2003年6月8日

古田史学会報

56号

1、歴史の曲り角(三)
  -- 魏志倭人伝の史料批判
 古田武彦

2、八幡について
  山内玲子

3、古代の遺跡
 新城山に登る
長野邦計

4、『高僧伝』
における寿命記事

 安藤哲朗

5、『新・古代学の扉』
が更に充実
 横田幸男

6、太安萬侶  その三
日本書紀成立

 斉藤里喜代

7、豊斟淳尊と豊国主尊
 西井健一郎

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『高僧伝』における寿命記事

横浜市 安藤哲朗

 拝啓
 いつもお世話になり、ありがとうございます。
 ご恵贈いただきました「古田史学会報」での、一連の二倍年暦の論文、興味深く拝読させていただいていますが、最近少し挙例が、八〇〜七〇歳ていどの、低い年齢に遷移してきたように見え、二倍年暦の証拠としては、少々無理があるのではないかと危惧されることもありますので、データを検索して見ました。ご参考までにFAXいたします。ご検討ください。
 使用した史料は、三部『高僧伝』の最初の『梁・高僧伝』(梁・慧皎撰)、「番禺孟鴻版」の木版影印本(広文書局刊行)です。なお『大正新修大蔵経』第五十巻史伝部二にも収録されています。
       *
 取りあえず全巻の寿命を検索して、並べてみました。(別表 七〜八頁)
 この例では、載せられた人物は後漢以後南北朝まで、編纂は劉宋から梁までで、この頃では(元嘉暦採用の後であり)二倍年暦の影響も考えられないのではないか、したがってこのへんで寿命が八〇〜七〇の人物が多く並んでいるようなら、この年齢の存在が二倍年暦を保証するとは言えず、没年齢分布以外の証拠が必要になるのではないかとと考えます。
       *
 結果は、この史料中では八〇〜七〇歳代の没年は一般的でした。
 その理由は、歴史的に取上げられる人物は、有名・傑出した人物であろうこと、そうなるためには人一倍健康であり、年老いても活動した人物である必要があった、と考えられます。
 なお、資料中に、異例な長寿として百歳を超える6例が見られますが、これについての信憑性について検証してみます。

a,巻九・神異上   1竺 仏図澄 百十七歳 西域人。有名人で、晋書・芸術伝に載せられている。その内容は高僧伝と共通部分がかなりあるが、晋書には没年は記されていない。超能力者としての描写が多く、没年の記述も信頼を置くことはできないと考える。

b,巻九・神異上   2単 道開 百余歳 敦煌人。建武十二年、石虎に招かれて一日七百里を歩いて来た、という興味深い記述がある。超能力譚が多いが、記述はしっかりしていて、信頼できる可能性がある。

c,巻十一・習禅四  2帛 僧光 百十歳 北地(北朝支配地域)人。出身地不明、山岳に隠れて入定のままで「不起」とされていて、不明部分が多い。

d,巻十一・習禅四 12釈 僧従 百歳 出身地不明、五穀を食べず、棗・栗のみを摂り、山中に終わったという。年齢を確かめることはできなかったであろう。

e,巻十一・明律五  7釈 道房 百二十歳 短文だが出身地・行状もはっきりしている。かなり信頼できる。

f,巻十二・忘身六  1釈 僧羣 百四十歳 「忘身」と言うくらいで、自分のことを周囲にどこまで語っていたか疑わしい所がある。出身地不明。「羣僊」と呼ばれていたという記述があり、仏教者というより仙人のような人と見られていたらしい。釣瓶に鴨がいたので、傷つけるのを恐れて水を飲まずに死んだという。高齢ではあったろうが、百四十歳は疑わしい。

g,巻十二・忘身六  6紹師僧要 百六十歳 終於寺 二八歳で焼身自殺した釈慧紹伝の最後に、師の僧要の寿命のことだけを付記してある。非常な高齢だが、それ以外に何もわからない。

       *
 なお、この史料には、出家年齢が十歳・十数歳などの記述もあり、当時流行した焼身自殺で死んだ年齢が二三・二八などという例もあるので、全体が二倍年暦である可能性はないと思われる。
       *
 また、『高僧伝』では死亡記事に、ほとんど「春秋……年」という表現が使われています。これは、俗年齢より法臘(出家以来の年数)を重んじる仏教徒の習慣から、特に俗年齢につけられた呼称かと思われますが、一方『魏略』の「但記春耕秋収為年紀」にも通じ、複雑な感じがします。

