2006年 2月 8日

古田史学会報

72号

「天香山」から
 銅が採れるか
 冨川ケイ子

和田家文書による
『天皇記』『国記』
及び日本の古代史考察2
 藤本光幸

「ダ・ヴィンチ・コード」
  を読んで
 木村賢司

4連載小説『 彩神』
第十一話 杉神 5
 深津栄美

5私考・彦島物語II
國譲り(前編)
 西井健一郎

隅田八幡伝来
「人物画像鏡銘文」に就いて
 飯田満麿

7洛外洛中日記
石走る淡海
佐賀県の「中央」碑
 古賀達也

年頭のご挨拶
 事務局便り


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ミケランジェロ作「最後の審判」の謎(古田史学会報68号)へ
マリアの史料批判 西村秀己(会報62号)へ


「ダ・ヴィンチ・コード」を読んで

豊中市 木村賢司

 メールが入った。「ダ・ヴィンチ・コードという小説を是非ご一読を」「キリスト教史や欧米のキリスト教研究がよくわかります、フィクションとはいえないほど迫真の小説でした。主テーマはマグダラのマリアです」とある。
 彼からこのようなメールは珍しい。十一月八日、梅田に出たついでに紀伊国屋に寄った。上下二冊で三七八〇円と高い、少し迷ったが買った。
 サスペンスに富んだ内容、手法はひところ日本でも人気のあった小説家、シドニー・シェルダンに似ている。読者を引き込む術を心得た作者(ダン・ブラウン)だと思った。でも、聖書を中心とした西欧史とレオナルド・ダ・ヴィンチのことをある程度知っていないと、ついていけないかも、と感じた。
 先にミケランジェロ「ピエタ像の謎」「最後の審判の謎」(会報No.六一、六八)を書いたあと、息子(西欧史が趣味)に「キリストに奥さんがいたこと知っているか、マグダラのマリアだよ」と云うと「おやじ、そんなこと常識だよ、最後の晩餐でキリストの隣にいるのがマグダラのマリアだよ、知らないのか」と云われた。カチンときた。そして史学仲間にその話をすると、安隋さんがよく知られていること、と云われた。
 今回この小説を読んで、息子のネタはこれだと知った。でも、私は、ダ・ヴィンチはマグダラのマリアがキリストの奥さんであると、認識していなかったはず、と思っている。それはフレンッエで受胎告知の絵を見ているからである。即ち、あの受胎告知とキリストの奥さんとは相容れない関係と私には写るのである。
 ダ・ヴィンチはモナ・リザをはじめ多くの作品に謎?を残しており、この小説はダ・ヴィンチが秘密結社シオン修道会の総長であったらしいことを、うまくからめて組み立てている。これらは謎と思えばなるほど謎であるが、謎と思わなければなんでもない。と見える。一方ミケランジェロは作品そのものに謎がない。聖母マリアと見るかマグダラのマリア(伴侶のマリア)と見るかだけである。
 「シルクロード知ったかぶり」の次の史学例会報告用として、ここらまで書いていたとき、水野さんから電話がかかってきて、ダ・ヴィンチ・コードという小説を知っているかという。知っているどころか、今そのこと書いているところであると云って、いきさつと、書きたいことの大筋を話した。そのとき、もし、ボッティチェルリ、ダ・ヴィンチが総長であれば、つぎはミケランジェロが総長でなければおかしい、と云った。水野さんも同意された。
 さて、古賀さんが私に読めと勧めた理由がなんとなく解る。
 この本が示す、驚きのキリスト教史
* 「八十を超える福音書が検討されたのだが、採用されたのは、それに比すればごくわずか、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの各伝だけだった。」「どの福音書を入れるかだれが選んだか」「当時は異教徒であったローマ皇帝のコンスタンティヌス帝だ」「以前の福音書は禁書となり集められ焼却された」「禁書の福音書を選んだ者は異端者となった、異端のはじまり」
* 「この帝のとき、それまであくまで人間と見なしていたイエスを有名なニケーア公会議でイエスを神とするかどうか投票が行われ、わずかな差で神の子と決まった。」「イエスが神の子であると公に宣することによって、人間世界を超越した存在、侵すべからず存在へとイエスを変えた」「以後異教徒がキリスト教に刃向かえなくなったばかりか、キリスト教徒自体もローマ・カトリック教会に救いを求めるしかなくなった。」
* 「何故そうなったのか」「すべては権力の問題だ、メシアたるキリストの存在は、教会とローマ帝国が存在していくために不可欠だった。初期の教会は従来の信者からイエスをまさしく奪い、人間としての教えを乗っ取り、神性という不可侵の覆いで包み隠し、それによって勢力を拡大した、と多くの学者が主張している。」
* 「教養のあるキリスト教徒の大多数は、おのれの信じるものの歴史を知っている。たしかにイエスは並はずれた力を備えた偉人だった。帝の腹黒い政略のせいで、イエスの生涯の偉大さが損なわれるわけではない。だれもイエスを詐欺師呼ばわりなどしていないし、イエスが地上を歩き、幾多の民をよりよき生へと導いたことを否定もしていない。ただ、帝がイエスの大いなる影響力を巧みに利用した、キリスト教の今日の姿は、そうした作為の結果である。」
