2012年4月8日

古田史学会報

109号

1、七世紀須恵器の実年代
「前期難波宮の考古学」
 大下隆司

2、九州年号の史料批判
 古賀達也

3、「国県制」と
 「六十六国分国」
 阿部周一

4、磐井の冤罪 III
 正木 裕

5、倭人伝の音韻は
 南朝系呉音
内倉氏と論争を終えて
 古賀達也

6、独楽の記紀
記紀にみる
「阿布美と淡海」
 西井健一郎

 

古田史学会報一覧

再び内倉氏の誤論誤断を質す -- 中国古代音韻の理解について 古賀達也(会報103号)
反論になっていない古賀氏の「反論」 内倉武久(会報106号)


倭人伝の音韻は南朝系呉音

内倉氏との「論争」を終えて

京都市 古賀達也

はじめに

 『古田史学会報』で続けた内倉武久氏との倭人伝音韻についての「論争」であったが、「古田史学会報」一〇六号の氏の論稿(「反論になっていない古賀氏の『反論』」)を読んで、やはりというか予想はしていたものの、学問論争としての応答になっていないことが明らかとなった。氏はわたしからの具体的な質問に対して、ほとんどまともな回答をなされず、論点をすり替えたり、強弁に終始された。残念な対応である。これ以上の応答を続けても読者への学問的利益にもかなわないので、まず当論争の概要を振り返り、これからの倭人伝音韻研究の方向性について述べることとしたい。

 

内倉氏の主張の変質

 当論争の発端は関西例会(2010.1.6)での内倉氏の発表で、その主張は倭人伝の国名は漢音で読まなければならないというものだ。その時、資料として提示されたのが、諸橋『大漢和辞典』のコピー等である。氏は同辞典の漢音と呉音の分類を、そのまま漢の時代の漢の地方の音韻、呉の時代の呉の地方の音韻であると理解されていたので、それは違うのではないかとわたしは指摘したが、明快な返答を得られなかった。そこで次回例会で説明してほしいと要請した。
 しかし氏はその後関西例会に出席されることなく、「古田史学会報」一〇〇号にて自説を発表された。そこでは音韻復元は漢代成立の『説文解字』に依ったとされ、当初から『説文解字』に依っていたかのように主張を変えられた。もちろん、論争の途中で自らの誤りに気づき、主張を訂正するのは恥ずかしいことではなく、むしろ当たり前の学問的態度である。しかし氏はそうはされず、関西例会に参加されていない読者にはわからないよう、こっそりと主張を変更された。
 内倉氏の著書で、関西例会発表時に持参され自ら宣伝された『卑弥呼と神武が明かす古代』(ミネルヴァ書房、2007)の一二二頁に氏は次のようにはっきりと書かれている。
「では、中国の正史を書いてきた魏晋朝、あるいは隋、唐王朝では呉音系の言葉を使っていたのか、漢音系の言葉を使っていたのか。答えは明らかだ。(中略)中国の正史で使われている文章や字は、すべて漢音系の発音で書かれ、訓まれていたと見なければならないであろう。
 では、漢音で「奴」はどう訓むか。「ド」しかない(諸橋・大漢和辞典による)。」

 以上のように、内倉氏は諸橋・大漢和辞典の「漢音」「呉音」分類に従っておられるのである。それでは諸橋・大漢和辞典の「漢音」「呉音」分類はどのように定義されているか。これも明白だ。同辞典凡例によれば、「漢音・呉音は反切に本づき、実際の用例を斟酌して決定」したとされており、たとえば「奴」の字の用例として『集韻』記載の反切によったことが記されている。『集韻』の成立は十一世紀とされており、漢代ではない。従い十一世紀の音韻書の音韻表記(反切)をそのまま漢代や魏晋朝の音韻とはできない。このように氏は「奴」の音韻について、当初は諸橋・大漢和辞典に依拠して自説を組み立てておられたのである。
 その後、会報では漢代成立の『説文解字』に依拠して音韻を復元したと主張されたので、わたしは『説文解字』には音韻表記がなく、音韻復元はできないと指摘したところ、『説文解字』には音韻表記が無いことを氏は認められたにもかかわらず、あいもかわらず『説文解字』で漢代の音韻が復元できるかのように装われた。
 そこでわたしは二度にわたり、誰のどの研究により『説文解字』から漢代の音韻復元をしたのか明らかにすべきと指摘した。その結果、氏から出されたのが当初は清代の『説文大字典』であり、その次は同じく清代の『説文解字注』であった。同じ清代の史料であるにもかわらず、依拠史料を突然に変更された事情も不明瞭である。
 繰り返しになるが、そもそも『説文解字』には音韻表記が無いのだから、音韻復元はできないのであり、それは清代であろうと現代であろうと同じことなのである。これほど単純自明なことが内倉氏には最後までご理解いただけなかったようである。

