2010年2月1日

古田史学会報

96号

1,九州年号の改元
について(後編)
 正木裕

2,橘諸兄考
九州王朝
臣下たちの行方
 西村秀己

3,第六回古代史セミナー
古田武彦先生を囲んで
 松本郁子

4,洛中洛外日記より
纏向遺跡は
卑弥呼の宮殿ではない
 古賀達也

5,「人文カガク」と科学の間
 太田齊二郎

6,彩神(カリスマ)
 梔子(くちなし)
  深津栄美

7,伊倉 十二
天子宮は誰を祀るか
  古川清久

8,年頭のご挨拶
代表 水野孝夫

綱敷天神の謎
 西村

 

古田史学会報一覧

時の止まった歴史学 ーー岩波書店に告ぐ 古田武彦


「人文カガク」と科学の間

「科学の本質は自己修正的である事だ」 カールセーガン

「古田史学を語る会・奈良」太田齊二郎

《前置き》

 私は「古田史学の会」の会員以外に、「古田武彦顕彰会・奈良」(時により「古田武彦を語る会」、「古田史学を語る会」)を主宰しておりますが、その活動は、例えば県人会の会報などへの投稿や、故郷秋田の郷土史家とのやり取り、また、旧仕事仲間の会合、ゴルフや囲碁、音楽など趣味の会の宴席、家族や親類たちの集まりなどにおいて、「古田談義」を振り撒くことにあります。
 会員は妻と二人だけですが、彼女の主な役割は、「古田史学」の紹介者としての、私の出稿前の原稿を「検閲」する事にあります。
 古代史については全く音痴なのですが、それだけに、彼女の「検閲」をパスした文章は、古代史に疎い人にも、「古史学」の中味が判って貰えるのではないかと思っています。
 この一文も、その立場からのものですが、教育学部のゼミで化学を専攻した仲間たち(殆どが古代史音痴)の「同窓誌」からの依頼によるものです。
 「古田史学の会」の会員の中にも「古田○○○の会・■■」が、全国各地に誕生し、それが大きな輪に広がっていく事を願い、ご紹介させて頂きました。ご笑読くだされば幸いです。

 

【起】古代史は人文科学か

 私は勤め先を定年退職してから、古代史に趣味を持つようになりました。「邪馬臺国論争」に興味を持ってからですが、「人文科学」を自称している古代史に対し、今も尚、飽き足りない思いがあります。その理由は、追々明らかにしますが、先ず「日本近代文学」をご専門とし、「書誌学」でも知られる関西大学名誉教授・谷沢永一氏の、次の文章を読んで下さい。

★世に信用できる学問は自然科学だけである。(中略)自然科学の分野では、実際に証明できた新発見の創意創見だけしか学界では認められない・・・・
★かりそめに言うなら人文系社会系の、そして世間に向けては人文科学だの社会科学などと、嘘八百に胸をそらして名乗る習慣の業界(中略)全国の御同業である雲霞の如き自称学者たちが、他人の書いた論文などにまったく関心を持たず読もうとしない・・・・
★自然科学の領域で他人の論文を読まないという姿勢は、直ちに世界の学問水準から徹底的に退歩する自殺行為である…★つまりお互いに書いたものに関心を持たず読まず感想も言わず議論もしない沈黙が、我が国で人文科学系に以前から伝統となっている相互扶助の美風である・・・・

 月刊誌「WILL(二〇〇五年一〇月号)」に掲載された『学術書というこけおどしに騙されるな』からの引用ですが、自然科学と比較し、他人の研究論文に関心を持たない人文系の研究者の姿勢を厳しく非難しています。

 

【承I】歴史教科書/聖徳太子の場合

 歴史の教科書には、史料に対する検証をしないままの記述が多いのですが、次の聖徳太子の例は典型的なものです。

★推古天皇の摂政・聖徳太子は、遣隋使・小野妹子を派遣し、皇帝の煬帝に「日出る国の天子、日没する国の天子に書を致す。つつが無きや」という国書を送った。

 表現方法は教科書によって違いますが、この派遣記事は、『日本書紀』等の正史には全く記載がなく、中国の正史『隋書・イ妥国(タイコク)伝』にしか載っていないものです。
 ところが、この『隋書』では、この国書の差出人は聖徳太子ではなく、「タリシホコ」の名前で登場しているのです。記事内容から、明らかに男子であって推古女帝ではありませんし、天皇は勿論、天子になっていない聖徳太子とするのも無理な話です。
 おまけに『日本書紀』の小野妹子は、遣隋使としてではなく、遣唐使として登場しているし、中国の正史でも唐に来た使として扱われています。
 この「タリシホコ」は、『隋書・?国伝』を読めば、当時、九州にあった「イ妥国」の王である事が明らかなのですが、その話はさておき、歴史という学問は、過去の出来事、その因果関係を学ぶ事によって、国として、人としてのあり方など、様々な教訓を得る為の学問の筈です。従って教科書の内容に、良く調べもしない間違いはもってのほかで、真実を教えられていない子供たちにとって、こんな不幸な話はありません。
 一体文科省は、教科書検定が「誰の為」にあるのか、真剣に考えた事があるのでしょうか。

