2019年12月12日

古田史学会報

155号

1,『隋書』俀国伝を考える
 岡下英男

2,「鞠智城」と「難波京」
 阿部周一

3,三種の神器をヤマト王権は
 何時手に入れたのか
 服部静尚

4,難波の都市化と九州王朝
 古賀達也

5,「壹」から始める古田史学・二十一
磐井没後の九州王朝1
古田史学の会事務局長 正木 裕

6,なぜ蛇は神なのか?
 どうしてヤマタノオロチは
 切られるのか?
 大原重雄

 

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縄文にいたイザナギ・イザナミ(会報145号)

箸墓古墳の本当の姿について (会報154号)
卑弥呼のための舶載鏡 ( 会報156号)


なぜ蛇は神なのか?

どうしてヤマタノオロチは切られるのか?

京都府大山崎町 大原重雄

  古田先生は蛇神を在地の守護神、退治された「をろち」は出雲において崇敬されていた善神とされた。人の命を奪う毒牙をもち、姿を表せば多くの人が忌避するであろう蛇を人はどうして神にしたのか。しかも崇められるはずが神話では最後に一刀両断に切られるのは何故なのか。人が蛇をどのように捉えていたのかを考えてみたい

 

(1)蛇は世界中で神となっていた

 博学無比の南方熊楠は「蛇の伝説は無尽蔵」とした。日本でもはるか昔から蛇は特別な存在だ。縄文時代の土器には生々しく蛇が造形されたものがある。しかしたいていの研究者は直接言及されない。「ありきたりの修辞にいら立っていた」谷川健一は述べる。「蛇身装飾土器によってそうしたあいまいな比喩を突破して前進した・・・蛇に憑かれた人間たちが縄文中期に存在し、集団表象を生むにいたった」と。縄文の時代から蛇信仰はあったのだ。それだけではない、さらに人類の歴史をさかのぼる今から二万数千年も前の後期旧石器時代、バイカルシベリア、マルタ遺跡の出土物に細かな線刻が波打つような文様があり、明らかに蛇が描かれている。
 蛇信仰は世界各地に広がっていた。エジプトではコブラが太陽、火のシンボルとされ、王の冠や額の装飾となった。インドでは七つの頭のナーガ信仰があってタイなどにも広がった。中国の祖先神は伏犧(ふくぎ)、女媧(じよか)の人面蛇神の夫婦神だ。台湾では噛まれると百歩も行かぬうちに死ぬという猛毒の百歩蛇(ひやつぽだ)が、首長の祖先として崇められその図柄の衣装を纏った。メキシコはケツァルコアトルが蛇神であり、チチェン・イッツアのピラミッドは春分と秋分の日に太陽の光と影で階段底部の大蛇の頭から見事に胴体が浮かび上がる。今はユーチューブで容易に見られるが一九七七年当時のテレビ中継を画面にくぎ付けになって見ていたものだ。その神秘的な光景に謎は膨らむばかりだった。どうして蛇なのか?

釈迦堂遺跡博物館

釈迦堂遺跡博物館

尖り石z

尖り石縄文考古館

 

(2)吉野裕子の蛇信仰論

 なぜ蛇が信仰の対象として、神として崇められたのかを、氏はいくつも蛇という生き物のもつ特性から解明されている。すべてはふれられないので、いくつか重要な点を述べる。
 四肢がないのに動きまわれて男根の形をしていること。古代人の信仰にとっては陰と陽の観念は欠かせないものであり、蛇を陽物として崇めたであろう。
 敵を一撃にする毒をもつこと。神は人のためになる優しい存在ではない。神は恐ろしい力を持つものであると考えられ、蛇の攻撃力は神として畏れられたであろう。
 脱皮を繰り返すこと。古代人は間近にその行為の様子見て、蛇のように脱皮ができない人間は、それを神事の禊ぎとしてもどく(まねる)ようになったのだと。今でこそ清い水で身体を洗い流すこととされるが、元は蛇の脱皮からきたのだ。氏の卓見だ。蛇の抜け殻まで信仰の対象や薬とするなど、脱皮という行為への関心は高い。茅輪くぐりも脱皮にあやかろうとした行事だと氏は指摘する。ニーチェは言った、「脱皮できない蛇は滅びる。その意見を取りかえていくことを妨げられた精神も同様だ」(『曙光』)
 こうして蛇は祖霊、祖先神と見なされることになった。エデンの園でアダムとイヴをそそのかす蛇は悪魔と見なされ、一神教にとっては排撃の対象となるが、それでも世界各地に蛇信仰は広く深く根付いている。氏によればやがては直接的な表現から、蛇に似た造形の対象を崇めるといった見立ての信仰が深く広がったという。
 二十時間を超えるという記事もある濃厚な交尾の様子。驚異的で霊的な生命力を表すその姿がしめ縄を表すというのも的確な指摘であり、出雲大社や宮地嶽神社の巨大なしめ縄も蛇の交尾から考えられた造形だ。

