2014年 4月6日

古田史学会報

121号

1,筑紫舞再興30周年記念
 「宮地嶽 黄金伝説」
   のご報告

2,一元史観からの
  太宰府「王都」説
  古賀達也

3,神代と人代の相似形II
 もうひとつの海幸・山幸
   西村秀己

4,『三国志』の尺
   野田利郎

5,納音(なっちん)付き
 九州年号史料の出現
 石原家文書の紹介
  古賀達也

6,『倭人伝』の里程記事
「水行一日五百里・陸行一刻百里、一日三百里」と換算
  正木裕

 

古田史学会報一覧

「九州年号」を記す一覧表を発見 -- 和水町前原の石原家文書 前垣芳郎(会報122号)
石原家文書の納音(なっちん)は古い形か 服部静尚(会報125号)


納音(なっちん)付き九州年号史料の出現

熊本県玉名郡和水町「石原家文書」の紹介

京都市 古賀達也

熊本県から九州年号史料発見

 本年二月に熊本県玉名郡和水(なごみ)町の前垣さんという方から拙宅にお電話があり、地元の庄屋だった家から大量の古文書(「石原家文書」)が見つかり、その中に「九州年号」が記されたものがあるとのことでした。前垣さんは当地の菊水史談会の方で、『「九州年号」の研究』を図書館で読み、わたしのことを知ったとのことでした。それでその九州年号史料のことをわたしに知らせるために、わざわざ連絡先を調べてお電話をくださったのでした。
 前垣さんのお話によると、大量の古文書の中で、九州年号が記されているのは一点だけのようで、「善記」「正和」「朱雀」「大化」「大長」などの九州年号が記されているそうです。成立は江戸時代のようでした。
 和水町には有名な江田船山古墳があります。そのような地で発見された九州年号史料ですから、とても興味深いものです。それにしても、『「九州年号」の研究』がいろんなところで読まれ、発見された九州年号史料のことをご連絡いただける時代になったようで、大変ありがたいことです。

納音(なっちん)と九州年号

 電話をいただいてから間もなくして、発見された九州年号史料のコピーが前垣芳郎さんから送られてきました。それは今まで見たこともないような不思議な九州年号史料でした。
 前垣さんによると、当地の庄屋だった旧家から約二百点の古文書が発見され、そのうちの一点が今回送られてきた九州年号史料とのこと。その史料はA2サイズほどの1枚もので、縦横に升目が引かれ、最上段には「納音」と呼ばれる占いに使われる用語が三十個並び、二段目には五行説の「木・火・土・金・水」が順不同で繰り返して並んでいます。その下に、九州年号「善記元年(五二二)」から始まる年号と年を示す数字が右から左へ、そして下段へと、江戸時代の年号「寶暦二年」(一七五二)まで同筆で書かれ、その後は別筆で「天明元年」(一七八一)まで記されています。左側には「寶暦四甲戌盃春上浣」と成立年(一七四五)が記されています。
 納音というものをわたしはこの史料で初めて知ったのですが、たとえば「山頭火」という納音は、有名な種田山頭火の俳号の出典とのことです。生年の納音を根拠に占いに使用するらしいのですが、そのためにこの史料が作られたのであれば、寶暦四年よりも約千二百年も昔の九州年号から始める必要はないように思います。大昔に亡くなった人を占う必要が理解できませんので。
 しかも、五行説に基づいて年代を列記するのであれば、最初は「木」から始まってほしいところですが、九州年号の善記元年(五二二)は「金」です。干支に基づくのであれば「甲子」からですが、善記元年の干支は「壬寅」であり、これも違います。このように何とも史料性格(使用目的など)がわからない不思議な九州年号史料なのです。ただ、九州年号の「善記元年」からスタートしていることから、年号を強烈に意識して書かれたことは確かでしょう。
 届いたばかりですので、これからしっかりと時間をかけて研究しようと思います。今回、この九州年号史料のコピーをご送付いただいた前垣さんに、発見された史料を見せていただけないかとお願いしたところ、ご承諾いただけました。五月の連休にでも当地を訪問したいと考えています。
 納音についてインターネット上に次の解説がありましたので、転載します。ご参考まで。

 ※納音とは=六十干支を陰陽五行説や中国古代の音韻理論を応用して、木・火・土・金・水に分類し、さらに形容詞を付けて三〇に分類したもの。生まれ年の納音によってその人の運命を判断する。
井泉水=明治十七年生まれ。
甲申(きのえさる)で、納音は井泉水(せいせんのみず)である。
山頭火=明治十五年生まれ。
壬午(みずのえうま)で、納音は楊柳木(ようりゅうのき)である。

 

「納音」付・九州年号の依拠史料

 前垣さんから送っていただいた「納音」付・九州年号史料コピーですが、そこに記されている九州年号は「善記」から始まっており、原型に近いとされる『二中歴』の九州年号とは別系統です。その依拠史料について精査した結果、寛政元年(一七八九)に成立した『和漢年契』(高昶著)が管見では最も似ていることがわかりました。
 丸山晋司著『古代逸年号の謎 古写本「九州年号」の原像を求めて』(アイピーシー刊、一九九二年)によれば、『和漢年契』に記された九州年号のうち、『二中歴』とは異なる「誤記・誤伝」が、「納音」付・九州年号史料と次のような一致点が見られます。

『二中歴』 →『和漢年契』・納音付九州年号
 「教倒」 → 「教知」
 「賢称」 → 「賢輔」
 「勝照」 → 「照勝」
 「命長」 → 「明長」

 以上のようですが、「教知」と「明長」は特に珍しい「誤記・誤伝」であり、その一致が注目されます。しかし、わたしが着目したのは、寛政元年(一七八九)に成立した『和漢年契』よりも「納音付九州年号」の方が寶暦四年(一七五四)の成立であり、古いのです。両者は恐らく共通あるいは同系列の九州年号史料に依拠して書かれた可能性が高いのです。江戸時代に、大阪で成立した『和漢年契』と遠く離れた九州で成立した史料が同系列の九州年号史料に依拠していたとすれば興味深いことです。
 江戸時代の玉名郡にどのような九州年号史料が存在していたのか、調査したいと願っています。幸い、同史料「石原家文書」を見せていただけるとのことですので、楽しみにしています。史料を実見しましたら、またご報告します


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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