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寛政奉納額鉄剣に銘文  勇気ある証言と新発見

古田史学会報
1994年8月18日 No.2
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寛政奉納額鉄剣に銘文

寛政元戊酉八月自
鍛冶 里原太助

古賀達也

 会報創刊号にて報告された、秋田孝季らによる寛政奉納額の同時代性を更に強化する発見がなされた。同鉄剣裏面に銘文が存在したのである。
 それは古田氏の依頼により、同鉄剣の調査を行った、東北大学金属材料研究所の鑑定中に発見されたものだ。当初、成分調査のため額からはずれかかっていた向かって左側の鉄剣をはずしたところ、その柄の部分に「鍛冶 里原太助」と鉄剣の作者と思われる銘文が発見された。その後、更に右の鉄剣も調査していただいたところ、柄の部分には同様に「鍛冶 里原太助」、そして剣の中程の部分「寛政元戊酉八月自」と制作年月が彫られていることが判明した。額面にある年月と一致する鉄剣の銘文は、同奉納額の信頼性を一挙にに高める「金石文」となったのである。
 また、鑑定にあたった同研究所の谷野満教授の見解でも、同宝剣が寛政年間に作られたとしても、技術上問題ない旨、述べられた。もちろん、鑑定によって制作年代が直ちに判明することは、まず困難であるが、鉄剣製造技術からみて、額や銘文の寛政年間製作としても問題ないという鑑定は、貴重な自然科学的見解と言える。
 今回の銘文発見は共同通信社を通して、各地の新聞に掲載されたが、掲載前日の夜中に、どういうわけか共同通 信社の配信記事の内容を知った、安本美典氏らによる、さまざまな「報道妨害」がなされたと聞く。また、鑑定にあたった、谷野教授にも同様の「圧力」がかけられたためか、その後、同教授は和田家文書真贋論争に関わることを恐れられ、鑑定結果に対する発言が後退しているようである。しかし、こうした「圧力」にもかかわらず、ついに谷野教授から「寛政年間製作の可能性なし」の発言を引き出すことはできなかったことが、何よりも同奉納額の信憑性と偽作論者の狼狽ぶりを雄弁に示していると言えよう。
 当初、偽作論者はこの奉納額「発見」に対して、こともあろうに(いや、彼らの常套手段か)古田氏による偽造と言い出したのであったが、既に昨年発行された歴史読本「古史古伝」論争所収の藤本光幸論文に同額の小写真が掲載され、あるいは市浦村史資料編にも写真が掲載されていることを知ると、予想した通り、和田喜八郎氏による偽造説を唱え初めたのである。更に、これも予想していたことだが、同額が戦前から日吉神社にあったことを証言された、青山兼四郎氏をも「共犯者」として名指しで中傷を開始したのである。
 そして、青山氏と同様に、同額が日吉神社あったことを証言された、同神社宮司松橋徳夫氏までも「共犯者」としたのである。その理由は、松橋氏が市浦村史編纂委員であったというのが主な根拠のようである。他者を名指しでウソツキ呼ばわりする前に、本人に会って、直接事情を調査すべきである。(もっとも安本美典氏は松橋氏に電話で、額は喜八郎氏が作った偽物と述べられたそうだが、松橋氏から昭和二四年に日吉神社宮司に就任した当時から額は同神社に架かっていた、ときっぱりと反論されておられる。)自説に不利な証言者を、次々と「共犯者」扱いして何とも思わぬ 、しかも、本人に直接会いもせずに。もはや、これを学問とは言えない。
 さて、銘文の内容に話を戻そう。寛政元年の干支は己酉だが、銘文には戊酉とある。これは前年の干支が「戊申」のため、作者が錯覚したのではないかと、古田氏は判断されている。これなども、偽作ならば有りにくい違いであろう。作者と見られる「里原太助」ついては、「里原」を姓と見るか、地名と見るか、判断が分かれるところであるが、私は里原という姓が大変珍しく、関西の堺市なに分布しているという状況から、かつて、堺市は鍛冶などが盛んであったことを考えれば、同地域出身者の鍛冶職人ではないかと想像している。一方、津軽地方には「里」がつく地名も多いことから、地名説も有力であろう。今後の検討課題としたい。
 なお、古田氏からの連絡によると、『東日流外三郡誌』に、日枝神社へ「剣絵馬」を秋田孝季らが奉納したことが記されており、今回の奉納額のことと思われる。『東日流外三郡誌』の当該部分について、古田氏は更に重要な発見をなされており、いずれ発表されることとなろう。
 こうして、寛政奉納額「発見」は、和田家文書の内容を、更に具体的な研究対象とする必要性を投げかけているように思われる。そして、古田氏を中心として、心ある研究者達は着実にその研究を開始していることを述べ本稿の結びとしたい。