 P/S 『仏陀の二倍年暦』について。
 釈迦の没年八〇が二倍年暦の可能性があることはさることですが、釈迦涅槃時に十大弟子すべてが存命で、後の結集にも活躍していると伝えられていることも注目すべきだと思います。摩訶迦葉などは釈迦より年長だと伝えられていますし、一部を除いてはほとんど同世代の者のようですから、このような「長命群」のほうが、一人の長命より証拠として有力ではないでしょうか。
 以上、ご参考下さい。
 いよいよご研究の進捗をお祈りいたします。
 敬具
  〔筆者は多元の会・関東の副会長〕

『高僧伝』上
 巻第一
  訳経上
1 摂 摩騰  不記
2 竺 法蘭  60余
3 安  清  不記、死時奇譚あり
4 支楼迦讖  後不知所終
5 曇柯迦羅  不知所終
6 康 僧会  不記 疾而終
7 維 祇難  不記
8 曇摩羅刹  78
9 帛  遠  57
10 帛尸梨蜜  80余
11 曇摩難提  60余
12 僧伽提婆  不知所終
13 竺 仏念  不記
14 曇摩耶舎  不知所終 >85

 巻第二
  訳経中
  晋
1 鳩摩羅什  没年に諸説あり
2 弗若多羅  不記
3 曇摩流支  不知所卒
4 卑摩羅叉  77
5 仏陀耶舎  不知所終
6 仏駄抜陀羅 71
7 曇 無讖  49為刺客路害

 巻第三
  宋
1 釈 法顕  86
2 釈曇無竭  不知所終
3 仏 駄什  不知所終
4 浮陀跋摩  後不知所終
5 釈 智厳  78
6 釈 宝雲  74
7 求那跋摩  65
8 僧伽跋摩  莫詳其終
9 曇摩蜜多  87
10 釈 智猛  不記
11 橿良耶舎  60
12 求那跋陀羅 75
  斉
13 求那毘地  斉中興2年冬終

 巻第四
  義解一
1 朱 士行  80
2 支 孝竜  不知所終
3 康 僧淵  不記
4 竺 法雅  不知所終
5 康 法朗  不記
6 竺 法乗  不記
7 竺 道潜  89
8 支  遁  53
9 于 法蘭  不記
10 于 法開  60
11 于 道邃  31
12 竺 法崇  不記
13 竺 法義  74
14 竺 僧度  不記

 巻第5
  義解二
1 釈(竺)道安 不記
2 釈 法和  80
4 竺 僧朗  84
5 竺 法汰  68
6 釈 僧光  不知所終
7 釈 僧補  60
8 釈 僧敷  70余
9 釈 曇翼  82
10 釈 法遇  60矣
11 釈 曇徽  73
12 釈 道立  不記
13 釈 曇戒  70
14 竺 法曠  76
15 釈 道壱  71
16 釈 慧虔  不記

 巻第六
  義解三
1 釈 慧遠  83矣
2 釈 慧持  86
3 釈 慧永  83
4 釈 僧済  45
5 釈 法安  不知所終
6 釈 曇邑  不記
7 釈 道祖  73
8 釈 僧碧  73
9 釈 道融  74
10 釈 曇影  70
11 釈 僧叡  67
12 釈 道恒  72
13 釈 僧肇  31矣

 『高僧伝』下
 巻第七
  義解四
  宋
1 竺 道生  不記
2 釈 慧叡  85矣
3 釈 慧厳  81
4 釈 慧観  71
5 釈 慧義  73
6 釈 道淵  78
7 釈 僧弼  78矣
8 釈 慧静  60余
9 釈 僧苞  不記
10 釈 僧詮  不記
11 釈 曇鑒  70
12 釈 慧安  不記
13 釈 曇無成 64
14 釈 僧含  不記
15 釈 僧徹  70
16 釈 曇諦  60余
17 釈 僧導  96
18 釈 道汪  不記
19 釈 慧静  58
20 釈 法愍  82
21 釈 道亮  69
22 釈 梵敏  70余
23 釈 道温  69
24 釈 曇斌  67
25 釈 慧亮  63矣
26 釈 僧鏡  67
27 釈 僧瑾  79
28 釈 道猛  65
29 釈 超進  94
30 釈 法瑾  76
31 釈 道猷  71
32 釈 慧通  63

 巻第八
  義解五
1 釈 僧淵  68
2 釈 曇度  不明
3 釈 道慧  31
4 釈 僧鍾  60
5 釈 道盛  60余
6 釈 宏充  73
7 釈 智林  79
8 釈 法瑶  81
9 釈 元暢  69
10 釈 僧遠  71
11 釈 僧慧  79
12 釈 僧柔  64
13 釈 慧基  85
14 釈 慧次  57
15 釈 慧隆  62
16 釈 僧宗  59
17 釈 法安  45
18 釈 僧印  65
19 釈 法度  64
20 釈 智秀  63
21 釈 慧球  74余
22 釈 僧盛  50
23 釈 智順  61
24 釈 宝亮  66
25 釈 法通  70
6 釈 慧集  60
27 釈 曇斐  76