*  「帝が抹殺しようとした福音書のなかに一九四五年から五〇年にかけて、パレスチナの砂漠にある洞窟で死海文書が、一九四五年にはナグ・ハマディでコプト語文書が見つかっている。これらはキリストとマグダラのマリアの真実の物語を記すとともに、実に人間くさく描いている。」「ヴァチカンが文書の公開を阻止しょうとしたのは何故か」「それは聖書の改竄編集の露見を恐れた、いや、それらは捏造された文書にすぎない、と信じているからである」「後者の理由は甘い。洗脳する者こそ、だれよりも洗脳されている」
 ほぼ、このような内容の文が上巻の三二六頁から三三三頁に書いてある。古賀さんは、ここを中心として私に読むように勧められたと、読みながら感じた。
 私はナグ・ハマデイ文書の発見とその内容の解釈を古田先生や古賀さんからの耳学問で、その範囲のみで知ってはいたが、キリストが神に昇格したのが、磔刑から三世紀もたって投票によって決まった、は仰天であった。
 この本では、シオン修道会やテンプル騎士団そしてオプス・デイという組織がからんでいるが、これまで私はその存在はもちろん名前さえ知らなかった。シオン修道会は古い歴史を持ち今も存在する秘密結社とのこと。でも、総長リストは本物かと疑う。また、集団乱交ともみまがう性の儀式は信じられない。テンプル騎士団は十字軍の特異な一組織。組織の何かがヴァチカンの法王の逆鱗に触れて異端としてつぶされた。つぶされた理由が聖杯(マグダラのマリア)としているのは小説上の著者の考え?と思う。オプス・デイはややオカルト的キリスト教団。著者は最後に教団を傷つけないように上手にオプス・デイをさばいている。
 小説の主人公は象徴学者と暗号解読官。図や数字の謎解きで読者を引き込んでいく。私はこの面には非常に弱いので、先走って推理することはできなかった。でも、犯人が誰かは比較的早く感じていた。推理小説は読者がどの時点で犯人を特定できるかが楽しみ。凸が男性、凹が女性は世界どこででも言える。△が男性、逆△が女性で、両者の結合の星が男女の完全なる結合である。は面白く納得した。
 私はエジプトでアンクという、 形したものを女性が手にしている古代の像や壁画を多く見ている。案内人は「あれは永遠の命を表している」と説明していた。私はその時キリスト教の十字架はアンクが原型である、と感じた。この説これまで何処かにあるのだろうか。
 キリストの弟子の筆頭であるペテロは、キリストに愛されるマグダラのマリアに嫉妬して、キリストの死後マリアを排斥した。排斥はあるていど成功したが、キリストの磔刑時に逃げてかくれていたので、そのときに活躍したマリアのことまでは聖書から消すことができなかった。ナグ・ハマディ文書の出現で当時のキリストとマリアの親密さが明確になり、「連れ」と云う言葉が結婚していると解釈できるとしている。
 小説はキリストとマリアの間に子供があり、その子孫がシオン修道会の秘密結社で守られてきた。と設定して、それを嗅ぎつけたオプス・デイの狂信者との戦いのようにみせかけて進展させる。両者ともに現存の組織であるうえに、先にのべた、驚きのキリスト教史をからませ、さらにダ・ヴィンチの謎をからませるので、知的好奇心を煽り古賀さんのいう迫真のストーリーとなった。私自身はキリストの子供(子孫)の話が出てきた時点でそこまで、と思った。
 十二月二日水野さんから、最後の晩餐の女性?がメールでカラー送信されてきた。この人がマグダラのマリアであったら、男性の十二使徒の誰が抜けているのだろう? 密告したユダだろうか? でも、最後の晩餐壁画のキリストは静かで、それに反し使徒たちの表情や立ち居振る舞いは女性?も含めて尋常でない。私は定説通り使徒のなかで一番若いヨハネである、と見ている。
 手持ちのJAPONIKA(大日本百科事典)で最後の晩餐のところを見ると、ダ・ヴィンチ以外の人が描いた最後の晩餐が四つ載っている。その内三つに見方によっては女性と見える人物が画かれている、でもいずれもヨハネだと思う。(カスターニュの壁画一四四五〜五〇年ごろ、ジョットのスクロベニ礼拝堂壁画一三〇四〜〇五年、エル=グレコの油彩画十六世紀末) 
 私の結論。レオナルド・ダ・ヴィンチはマグダラのマリアがキリストの伴侶であることを知ってはいない。著者(ダン・ブラウン)が彼の作品の謎?をからめてストーリー作りをしただけ。それより、著者が一言もミケランジェロの作品「ピエタ」や「最後の審判」について触れられていないのは残念である。
 私は最後の審判をみてキリストに子供がいないと直感している。ひょっとして「ダ・ヴィンチ・コード」の著者より直感が鋭いのでは・・・。
 この小説を読んで、ヴァチカンの「ピエタ像」と「最後の審判」の女性はキリストの伴侶であるマグダラのマリアである。と益々信じたくなった。
 私はこの本の最大のフィクションと思うところは「手の加わっていないこの種の福音書によれば、キリストが教会を設立するよう指示した相手はペテロではない、マグダラのマリアだ」とあるところ(下巻十九頁最後)。であれば、ミケランジェロにより、既にヴィチカンはキリストとマグダラのマリアの教会になっている。大聖堂では「ピエタ像」で、法王を選ぶシスティナ礼拝堂では「最後の審判」でそれを示している。我田引水しすぎだろうか。

*息子に対して、「な、そやろ、そう思わんか、今や、わしが最先端や」


 これは会報の公開です。

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