2005年2月9日

古田史学会報

66号

1、若草伽藍跡と
宮山古墳・千早・赤坂村
 伊東義彰

2、津軽平野と
東日流外三郡誌の旅
宮城県北の遺跡巡り
 勝本信雄

3、菅政友と『琉球漫録』
 仲村致彦

4、高皇産霊尊
と蠅声なす邪神
 記紀の神々の出自を探る
 西井健一郎

5、太田覚眠と
 “からゆきさん”
「覚眠思想」の原点
 松本郁子

6、 久留米藩
宝暦一揆の庄屋たち
 古賀達也

7、故・ロンドン大学
 名誉教授
 木村賢司

8、連載小説『彩神』
 杉神(すきかみ)
  深津栄美

9、和田家文書裁判
での原文改訂
歪曲引用された
仙台高裁判決文
 古賀達也

10、年頭の挨拶
「本」という字
 水野孝夫
事務局便り

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阿漕的仮説ーーさまよえる倭姫 (会報69号) 


年頭の挨拶

ますますの前進を

代表 水野孝夫

 新しい年の最初の会報をお届けします。昨年は十周年行事にご協力いただきありがとうございました。約五十名の方々から、約三十五万円のカンパをいただいたことに厚くお礼申し上げます。
 古田武彦氏は病気から回復され、また飽くなき好奇心を発揮して次々と新しい発見をされています。これらを講演、会誌、会報でご紹介したいと考えております。今年は初めて古田武彦氏から電子メールで年賀のご挨拶をいただきました。あの年齢でメールとワープロをマスターされたのです。会員の方々も新しい発見がありましたら、例会や会誌、会報への投稿としてご発表ください。
 わたしは「別府の鶴見岳は天の香具山」について、別府史談会の会報「別府史談」第十八号に発表することができました。学生の時の記憶がありますが、先生や先輩から世界で未発表の有機化合物を貰うと、ごく初歩の手法でこの物質に一寸手を加えても、当然ながら、できた物質は世界最初につくったものになります。実業の世界ではこの新規物質がどんな役に立つのかを確認せねばなりませんが、学問の世界では初歩者が作ろうが、役に立とうが立つまいが、最初に作ったことには変わりがありません。とにかく記録して発表しておくことが大切で、のちに大発見や大発明に化けるかも知れません。


「本」という字

奈良市 水野孝夫

 昨十月に、中国・西安市で日本人留学生の「井真成墓誌」が発見され、なかに最古の「日本」という金石文文字があると報道された。この「本」の文字は、「木+横棒」ではなくて、「大+十」と書かれていた。これから、疑問が始まって、多くの方に古い「本」の字さがしに、御協力をいただいた。
 夲(JIS5471)は、辞書では一応「本」とは別に掲載されている。わたしの見た漢和辞典(小林信明編、小学館、ワイド五版、一九八九)では「○1 トウはやく進む、○2.本の誤用字」となっていた。「誤用字」とするのは中国の特定の辞書の引用らしくて、多くの漢和辞典では「本の別字」となっているのだが。
 なにか政治的な意味でもあるのかと思って、手元にある古文書の写真(法隆寺展の図録)やネット上の国宝の古文書写真をみると、七世紀から十四世紀の間は、中国人も、日本人も、国号「日本」に限らず、本という字はみな「大+十」と書いてある。くずし字でなく楷書がそうである。
(例:王勃集、古文尚書、日本書紀、伝教大師筆跡、万葉集、仏教経典 等。法華義疏は年代不詳だがこれも)
 毛筆筆跡でハッキリと「本」(縦棒が突き抜けていて、下端が左にハネてある)が現われるのは、江戸時代の「法隆寺東院縁起資材帳」だ。岩波の『日本書紀』文庫版の表紙には天理図書館蔵「占部兼右本」写真があるが、この「日本書紀」の文字は、印章と重なっていて判別しにくいが「本」である。十六世紀のもの。六世紀より古い文字では、高句麗「好太王碑」に「本」があるが、カナクギ流というか、積み木みたいな書体のため、ちょつと参考になりにくい。
 だいたい人が文字を覚えるのは、手本を真似して覚える。手本になったと思われるものを調べる。それは『千字文』というテキスト。
(以下は法政大学のHPから引用)http://bun.i.hosei.ac.jp/~ja/shitaisenjimon/29.html
 『千字文』は古代中国に誕生した初学者用の詩句で、四字を以て一句となし、合計二百五十句、千文字で構成される。「天地玄黄、宇宙洪荒、・・・」と天地に関わる句からはじまり、以下道徳・歴史・処世などについて説き、千文字中一字も重複するところがない。これまで最も広く行われた『千字文』は梁代の周興嗣が、先行の『千字文』を再編整理したものである。日本への伝来は応神天皇一六年とする説が記紀に見えるが、信憑性に乏しい。しかし、奈良朝に用いられていたことは確実とされる。
『千字文』は初学者用の教養の書としてだけでなく、書道の手本としても使用された。本書のように、篆隷楷草の四種の書体からなる『千字文』を『四体千字文』と呼ぶ。既に泉州堺の石部了冊は、天正二年に『四体千文書法』を開版しており、これなどは本書(慶長九年刊本)の形態の先行例といえる。(引用終わり)
 二百五十句のうち、第百六十三句が「治本於農」で、ここに「本」字がある。
 慶長九年の本というのは、すでに木版での印刷になっているが、本の字は篆隷楷草の四種の書体とも明瞭に「木+一」。このお手本が応神天皇の頃からあり、書体は刊本になっても変っていなくて、「奈良朝に用いられていたことは確実」なら、おかしい。上記の「七世紀から十四世紀の間は、中国人も、日本人も、国号「日本」に限らず、本という字はみな「大+十」と書いて」いたのと、矛盾する。
 書道の方で、「五体字」というのがあるのを知った。さきの「篆隷楷草」の四種に「行書」を加えて五体という。五体字の字典が各種発行されていて、先人の書跡が集められている。王羲之はどうも、「大 + 十」と書いたらしい。もっとハツキリしているのが欧陽詢(557-641)。陳の官吏の家に生まれ、隋、唐時代を生きた。字は信本。『芸文類聚』選者の一人。彼の七六歳の作、「九成宮れい(酉 + 豊)泉銘」という碑文は、「楷書の極致」の扱いを受けていて、現代でも代表的な書道の手本。「木」の字は、先頭から数えて八合目あたりにあるが、これが「大+十」。この先生が「大 + 十」と書いたのなら、印刷の教科書が普及するまでは、みんな「大 + 十」と書いて当然だったと思われる。


事務局便り

▼本号には日本思想史関連の論稿二編(松本・古賀)を掲載した。古代史以外でも古田氏の学問領域に関連した投稿は歓迎。
▼今春、『古代に真実を求めて』とは別に『新・古代学』8集も発刊される。こちらも好論満載。書店でお求め下さい。
▼雑誌「デイリータイムズ」に古田先生が連載されている。駅の売店などでも販売されているので、是非ご一読を。
▼本年もよろしく。@koga


 これは会報の公開です。

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