 巻第九
  神異上
1 竺 仏図澄 117
2 単 道開  100余
3 竺 仏調  不記
4 耆  域  不知所終

 巻第十
 神異下
1 腱 陀勤  不知所終
2 阿 羅鞨  火定
3 竺 法慧  58
4 安 慧則  建元16年12月無疾而化
5 渉  公  建元16年12月
6 釈 曇霍  不知所之
7 史  宗  不記
8 杯  度  不記
9 釈 曇始  不知所終
10 釈 法朗  入石穴中不反
11 邵  碵  不知所終
12 釈 慧安  不記
13 釈 法匱  不記
14 釈 僧慧  不記
15 釈 慧通  不記
16 釈 保誌  推定97

 巻第十一
 習禅第四
1 竺 僧顕 不記
2 帛曇僧光 110 
3 竺(法)曇猷 不明
4 釈 慧嵬  不知所終
5 釈 賢護  晋隆安3年卒
6 支 曇蘭  83
7 釈 法緒  不明、捨命
8 釈 元高  43、刑死
9 釈 僧周  不明、焼身
10 釈 慧通  59
11 釈 浄度  不記
12 釈 僧従 100 終於山中
13 釈 法成  不記
14 釈 慧覧  60余矣
15 釈 法期  62
16 釈 道法  不記
17 釈 普恆  78
18 釈 僧審  75
19 釈 僧悟  79
20 釈 曇超  74
21 釈 慧明  70

 明律第五
1 釈 慧猷  不記
2 釈 僧業  75
3 釈 慧詢  84
4 釈 僧據  58
5 釈 道儼  75
6 釈 僧隠  80矣
7 釈 道房 120矣
8 釈 道営  83矣
9 釈 志道  73
10 釈 法穎  67
11 釈 法琳  不記、火葬
12 釈 智称  72
13 釈 僧祐  74

 巻第十二
 忘身第六
 晋
1 釈 僧羣  140矣

 宋
2 釈 曇称  不記、捨身虎害
3 釈 法進  不記、救餓割身
4 釈 僧富  不知所終
5 釈 法羽  45、焼身
6 釈 慧紹  28、焼身
6' 紹師僧要  160終於寺
7 釈 僧瑜  44、焼身
8 釈 慧益  不記、焼身
9 釈 僧慶  23、焼身

 斉
10 釈 法光  41、焼身
11 釈 曇宏  不記、焼身

 誦経第七
1 釈 曇邃  不知所終
2 釈 法相  80
3 竺 法純  不知所終
4 釈 僧生  不記、火葬
5 釈 法宗  不測所終
6 釈 道冏  不記
7 釈 慧慶  62
8 釈 普明  85
9 釈 法荘  76
10 釈 慧果  76
11 釈 法恭  80
12 釈 僧覆  66
13 釈 慧進  85
14 釈 宏明  84
15 釈 慧豫  57
16 釈 道嵩  49
17 釈 超弁  73
18 釈 法慧  不記
19 釈 僧侯  89
20 釈 慧弥  79
21 釈 道琳  73

巻第十三
 興福第八
 晋
1 竺 慧達  不知所之
2 釈 慧元  不記
3 釈 慧力  不記

 宋
4 釈 慧受  不記
5 釈 僧慧  不記
6 釈 曇翼  70
7 釈 僧洪  不記、以苦行卒
8 釈 僧亮  不記
9 釈 法意  不知所終

 斉
10 釈 慧敬  不記
11 釈 法献  不知所終
12 釈 法献  75

 梁
13 釈 僧護  不記
14 釈 法悦  不記

 経師第九
 晋
1 帛 法橋  >90
2 支 曇籥  81

 宋
3 釈 法平  不記
4 釈 僧饒  86
5 釈 道慧  51
6 釈 智宗  31

 斉
7 釈 曇遷  99
8 釈 曇智  79
9 釈 僧辯  不記
10 釈 曇馮  不記
11 釈 慧忍  40余

 唱導第十
 宋
1 釈 道照  66
2 釈 道穎  81
3 釈 慧據  72
4 釈 曇宗  不記
5 釈 曇光  65

 斉
6 釈 慧芬  79
7 釈 道儒  81
8 釈 慧重  73
9 釈 法願  87
10 釈 法鏡  64

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 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。
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