【承II】自然科学と自浄作用

 言うまでもなく自然科学では、「結果」に対して、客観性、再現性などが要求される為、検証は勿論、先人の説との異同の確認などが必須です。
 副題に挙げた、宇宙物理学者・カールセーガンの「自己修正的」という言葉は、「自浄作用」と同じ意味で、この作用が働いているからこそ、その結果が、人類共有の財産として、文献などに登録される事ができるのです。
 真実を求めるという目的は同じであっても、残念ながら谷沢永一氏の指摘のように、「人文カガク」では、この自浄作用は期待できず、「独善」がそのまま、まかり通る事になってしまうのです。
 特に「古代史」においては、史資料が少ないという理由もあるのでしょうが、独善にかたよる事が多く、そのため議論は不毛になり、結論が出ないまま徹底的に争うか、さもなくば「日本の古代には謎が多い」として、お互い慰め合うというハメになってしまうのです。

 

【転】古田武彦の場合

 さて、人文科学を称しながら、必ずしも科学的とは言えない古代史の一面を示しましたが、この状況に敢然と立ち向かう研究者、古田武彦が現れました。東北大学で日本思想史を学ばれ、「親鸞」の研究から、ふとした事で、古代史の諸問題に取り組んでいる研究者ですが、「人文カガクと科学」の距離を縮めようと努力している教育者の一人でもあります。
 次に紹介する例は、古田武彦の存在を、強烈にアッピールする原因になったエピソードの一つです。

 古代史ファンにとってお馴染みの「邪馬臺国(ヤマタイコク)論争」は、三世紀に存在した「邪馬臺国」の場所探しですが、この議論の発端は、中国の歴史書『三国志・魏志倭人伝』(以下『倭人伝』)にありました。しかし、この『倭人伝』には「邪馬臺国」ではなく、全て「邪馬壹国(ヤマイチコク)」と記述されているのです。それなのに、何故「邪馬臺(タイ)国」なのでしょうか。理由は、原文の「邪馬壹(イチ)国」のままでは、日本中どこを探しても、当て嵌る地名がないからです。
 学者たちは、『倭人伝』から三世紀ほど後の『後漢書』という歴史書に「邪馬臺国」と記述されている事を理由に、これならヤマトと読めると考え、「壹(イチ)」と「臺(タイ)」は字面が似ているから、『倭人伝』の著者「陳壽」が書き間違えたのだろうと、彼を犯人にしてしまったのです。
 これに対して、古田武彦は場所探しの前に、この「陳壽犯人説」疑いました。
 彼は『三国志』の中の、全ての「壹」86個と五八個の「臺」について、その異同を検証し、この二つの文字の間に混同は一つもなく、「陳壽」を犯人扱いするのは不当であり、原文どおり「邪馬壹(イチ)国」が正しいと主張したのです。検証の詳細は、一九六九年「史学雑誌」に、『邪馬壹国』という論題で掲載され、名著『「邪馬臺(タイ)国」はなかった』(朝日新聞社一九七一年)によって、一般のファンにも広く知られるようになりました。

 原文を改竄した事によって生じた「邪馬臺(タイ)国論争」は、不毛な議論である事が明らかにされたのですが、この研究は、一九九一年、福岡市で開かれた国際物理学会のレセプションの席で、古田武彦自身によって紹介され、内外の科学者から、絶賛を受けたのも蓋し当然のことでした。
 ところが不思議な事に、これでようやくこの論争は決着し、学界も「邪馬壹(イチ)国」を認証せざるを得ないだろう、という期待は裏切られています。何故なら、「大家」と自称、他称する専門家、先生たちは、「古田武彦」の存在など全く知らぬ気に、半世紀にもなろうかという今でも「邪馬臺(タイ)国」に固執し続けているからです。
 自浄作用、自己修正的。カールセーガンの言葉を、否応なく思い出させるのです。

 

【結に代えて】「古田史学の会」のことなど

 歴史は理科と共に、「真実」を探る事を目的としている教科です。
 興味、好奇心、疑問など、思考力、そして論理的に物事を考える力「理科力」を育てる土壌である筈の歴史という科目が、肝心の教育の場においては、必ずしもそうなってはいません。
 答だけを無理矢理に暗記させようとする歴史教育。それは、思考力や想像力を失わせ、採点者を楽にさせるだけの「○×式採点法」の持つ大きな弊害の一つです。
 「未履修事件」の発覚によって明らかになった関係者のデタラメ、その狼狽ぶり、そして見えてきた受験重視の教育が落す暗い影。
 多発する苛めによって、「心の教育」からも見放されている子供たちは、向学心のみならず、思考力まで奪われようとしているのです。
 私たち「古田史学の会」の会員の多くは、「古田武彦コーナー」に並べられた著書に感動した読者、約五〇〇人によって構成されています。北海道から沖縄まで、勤め人は勿論、各方面の文化人、高校の先生や学生などですが、理工系の出身者が多いというのも、大きな特徴です。殆どが素人ですが、「人文カガク」に甘んじている大家たちを相手に、「古代に真実を求めて」というフレーズを掲げ、真実から遠ざけられて行く子供たちを、その不幸から救い出したいというのが私たちの願いです。しかし、その願いは、当分叶えられそうにありません。
(二〇〇六年 文化の日)


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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