2014年10月10日

古田史学会報

124号

1,前期難波宮の築造準備
  正木裕

2,「邪馬台国」畿内説は
   学説に非ず
  古賀達也

3,「魏年号銘」鏡はいつ、
何のためにつくられたか

   岡下英男

4,トラベルレポート
出雲への史跡チョイ巡り行
   萩野秀公

5,鉄の歴史と九州王朝
   服部静尚

6,書評
   好書二冊
   正木裕

 古田武彦先生の奥様の訃報

  事務局便り

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断念 古田武彦(会報127号)

 書評 好書二冊 古田武彦先生の奥様の訃報 事務局便り


好書二冊

川西市 正木裕

 最近、古田史学関連の好著が相次いで出版されているが、その内の二冊を紹介する。一冊目は中村通敏氏の『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』(海鳥社 二〇一四年九月一日発刊)だ。
 長年にわたりブログで古田武彦氏の説を広く伝える努力を続け、その著書に精通されている中村氏だけに、「奴国」は「ぬ国」と読むべき事、『倭人伝』は短里で記されている事や「道行・道しるべ読法」などの古田氏の論理を十分踏まえたうえで、「奴国」について研究され、その本拠地を早良平野とされた。そして今宿付近を中心とする怡土平野を伊都国の領域に、西新町付近を中心とする湾岸を不彌国に、その南の福岡平野全体を邪馬壹国に比定された。
 これは古田氏の説からは合理的に導かれる結論だ。何故なら、魏使の上陸地を古田説により「唐津付近」とすれば、そこから短里で五百里は概ね今宿付近になり、東南百里の「奴国」は必然的に室見川上流域となるからだ。
 ただ、古田氏が「唐津」とした根拠に『「邪馬台国」はなかった』(一九七一年)では、「呼子ではあまりにも短距離となり不適当である。また末盧国から「始発」する方向が「東南陸行」と書かれているのにも合致しない」ことを挙げられている。しかし、壱岐・唐津間も千里と程遠いこと呼子と大差ないうえ、『邪馬壹国の論理』(一九七五年)では「呼子は唐津の北西」つまり、呼子から唐津へは「東南」であるとされている。そして地図で見れば『論理』の記述が正しく、呼子からの「始発」も「東南陸行」となる。
 そして上陸地を呼子とすれば、中村氏の距離計算から百里西にずれ、伊都国の中心は加布里湾岸(二丈〜前原)となり、東南百里の「奴国」の中心は、古田氏の比定どおり三雲・平原付近の怡土平野となる。そして不彌国の中心は今津湾岸今宿付近(周船寺〜姪浜)で、その南早良・福岡平野全体が邪馬壹国の中心となる。
 こうした古田説との異同はあっても、二万戸の大国であるのに、従来触れられることの少なかった「奴国」の所在について、古田氏の論理に即して解明されようとした意義は大きく、これを契機に古田史学において「奴国」の解明が一層進むことを期待させる好著と言えよう。
*定価一六〇〇円。お得な購入方法は、「新しい歴史教科書(古代史)研究会」のホームページ「『奴国がわかれば「邪馬台国」が見える』が出版されました」を参照。

 二冊目は文化創造倶楽部・古代史&歴史塾編の『日出ずる処の天子、阿毎多利思北孤』(木村賢司・山浦純・大下隆司・田中弘・小野元裕。ドニエプル出版二〇一四年八月)で古田氏の米寿記念日八月八日に発行したもの。
 「聖徳太子」に擬せられている『隋書』に見える「阿毎多利思北孤」が、倭国(九州王朝)の天子であったこと、「邪馬壹国」が博多湾岸の国であること、「卑弥呼」や「倭の五王」が近畿天皇家の天皇ではないことに加え、「磐井の乱」や「乙巳の変」、白村江から九州王朝の滅亡までの歴史を、古田武彦氏の説をもとに豊富な写真や資料と共に、平易に、かつ丁寧に解説するものだ。
 「この本を中学生・高校生の皆様へ」と表紙に記すとおり、「すべての漢字にルビを打つ」ことを試みた、大変な労作といえる。
 巻末には古田氏の『学問論「日出ずる処の天子」 -- 憲法論』も掲載されており「若い方々に歴史の真実を知ってもらいたい、この本を中高校生に広め、真実を求める若者が一人でも多く育つように願う」という思いに溢れた著書となっている。


古田武彦先生の奥様(令*子様)の訃報

    代表 水野孝夫

 古田令*子様は本平成二十六年八月十八日、入院中の桂病院で逝去されました。享年八十二歳。
 先生及び身内の方々に謹んでお悔やみ申し上げ、故人のご冥福をお祈りいたします。
 葬儀等はお身内で行われ、弔問・供物等はご無用にとのことであります。
 会員の方の中には故人と直接面識のある方も多く、わたしもそのひとりですが、
お顔や声に想い出のある方々もいらっしゃるでしょう。想い出してください。
 古田武彦先生はお元気で、研究には差支えない環境にあり、執筆に励んでいるとのご伝言をいただいています。以上を会員方にご報告いたします。

古田武彦先生の奥様の訃報


事務局便り

 八月二〇日午前一〇時水野さんからのメールは古田先生の奥様の訃報でした。呆然としました。京都府向日市に居住していた際は時折お目にかかる機会もあり、さすがの先生も奥様には頭が上がらないのかな、と思われるシーンにも遭遇しました。謹んでご冥福をお祈り致します。
 本号は研究論文のみならず、萩野さんのトラベル(トラブル?)レポートや正木さんの書評など、多彩なものになりました。このような投稿もお待ちしております。
 このひと月半、中国の国民的作家金庸の武侠小説徳間文庫版全五十五冊を通して再読しました。読み直してはじめて、「鹿鼎記」に「碧血剣」の阿九(九難)や何[小易]守、「飛狐外伝」に「書剣恩仇録」の紅花会の面々が登場していることに気が付きました。バラバラに読んでいる時には判らないものですね。西村秀己
     [小易]は、立心偏に易。JIS第三水準ユニコード60D5


 これは会報の公開です。

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