2010年12月1日

古田史学会報

101号

1,白鳳年号をめぐって
 古田武彦

2,「漢代の音韻」と
 「日本漢音」
 古賀達也

3,「東国国司詔」
 の真実
 正木裕

4,「磐井の乱」を考える
 野田利郎

5,星の子2
  深津栄美

6,伊倉 十四
天子宮は誰を祀るか
  古川清久

 

古田史学会報一覧

地名研究と古田史学 古賀達也(会報100号)
前期難波宮の考古学(1)(2)(3) -- ここに九州王朝の副都ありき 古賀達也

漢音と呉音 内倉武久(会報100号)

魏志倭人伝の読みに関する 「古賀反論」について(会報103号) 内倉武久

再び内倉氏の誤論誤断を質す -- 中国古代音韻の理解について 古賀達也
(会報104号 これで一応完)


「漢代の音韻」と「日本漢音」

内倉武久氏の「漢音と呉音」に誤謬と誤断

京都市 古賀達也

はじめに

 『古田史学会報』一〇〇号に掲載された、内倉武久氏の「漢音と呉音」に誤謬と誤断が見受けられたので、本稿はその要点を指摘した。読者のご判断を請う。

「漢音」「呉音」定義の混乱

 内倉稿では冒頭に「魏志倭人伝は当時の中国の北方言語(ここでは仮に漢音と表記)に従って読み、発音しなければならない。」と述べられているが、このことは当然であり異論はない。ただし、魏晋朝の音韻は未だ復原に成功しておらず、その音韻は残念ながら不明とされている。(注1)
 ところが、内倉稿の後段に「漢音」として紹介された「倭」「奴」の「漢音」や「呉音」の発音は、漢代の漢地方の音韻、あるいは呉代(三国時代)の呉地方の音韻ではなく、日本における漢字の発音、いわゆる「日本漢音」「日本呉音」のことであり、氏の定義は一貫性を欠いている。
 通常、漢和辞典などに記されている「漢音」「呉音」の定義は、日本国内における漢字の読みの分類であり、その淵源を「漢音 日本漢字音の一。唐代、長安(今の西安)地方で用いた標準的な発音を写したもの。遣唐使・留学生・音博士などによって奈良時代・平安初期に輸入された。」「呉音 日本漢字音の一。古代中国の呉の地方(揚子江下流沿岸)から伝来した音。わが国では多く僧侶が用いた。」(注2) と説明されることが一般的である。
 従って、「日本漢音」は内倉稿冒頭に記されたような「魏志倭人伝当時の中国の北方言語」ではないのである。もし、内倉氏のように「魏志倭人伝当時の中国の北方言語」が「日本漢音」であるとしたいのであれば、まず両者が同音韻であることの証明が不可欠であるが、内倉稿にはそのような証明は皆無である。そもそも、「唐代、長安(今の西安)地方で用いた標準的な発音」と「魏志倭人伝当時の中国の北方言語」が同音韻であると証明するのは困難ではあるまいか。

 『説文解字』への誤解

 内倉稿には「魏志を読み解くのに一番よい音韻辞典は、南方なまりの音韻辞典「切韻」や十一世紀の「集韻」でなく、漢末成立の「説文解字」であることは言うまでもない。」とあり、一見もっともな主張のようだが、実はこれも理解困難な論断である。
 『説文解字』が後漢(西暦一〇〇年、「漢末」とは言いにくい)成立の貴重な文書であることは当然だが、その内容は、字音の説明には同類音の他の字が示されているだけで、その説明から字音が判明するわけではないのである。現代の英語辞典のような発音表記記号がその時代に存在していたわけではないので当然のことではあるが、『説文解字』からは字音を復原できないのである。(注3) このことは『説文解字』を読めば一目瞭然である。

 不可解な「倭」「奴」の字音

 内倉稿の目指した結論とは、思うに「倭奴国」は「伊都国」であるとすることのようだが、その際に「倭」「奴」の字音について次のように示された。
 「結論的にいえば、漢音で倭は「ゐ、い」、奴も呉音のナでなく「ど」としか読めない漢字である。「倭奴国」は「いど國」すなわち「伊都国」であり(後略)」。
 「倭」の漢音(おそらく「日本漢音」のことであろう)として「ゐ、い」とされているのだが、「倭」の字音は「ゐ」、あるいは「わ」であり、「い」とする辞典・史料をわたしは知らない。氏はどの辞典に「い」とするものがあるのかを銘記するべきである。
 「奴」の呉音(おそらく「日本呉音」のことであろう)を「ナ」とする辞典・史料もわたしは知らない。通常、「奴」の「日本呉音」は「ヌ」とされている。これも出典・参照史料を銘記すべきである。それ抜きで「『倭奴国』は『いど国』」などと言われても、論証にはなっていない。
 更に、「『いど国』すなわち『伊都国』」とされるのであれば、「奴」の字音が「と」であった証明も史料根拠を明示してなされるべきである。それなしで、「倭奴国」は「伊都国」であるとする仮説は成立しない。「倭(ゐ)」と「伊(い)」、「奴(ど・ぬ)」と「都(と・つ)」、二つともそれぞれ別音とされてきたのであるから。

おわりに

 内倉稿は、本年一月の関西例会で氏が発表された「魏志は『漢音』で読むべきだ」を文章にまとめられたものであるが、その際参加者から反対意見が出された。「何人かの研究者から反発をうけた」と記されているとおりで、その一人がわたしである。わたしは氏の発表に対して、本稿で指摘したような疑問点を投げかけたのであるが、「漢音」「呉音」の定義の混乱も含めて、氏の主張の根拠がよく理解できないでいた。その点、今回会報で発表されたことにより、氏の主張とその誤謬・誤断を正確に把握することができた。
 氏の発表の翌月の関西例会では、今度はわたしから「魏志倭人伝は『漢音』で読んではいけない」を発表し、内倉説をより詳細に批判した。ただ残念ながらこの時内倉氏は欠席されていたため、再反論をうかがうことができなかった。もし、氏が私からの反論を聞いておられれば、内倉稿はもう少し違った内容になっていたのではあるまいか。
 魏志倭人伝の国名や人名の読みは重要な研究テーマであるが、魏晋朝の音韻復原ができていない現在の研究状況からすれば、「日本漢音」よりも古くからわが国へ伝来していた「日本呉音」で倭人伝を読むという方法は穏当であると考えている。少なくとも「日本漢音」で読むべきではないと考えている。
 なお、倭人伝の音韻研究については古田武彦氏『「邪馬台国」はなかった』の第五章にある「『邪馬壹国』の読み方」が今なお最高の研究である。読者諸賢の再読をお薦めしたい。近年発表された論稿では、『古代に真実を求めて』第十二集掲載の棟上寅七氏「『奴』をどう読むか」が示唆的である。「日本呉音」と中国南朝・魏晋朝音韻の関係を論じたものとしては、全昌煥氏「日本呉音と呉地方の音韻的対応関係 -- 主に佳韻・皆韻字の音価をめぐって」(『現代社会文化研究』No.二十一、二〇〇一年八月)が優れている。こちらはインターネットで閲覧可能である。本稿が倭人伝研究の一助になれば幸いである。

(注)
1古代中国語音韻の復原研究状況については、内田賢徳(うちだまさのり・京都大学大学院教授)氏の御教示を得た。
2岩波書店『広辞苑』第三版による。
3『説文解字』の史料性格については西村秀己氏のご指摘を得た。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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