2005年2月9日

古田史学会報

66号

1、若草伽藍跡と
宮山古墳・千早・赤坂村
 伊東義彰

2、津軽平野と
東日流外三郡誌の旅
宮城県北の遺跡巡り
 勝本信雄

3、菅政友と『琉球漫録』
 仲村致彦

4、高皇産霊尊
と蠅声なす邪神
 記紀の神々の出自を探る
 西井健一郎

5、太田覚眠と
 “からゆきさん”
「覚眠思想」の原点
 松本郁子

6、 久留米藩
宝暦一揆の庄屋たち
 古賀達也

7、故・ロンドン大学
 名誉教授
 木村賢司

8、連載小説『彩神』
 杉神(すきかみ)
  深津栄美

9、和田家文書裁判
での原文改訂
歪曲引用された
仙台高裁判決文
 古賀達也

10、年頭の挨拶
「本」という字
 水野孝夫
事務局便り

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和田家文書(「東日流外三郡誌」等)訴訟の最終的決着について『新・古代学』第3集)へ


和田家文書裁判での原文改訂

歪曲引用された仙台高裁判決文

京都市 古賀達也

 平成九年十月十四日、最高裁第三小法廷。
「主文、本件上告を棄却する。」
 五年に及んだ古文書(津軽、和田家文書)「真偽」裁判に勝訴した瞬間だった。
 事の発端は、古田武彦氏らが紹介された和田家文書が、所蔵者により偽作された偽物で、古田氏も偽作に荷担しているとする、事実無根の誹謗中傷がNHK、TBS等大手マスコミをも巻き込んで始まったことにある。わたしまで実名をあげて中傷された。その背後には古代史論争で古田先生に負けた学者達がいた。偽作キャンペーンで古田武彦とその学説を失墜させ、古田説支持者を分裂させることが彼らの真の狙いのようだった。その結果、動揺した支持者の一部が古田氏から離反した。
 一方、所蔵者の和田家は裁判に訴えられ、青森県地元新聞も偽作キャンペーンを展開。そのため、和田家は村で孤立し、子弟は学校でイジメにあった。
「和田家へのイジメを座視するわけにはいかない。」
 古田先生と私の弁護活動が始まった。和田家文書を古くから知る証人や証拠を求め、津軽半島を何度も行脚した。また、反論のための本(『新・古代学』新泉社)を出したり、裁判所への陳述書を書き、偽作説の「根拠」を一つひとつ覆していった。
 最高裁まで争われた裁判は、地裁・高裁も含めて勝利に終わった。この裁判は法曹界でも注目を集めたようで、仙台高裁判決に対する解説が『判例タイムズ』にて次のように掲載された。
 「この事件の甲号証は二百号証を超えたという。判決文から窺われる事案の寸法からはちょっと考えられない数字であるが、結局本件訴訟におけるX側(控訴人、野村孝彦氏側)の狙いは「写真」「論文」を手掛かりにして裁判所に「東日流外三郡誌」の偽書性を肯認させようとするにあったことからの現象であろう。裁判所が判示事項二のように述べてその判断を回避した段階でその狙いの大半は失われた筈であるが、もし、判示事項三が全部排斥でなく、七項目中一つでも剽窃・盗用の判断が出ていたら、判示事項二にもかかわらず、X側は実質上狙いを──論理法則上「偽書でない」という全部否定は一部肯定で崩せるから──達することもできた。
 その意味では、控訴し上告しても偽書説への手掛かりを全然残せなかった点で、実質的敗訴感はX側の方が大きかったであろうと思われる。」※( )内は古賀注。(『判例タイムズ』 No.九七六、一九九八年九月)
裁判の専門家である第三者の判断でも、「控訴し上告しても偽書説への手掛かりを全然残せなかった点で、実質的敗訴感はX側の方が大きかったであろう」としていることは貴重である。しかし、それにもかかわらず偽作キャンペーン側は「裁判所は盗作を認めた」と白を黒と言い含めるようなキャンペーンを続けたのは、ご存じの通りである。そして今日に至っても故和田喜八郎氏の人権を侵害するような本が出されているが、偽作キャンペーンがいかに悪質で非人間的か、このことからも明かであろう。かれらは手段を選ばないのである。
 こうした白を黒と言い含めるような主張は、その後控訴人側から出された最高裁への上告趣意書中にも見られるので、紹介したい。上告趣意書には仙台高裁判決文を次のように傍線まで引いて引用している。なお、当該文書や仙台高裁判決文は『新・古代学』第三集に資料として掲載しているので確認していただきたい。
 「結局、前者には、後者の記述にヒントを得たと見られる部分があるというに止まるべきである。」(上告趣意書)
 ここでいう前者とは『東日流外三郡誌』、後者とは控訴人野村氏の執筆になる「論文」であるが、この部分を根拠に偽作キャンペーン側は仙台高裁が「盗用を認めた」としているようだ。しかし、仙台高裁判決文はこのようには書かれていない。当該箇所は次の通りである。
 「結局、前者には、後者の記述にヒントを得たと見られる部分があるという程度に止まるというべきである。」(仙台高裁判決文)※傍点は古賀による。インターネット事務局は,赤色表示。
驚くべきことに、傍線まで引いて引用した箇所が原文改定されているのである。この「程度」「という」の文字をカットすることにより、文意は巧妙に変質する。高裁判決では、「後者の記述にヒントを得たと見られる」という修飾語は「部分があるという程度」に掛かっており、更に全体を「止まるというべき」という婉曲的表現を用いて、あくまでも裁判所は、前者には後者の記述にヒントを得たと見られる部分があると認定しているのではないということをーー神経を行き届かせてーー明示しているのである。
 従って、前記の『判例タイムズ』も「本件訴訟におけるX側の狙いは『写真』『論文』を手掛かりにして裁判所に『東日流外三郡誌』の偽書性を肯認させようとするにあった」と看破し、「控訴し上告しても偽書説への手掛かりを全然残せなかった点で、実質的敗訴感はX側の方が大きかったであろうと思われる。」と評したのである。しかし、上告趣意書だけを読んで高裁判決を読んでいない人には、「仙台高裁が前者(東日流外三郡誌)は後者(野村氏論文)の記述にヒントを得た部分があると認定し、その部分が確定した」という誤解 ーー少しは偽作説の手掛かりを残したのではないかという誤解ーー を与える恐れがあり、また実際そのように偽作キャンペーン側は主張しているのである。
 このような仙台高裁判決文と上告趣意書での引用の差異、すなわち原文改定をわたしは知人からの手紙により知った。本稿執筆に於いてもその手紙の内容を参考にさせていただいた。本来ならばお名前をあげて紹介すべきものであるが、ご迷惑をおかけする(偽作キャンペーンに巻き込まれる)ことを恐れ、伏せさせていただくことにした。ご諒解賜りたい。

本稿を故和田喜八郎氏とご子息故和田孝氏の御霊前に捧げる。


 これは会報の公開です。

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