ枕詞は文献に登場した時点で古語である

 私は、“枕詞(または枕詞的な修辞句)は文献に登場した時点で、すなわち『記紀』『万葉集』『風土記』に記載された時点ですでに古語であった ”(近藤信義『枕詞論』)という見解に賛同する。ある社会の一部分における特定の話法がその社会全体に広まり、共通化して用いられるようになる。しかし、それが認知されて、常用されるようになるまでには長い時間が必要であったであろう。枕詞は、文献に登場した時点で、それはすでに古語であったとされる所以である。
 「飛鳥」は、「飛ぶ鳥の安宿」として使われる枕詞(修飾語)であり、それが広まって、ついには、「飛鳥」とあれば、それを「アスカ」と読むようになったのであるが、そのようになったのは『日本書紀』や『万葉集』よりも古い時代であった。しかし、それを示す史料は無い。そのようになってから、つまり、「飛鳥」を「アスカ」とする読みが人口に膾炙してから、または、膾炙したから、『日本書紀』や『万葉集』に採録されたのだから。

六 終わりに

 以上、飛鳥が関係する四項目は、枕詞説によって全て無理なく説明できることを示した。一言で言えば、「安宿」から「飛鳥」は説明できるが、「飛鳥」から「安宿」は説明できないと考える。


 これは会報の公開です。史料批判は『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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