−−「和田家文書」第二次現地調査報告−−

勇気ある証言と新発見

古賀達也

  八月四日から七日にかけて、私は古田氏・上城誠氏(本会世話人・静岡市)と共に、再び津軽の地を訪れた。今回の主たる目的は日吉神社がある相内地区の聞き取り調査と関係文献の調査であった。予想以上の成果 と同時に予期せぬ「妨害」にも出会うという、まるでドラマの世界に飛び込んだかのような、貴重な体験の連続であった。
 寛政奉納額が戦前から日吉神社に存在したことを裏付ける証言を求めて、現地入りしたのだが、現地の方々の口は重く、言わば「見ざる、聞かざる、言わざる」の状態なのだ。その様子もどこか不自然で、発言も微妙に食い違ってくるのである。後に判明したことだが、現地の関係者に対して、猛烈な証言封じや「圧力」、ひっきりなしにかかる偽作論者と思われる人々からの電話攻勢に、氏子さんたちは「沈黙」「証言封じ」の状態に追い込まれていたのであった。いずれ、事の真相は明らかにされようが、現時点では真贋論争には無関係の当地の方々に、これ以上のご迷惑のかかることを恐れ、詳細は伏せることにしたい。
 そうした中で、敢然と証言に応じられたのが、日吉神社宮司松橋徳夫氏である。氏は一点の曇りもなく、きっぱりと次の様に証言され、当方のビデオ録画の要望にも快く応じられたのであった。
1 私が日吉神社宮司に就任した昭和二四年には奉納額は神社拝殿に架かっていました。
2 大変古い額なので、氏子さんたちとも話題に上りました。氏子さんたちもこの額をご存じです。
3 前氏子総代さん(三和定松氏)らの記憶でも戦前からあったということでした。
4 「奉納御神前 日枝神社」と書いてあったことは記憶しております。
5 その他の部分も、それらしき字が書かれていたことははっきりと記憶しております。何と書かれていたかは、当時あまり興味をもっておりませんでしたので、内容は記憶しておりませんが、何か書かれていたのは間違いございません。
6 日吉神社が明治以前から存在していたことは古文書などにも記されています。
7 はっきりとは記憶していませんが、昭和五十年頃に、神社から別の場所へ移されたようです。

  概ね以上の内容であった。松橋氏は決して多弁な方ではなかったが、自らが記憶していることと、そうでないことを明確に分けて、一つひとつ丁寧に答えていただいた。氏は四十年以上、同神社の宮司をなされており、その証言は貴重かつ重い。こうした人物までも偽作論者は会いもせずに、「共犯者」扱いをするのである。
 一方、同奉納額が昭和初期からあったと証言されていた青山兼四郎氏に対しても、地元有力関係者から、発言を控えるようにと「圧力」があったそうである。青山氏は「見たものは見たんだ、嘘はつけない」と、そうした「圧力」に対して、きっぱりと拒否の返答をなされたという。今回の調査で、わたしたちは本真贋論争が学問の域を越えて、地元の人々の間に暗い影を落としていること、それでもなお、真実を主張することをはばからぬ 人々の少なくないことを目の当たりにし、一日も早く、学問の正道にかえった論争とすること、そして何よりも真実を明らかにするために一層の努力をせねばならぬ ことを、痛感した。

続出した新発見と事実
 今回の調査の、もう一つの収穫。それは文献上の数々の発見であった。現在、それら内容の追跡調査を行っているが、概要のみ述べよう。
1. 和田長三郎吉次の実在を示す文献の発見(もちろん和田家文書ではない)。
2. 和田家文書が、戦後間もなく当地では知られていたという事実の確証を得たこと。
 などである。現在これらについて、筆者ならびに古田氏、上城氏により調査研究が進められており、いずれ詳細な報告がなされるであろう。ご期待願いたい。
 最後に、地元青森県では東奥日報などによる偽作キャンペーン、あるいは奉納額の報道拒否などにより、肝心の青森の方々に情報が伝わらないでいることが、あらためて実感された。藤崎町や青森市で行われた、古田講演会では、初めて見る奉納額の写真に、思わず会場から拍手が起こったほどであった。そして、そうした情報を報道しない地元紙に対しての憤りが会場のあちらこちらでささやかれていた。
 また、恐らくまだ少数ではあろうが、青森県関係者の中にも、和田家文書や和田家が所蔵している貴重な文化財を、公的機関で保管するべきとの声が存在することも知った。真実は頑固である。地元でもセンセーショナルな偽作キャンペーンとは別 に、郷土の文化遺産として、貴重な学問的対象として、冷静に和田家文書に向かい合って行こうとする動きが芽生えていることを、自らの目と耳とで確認しつつ、帰路についたのであった。
 いずれ、調査報告会を持ちたいと考えているが、今回の調査にあたり、支援していただいた会員の皆様や現地の方々に、深くお礼を申し上げて、とりあえずの調査報告とさせていただくしだいである。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
 新古代学の扉 インターネット事務局 E-mail sinkodai@furutasigaku.jp


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