 

古田武彦『卑弥呼』の音韻研究

 今回の論争において、わたしは古代中国音韻の先行研究を調査勉強したのだが、その中で知った松中祐一氏の論文「倭人伝の漢字音 -- 卑弥呼=姫王の証明」(『越境としての古代7』所収)を当論争の課程で紹介した。松中論文には、近年における魏晋朝音韻復元に関する研究論文が紹介されているが、それらの研究ではいずれも魏晋朝の音韻を「中古音」とされており、いわゆる南朝系の「日本呉音」に近いことがうかがわれるのである。 
 更に昨年発行された『卑弥呼』(ミネルヴァ書房)において、古田武彦氏は倭人伝の国名の発音について新たな見解を発表された。同書九七頁「三世紀以前の日本語は南朝音」で、次のように述べられている。
 「『周・漢・魏・西晋』系列の中国音は、西晋の滅亡(三一六)をもって断絶する。鮮卑が南下して洛陽・西安を征服して『北魏』を建国したからである。(中略)
  当然ながら、『文字の発音』についても、一大変動がおこった。いわば『北朝音』だ。これを(北朝の)彼等は『漢音』と称した。『漢の正統を受け継ぐ』旨を“偽称”もしくは“擬称”したのである。 ーー これがいわゆる『漢音』である。
  これに反し、『西晋以前』の、本来の中国音は、東晋に″受け継がれ″た。建康(南京)を都とする『南朝』である。ここでは『西晋以前』の、本来の中国音が『支配者層の言語』であり、これと被支配者層としての『呉・越等の、現地音』とが″混合″された。 ーー これを『呉音』と称したのである。」

 以上のような古代中国における北朝と南朝の変遷に基づく言語や発音の変化を、古田氏は論述された。そして、倭人伝国名の具体例として「邪馬壱国」をあげ、南朝系の呉音で「やまいち」と発音すべきこと、北朝系の漢音では「じゃばいち」となり、これでは「日本語」とならないことを指摘された。
 この古田氏の指摘は、松中論文で紹介された近年の音韻研究の成果と整合しており、「倭人伝国名は日本呉音で訓むのが穏当」とした、わたしの見解とも一致する。今後、倭人伝の音韻研究を行う際は、こうした古田氏の指摘に基づくべきであろう。少なくとも無視することは学問的に不当である。

 

現代中国の「奴」の発音

 内倉氏の主張の「核心」は、委奴国と伊都国をともに「いと」国と訓みたい、同じ国のこととしたいという一点にあるのだが、それにあうように、古代中国の漢代の漢の地方では、奴の字を漢音の「ど」と発音していたと論証抜きで断定(誤断。諸橋『大漢和辞典』の誤読誤用)されたため、その後の論旨に様々な無理無茶が派生したのである。
 こうした論争経緯もあって、本論とは直接には関係ないが、奴の字が現代中国の北方と南方ではどのように発音されているのか、わたしは興味を持ち、調べてみた。
 中国語辞典では奴の発音は「nu」とされており、これは共通語の「北京語」発音と思われる。念のため、日本語に堪能な中国人の友人、王盛氏(上海出身。注1)に確認したところ、「北京語」でも「上海語」でも「ヌ」と発音し、ほとんど同じとのことであった。厳密には「北京語」では口をとがらせて「ヌ」と発音し、「上海語」では鼻に抜ける感じの「ヌ」とのこと(耳の悪いわたしには残念ながら聞き分けられなかった)。
 広大な中国大陸ではあるが、現代でも奴の字を北京(北方)でも上海(南方)でも「ヌ」と発音し、日本呉音(南朝系音)と同じであることは歴史的にも興味深い現象ではあるまいか。

(注1)丸紅ケミックス大阪支社勤務。(補注)王盛氏によれば、上海よりも更に南の広東語では、「奴」を「ノ」と発音し、台湾語の一部も「ノ」と発音する


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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