絡み合う蛇

絡み合う蛇


 とぐろを巻く姿が三輪山のような三角錐の形とされ、各地の山が甘南備山(神南備・神無火)と呼ばれ崇められてきた。また正月に欠かせない鏡餅もとぐろを巻く蛇というのだ。滋賀県などでは巨大な鏡餅がオコナイ(神事)として村人が共同で祀る。鏡餅のカガミのカカは蛇が語源なのだ。
 蛇が神の資格を持つに十分な理由となろう。しかし、堂野前彰子は、吉野氏の解説ではなぜスサノオが大蛇を退治するのかなどの説明がない、とされる。はるか古代より蛇が特別な存在と認識されていたのは、私はまだ他に重要な事情があると考える。

 

(3)蛇は水の神様だけでなく、再生、そして命を生み守る存在だった

 世界保健機構の旗にはギリシャ神話の医学神アスクレピオスに由来する杖に巻き付く蛇が意匠となっている。アスクレピオスは常に蛇の巻いた杖を持って怪我や病気で苦しむ人たち助ける。彼が蛇の持つ生命力、治癒力を使える存在なのだろう。蛇は永遠の命を持つとも考えられていた。それは脱皮をする蛇が、禊ぎとされた精神の更新のみならず、命の再生とつながるからであろう。

蛇が幕杖を落ち病人助言するアスクレピオス

蛇が巻く杖を落ち病人助言するアスクレピオス


 蛇が人の生命と関係づけられていることから、実際の赤子の誕生も蛇とつながると考えられる。吉野裕子氏は人間は蛇となって出産するという。生れたばかりの赤ん坊も最初は蛇のように扱われる。袖のない着ぐるみで身体を巻かれておかれるのは、蛇としての扱いだと。そうすると古代人が蛇を神と考えた最大の理由、それは臍帯によるものではないか?古代人は臍帯につながれた生命誕生のシーンを目の当たりにして、驚異的であり神秘的な光景に戦慄し、お腹につながった臍の緒に神の姿を思い描いたかもしれない。人類は進化の過程で蛇の存在を早くに察知して警戒する遺伝子をもったという。人類の祖先が、生れたばかりの赤ん坊と母をつなぐ臍帯を蛇だと直感したとしてもおかしくはない。
 蛇が生命を口から生み出すことを表現した造形がいくつもある。マヤ時代の水の神ククルカンが大きな口を開けた中に人の顔がある。これは蛇が人を飲み込むところではなく、蛇神の口から人が生まれ出る表現なのだ。インドネシアのボロブドゥール遺跡の階段の下では、水神ナーガの大きな口が開き狛犬が生まれ出ようとしている。

