2003年8月8日

古田史学会報

57号

1、九州王朝の絶対年代を探る
 和田高明

2、「邪馬壹国」と「邪馬臺国」
 斎田幸雄

3、わたしひとりの八咫烏
 林俊彦

4、可美葦牙彦舅尊の正体
記紀の神々の出自を探るii
  西井健一郎

5、連載小説「彩神」第十話
 真 珠 (3)
 深津栄美

6、桜谷神社の
古計牟須姫命

 平谷照子

7、「古田史学いろは歌留多」
安徳台遺跡は倭王の居城か
会員総会・事務局だより

 

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◇「古田史学いろは歌留多」選定成る  安徳台遺跡は倭王の居城か 会員総会 事務局だより


古田史学いろは歌留多」選定成る

全国世話人 木村賢司

 六月七日(土)に、選考者八名が大湖望小屋(比良山麓)に集まり、応募数四二二句の中から、いろは四八句を無事に選定いただいた。結果的に無事と書いたが、途中難航もあり、代表に決断いただく場面が何度かあった。
 最後に残った「も」が決まらず、「もうだめだ、水野代表、頼みます」となり、親鸞の二字を入れることを条件に、代表にゲタをあずけた。そして、午後九時に見事な句を作成いただいた。
 選定された句は、私個人としては大満足で、選考者皆様の見識に敬服しております。応募者の皆様、はがき選定に協力頂いた皆様に感謝を申し上げると共に、もし、決定句に不満がございましても、何卒ご容赦いただきたく存じます。
 なお、当初考えていた、準いろは歌留多、準々いろは歌留多の選定は、とても難しく割愛させて頂くこと了解お願い致します。
 応募いただいた全句リストは、いろは歌留多を古田先生に贈呈時に、添えてお渡しする予定でおります。なお、作句者の名前は全て伏せさせていただきます。
 今回、選考会が成功し得たのは、北海道のWさんをはじめ、北海道の会の皆様の熱心が伝わり、それが力付けとなりました。有り難うございました。
 現在、知人の書の先生に、清書をお願いしており、予定通りに、八月八日の先生の喜寿のお誕生日に贈呈できる運びです。


古田史学「いろは歌留多」選考会

代表 水野孝夫

六月七日、カルタに応募してくださった方々のうち都合のつく方、八名で選考会を行った。応募句は木村氏集計は四百二十二句であったが、選考会の席上でも、語句の一部を変えたほうがよいとの意見で部分変更したものもある。原作者に無断で変更した結果となったものもあるかも知れない。
「決定版」とするものの選考方針は次とした。
1.古田史学の(史学の会の、ではない)特徴を示すものを採用。
2.古田史学に反対、あるいは無視する人たちへの皮肉に類するものはなるべく避ける。
3.古田先生の研究内容を出来るだけ広く取り上げ特定分野のみにかたよらないようにする。
4.多数意見が一致すればそれにより採用し、意見が分かれるときは代表が決定する。
 経過は木村氏の報告に詳しいが、語句としては同じでも文字や読みを替えるべきだとの意見がついたものでは、古田著書や引用原典まで確認しなければならないものがあった。熱心に幹事役を勤められた木村氏はじめ、作句の方々、予備選考に投票の方々、地域で議論してくださった北海道の方々、選考会出席の方々、書家の先生に感謝致します。
     ※選ばれた句は次頁に掲載。

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古田武彦先生喜寿のお祝い
古田史学いろは歌留多
(い)壹の字を 掲げて歩む 古田史学
(ろ)論と理の 導くところ いずかたなりと
(は)発見は 半周読法 総和の合致
(に)二倍して 齢百じゃよ まだ、壮健
(ほ)ほかにない 縄文土器は 倭の特産
(へ)平明な ことばで分かる 古田学
(と)豊安岐津 登立て見つ 天の香具山
(ち)中国の 史書は一貫 倭国は九州
(り)里の長さ 三国志では 短里と論証
(ぬ)盗まれて 筑紫・出雲の 歴史消え
(る)ルソン足 絵馬にこめたる 筑紫舞
(を)女より 男が先で 大八洲
(わ)倭から日本 七〇一年 ONライン
(か)春日なる 三笠の山は 宝満山
(よ)煬帝の 兄貴面して 多利思北孤
(た)ー国伝 聖徳太子の 影もなし
(れ)列島の 火山が先生 土器の発明
(そ)その話 古田先生 二十年前
(つ)対馬には 今も鎮座す 阿麻ー留が
(ね)年号も 律令もあり 九州王朝"
(な)南界を 極めた倭国 金印賜う
(ら)雷山に 海鳴り届く 神の庵
(む)謀反人 磐井でなくて 近畿の継体
(う)ウラジオの国引き示す 黒曜石
(ゐ)韋駄天と 見まごう馬速の 壬申紀
(の)乗っ取って 倭国の評を 郡に変え
(お)「王朝」が 日本列島あちこちに
(く)日下まで 舟で侵入 河内湾
(や)弥生絹 北九州にぞ 出でにける
(ま)万葉も 人麿さえも 知らぬ存ぜぬ日本書紀
(け)権威者の 説といえども な、なずみそ
(ふ)古田史学 結論じゃない 方法論
(こ)神篭石 取り巻き守る 倭国の都
(え)越裳と 倭人は周に 白雉と鬯草
(て)天孫の 降臨先は 筑紫の日向(ひなた)
(あ)阿蘇山を 大和の証と 誰が見る
(さ)三国志には 邪馬壹国と 書いてあり
(き)君が代は 九州王朝 賛歌なり
(ゆ)許すまじ 論証抜きの 原文改訂
(め)目のうろこ 取れて納得 古田学
(み)「みちのく」の 古代は 「日本、中央」だ
(し)釈迦三尊 光背銘が 謎を解き
(ゑ)エバンズが 縄文人の 渡洋を補強
(ひ)人の上 人を造らぬ 和田家の文書
(も)持たず候 弟子のひとりも 親鸞は
(せ)千里馬も 短里で読めば 唯の駿馬
(す)スタートは 不思議に思う 心から
(ん)んとも、すんとも、 反論せずに古田避け

58号よりの訂正連絡ーーすべて訂正済み
〔編集部〕前号掲載の「いろは歌留多」を次の通り訂正いたします。
(ろ)論の理の  → 論と理の   ーー誤植
(て)日向(ひむか)→日向(ひなた)ーー古田先生指摘
(ゑ)エバンス  → エバンズ   ーー古田先生指摘


五月二六日、卑弥呼(ひみか)の墓調査報告

安徳台遺跡は倭王の居城か

京都市 古賀達也

 福岡講演会の翌日(五月二六日)、小雨が降る中、古田先生と卑弥呼の墓調査を実施した。参加者は関西から私と木村賢司さん、小林嘉朗さん。地元からは大原和司さん(福岡市)、朝藤高康さん(甘木市)、そして古田先生の五名。大原さんと朝藤さんの車に分乗させていただいたが、調査終了時には両氏の愛車は泥だらけ。しかし成果は予想以上だった。
 今回は、春日市の「奴国の丘歴史資料館」・熊野神社(須玖岡本山に鎮座)を初め、那珂川町の安徳台(あんとくだい)遺跡・裂田溝(さくたのうなで)・現人(あらひと)神社・安徳大塚古墳(福岡平野  最古の前方後円墳、全長六四メートル)等を訪れた。「奴国の丘歴史資料館」は奴国という名称は問題だが、展示してあった須玖岡本出土のキ*鳳鏡は必見だ。同遺跡の編年がこの鏡により弥生後期、卑弥呼の時代となるからだ(通説では弥生中期)。
      キ*鳳鏡のキ*は、インターネットでは説明表示できません。冬頭編、ユニコード番号8641

 本調査の目的の一つは安徳台遺跡の実見だったが、それは予想を超えた規模と質を持っていた。安徳台は神功紀に見える「とどろきの岡」とされ、江戸時代は御所ケ原と呼ばれていた。周囲を急峻な崖で囲まれた台地で、頂上は約十万平米の平地。その形状は映画もののけ姫に登場したタタラ場にそっくり。西に那珂川、東に裂田溝が流れており、車で頂上へ登れる道は一箇所のみ。天然の要塞だ。
 頂上の平地は全面が弥生の遺跡で、奈良時代の大建築物群、室町時代の館跡も発見されている。圧巻は弥生遺跡で、日本最古の製鉄工房跡や径約十四メートルの最大級の建築物を含め一三〇軒を超える住居跡が発見されている。中心部にある墳丘墓等未発掘の部分も多く、今後の調査が待たれる。
 甕棺(みかかん)墓から出土した鉄矛・鉄戈・ガラス製管玉・塞杆状ガラス製品・ゴホウラ貝腕輪などは王墓級だ。中でも塞杆(さいかん)状ガラス製品は、これまで須玖岡本と飯塚市の立岩からしか出土していない珍しいもの。
 奈良時代遺跡も、その柱穴一辺が一メートルを超え、太宰府政庁跡の注穴に匹敵する。
 このように安徳台遺跡は規模も質もトップクラスの弥生遺跡であり、倭王の居城に相応しい内容を有す。この地に卑弥呼が起居していたとしても不思議ではない。春日市須玖岡本山熊野神社社殿下の墳丘墓と共に、安徳台の墳丘墓も卑弥呼の墓の候補地の一つに加えたいと思う。
 この他にも那珂川町には京ノ隈、井河(注)など興味深い地名もある。今後の楽しみな研究テーマとなろう。
(注)
 和田家文書に卑弥呼が伊川で生まれたという伝承が記録されており、那珂川町の井河との関係が注目される。


第九回会員総会の挨拶

古田史学の会代表 水野孝夫

二〇〇二年度活動報告

 世間は不況であり、世界には戦乱とSARSといった病気の影響が渦巻いており、当会も影響を受けていないわけではありません。例えば例年の総会を行ってきた天満研修センターが今年は日曜日がとれないのも、その影響かも知れません。
 しかし、古田先生は、もうすぐ喜寿を迎えられるにもかかわらず、ますますお元気で新しい研究に取り組んでおられ、地方での講演や外国訪問も精力的にこなしておられます。そのためもあって、会員数も増加し、特に四国での会員増加が著しく、四国の会が誕生致しました。
 会報である「古田史学会報」は順調に発行され、活発な議論が行われております。
 会誌「古代に真実を求めて」は過去に遅れがあって、ある年度の維持会員には、対応する年度に発行する会誌を配布するお約束のところ、ズレを生じておりましたが、昨年度内に第5集、6集を発行して追いつくことができました。
 その他、あとで事務局長より報告いただきますが、古田先生の講演や研究の支援、インターネット・ホームページの運営、例会としての研究会活動、遺跡めぐりなども活発に行われました。担当の方々のご努力に感謝する次第です。

 

二〇〇三年度への抱負

 引き続き代表の役をやらせていただくことになりました。
 新年度の活動として、最大のものは、会報にも掲載のとおり、本会創立十周年の記念行事であります。日時は來年二〇〇四年の六月六日日曜日、会場は大阪市の中ノ島中央公会堂の、最大定員五百人という中会議室であります。予約の関係上、日時と会場のみが決まっておりますが、内容はこれからであります。ぜひ皆様のご協力をいただいて成功させたいと考えます。
 よろしくご協力のほど、お願い申し上げます。

古田史学の会 第九回会員総会のご報告
 六月二九日、大阪の毎日新聞ビルにて行われた古田武彦講演会終了後に、古田史学の会第九回会員総会が開催されました。交野市の会員、不二井伸平氏が議長に選ばれ、活発な質疑応答の後、事業報告・決算報告・監査報告・予算・人事など全ての議案が提案通り採択されました。以下、概要を列記し、ご報告とします。
        (事務局長 古賀達也)

◎古田史学の会 2002年度事業報告
          2002/04-2003/03
1.「古田史学会報」6回発行
           (担当 古賀)

2.会員論集『古代に真実を求めて』5集、6集発行(担当 水野、関西の会)

3.古田武彦氏講演会等
 本部行事として会員総会当日(大阪、7/28)講演会を開催。この他、九州の会(福岡、6/23)・北海道の会(札幌、8/5)・仙台の会(仙台、12/7)・関西の会(大阪、1/18)で開催。
 また、愛媛県北条市(5/18、風早歴史文化研究会主催)、福岡県久留米市(1/5、久留米郷土研究会主催)での講演会に協力した。

4.古田氏の調査活動などへの協力
 6/22福岡市百道浜での神話実験(九州の会、力石・他)

5.インターネットホームページ
  『新・古代学の扉』 (担当 横田)

6.図書寄贈
 国会図書館、松山市立図書館、北条市立ふるさと館等に『古代に真実を求めて』を寄贈。

7.遺跡めぐりハイキング(関西の会)毎月開催(担当 木村)

8.地域の会(北海道・仙台・東海・関西・四国)の例会活動

9.古田史学の会・四国の発足
            (2002/10/20)
 設立総会には古賀・木村が出席。

◎二〇〇三-二〇〇四年度人事 敬称略
1.全国世話人
 鶴丈治(札幌市)、佐々木広堂(仙台市)、青田勝彦(原町市)、宮林勇一(相模原市)、林俊彦(名古屋市)、古賀達也(京都市)、横田幸男(東大阪市)、木村賢司(豊中市)、水野孝夫(奈良市)、太田斉二郎(奈良市)、前田博司(下関市)、力石巌(福岡市)、上城誠(福岡市) の十三名留任。合田洋一(松山市)新任。以上十四名。

2.役員
 代表 水野孝夫 副代表 太田斉二郎 事務局長 古賀達也 会計 飯田満麿(奈良市) 会計監査 伊東義彰(生駒市)
3.その他(代表が任命)
 書籍部 木村賢司 会報担当 古賀達也 会誌担当 水野孝夫 インターネット担当 横田幸男
     ※決算・予算は十五頁に掲載


事務局だより

▼斎田さんは会報初登場、和田さん林さんは久しぶり。西井さんは快調な執筆で「常連」入りか。
▼古田先生喜寿のお祝い企画、いろは歌留多が完成。次は傘寿のお祝い企画が楽しみ。その前には来年六月の本会創立十周年記念行事がある。これも盛大に挙行したい。
▼津軽より吉報。和田家文書に記された津軽「邪馬台城」をついに「発見」。現地有志調査隊による七回目のアタックでの快挙。詳細な報告が待たれる。
▼関西例会の様子を写真で紹介した。他地域の例会の様子もご報告を。
▼C14測定により弥生が五百年遡った。半歩、考古学界(いでおろぎー)が古田説(りある)に接近か。
@koga


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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