ボルブドウール遺跡

ボロブドウール遺跡

マヤ時代のククルカン

マヤ時代のククルカン

縄文時代異形石器

縄文時代異形石器

(4)蛇と見立てられた臍の緒

 出産後の胎盤と臍帯は現代では医療機関を通じて処理されるが、古代においては、住居の軒下や周辺に埋納された。縄文時代からその風習は続く。どうして大切に扱われたのか。フレイザーの「金枝篇」によると世界中で行われていたとされ、子供の守護霊などのように見なされていたという。生れるとお役御免で処分されたのではないのだ。守護霊などと考えられたのは、臍帯すなわち臍の緒がまさに蛇だと考えられたからではないか。ギリヤーク族のように森の一本の木に吊るすなどは、木の枝を這う蛇のようにしたのだろうか。
 臍の緒が特別なものであることは、出産後の緒を切り離す刀物に専用のものが使われることにも表されている。現代の産科の病院では臍帯剃刀という専用のハサミで臍の緒を切り離す。
 日本書紀にもコノハナサクヤヒメが生んだ児の臍の緒を竹刀あをひえで切るとある。昔は金物を嫌い、竹や貝殻で作った刃を使ったのだ。縄文時代には刃をつける加工のされた不思議な形をした石器がいくつもあり、それらを用途不明の異形石器などと称している。私はその中には臍の緒を切るための専用の石器があったのではないかと想像している。
 日本書紀の崇神紀の箸墓伝承は他の説話同様に諸外国に類似の話がある。大地のガイアとの間にできたエリクトニオスを受け取った女神アテネは、自分の児を三人の娘に預けた。その際アテネは箱の中を絶対に見てはいけないというが、二人の娘は言いつけを破って箱の中を見てしまう。箱の中には半人半蛇のエリクトニオスとそれを守るように赤児に巻き付いた蛇がいた。これを見た二人の娘は半狂乱になって自殺する。これは巻き付いた蛇が臍の緒を意味しているのではないか。日本の場合は、夜にしか訪れないオオモノヌシの姿を見たいというモモソ姫の願いがかない櫛用の小箱の中を見ると、そこには小蛇がいた。お腹からとれた臍の緒を小箱に保管する慣習が現在にもあるが、古代にもなんらかの入れ物に保管されることがあってこの説話につながったのかもしれない。(注1)以上のように臍の緒を蛇と考えたことが決定的な理由としたい。

 

(5)人々に印象付けられた実際の事象から作られる神話

 「長柄の人柱」伝承(注2)は袴をつけた人物が人柱に選ばれるのだが、これを若尾五雄氏は本当は人が身に着ける袴ではなく、実際の土木工事の柱の基礎に土木用語の袴をつけることを意味するなどと指摘。これは神話の不可思議な内容の意味を読み解くカギとなるものではないか。次はその例となるものと考えたい。
 十一世紀にパガーンに王朝を創始したビルマのアノウラータ王は、チャウセ地方の灌漑工事を始めたある夜に三匹の蛇の夢を見た。王は南方の蛇を四つに切ったが、南の河に四つの堤防と運河を建設したことを意味した。さらに真ん中の蛇を三つに切ったが、中部の河の三つの工事の完成を意味した。北方の蛇は切ることができず、北方の河の工事は失敗に終わったという。蛇と治水工事が関係する話だが、重要なのは蛇を切ることが工事の完成を意味するのであり切らなければ仕事は成就しないということだ。
 同様の説話が大蛇山祭りを行う三池にもある。人々を苦しめていた大蛇のために玉姫が生贄になる。そこに以前に姫が大切に育てたツガニ(モズクガニ)が大蛇をハサミで三つに切って姫を救う。山頂にある三つの小さな池は三つに切られた大蛇の身体のあとにできたものだという。

 

(6)藁蛇と綱引き神事

 スサノオはヤマタノオロチを切ったことにより、もう生贄の必要はなくなった。神楽の蛇切りは出し物のクライマックスとなるもの、欠かせない演目だ。各地に藁蛇の祭りがあり、最後に樹木に巻き付けられるがなかには頭を切り落とす行為もある。(注3)私はこれを、ビルマ王の説話にあるように切ることで事が成就する意味を持つと考えたい。蛇である臍の緒から生命が生まれるが、つながった緒を切ってやっと出産という大事業は完了する。神の仕事が成就するのだ。だからオロチ神話は最後に切られる話として作られたと考えたい。
 日本書紀の第八段一書第二では犠牲となるのは成長した娘ではなく、生む時に大蛇が児を呑むという話になっている。これは出産のときに切って退治することを意味するので、拙論の傍証になるのではないか。(注4)
 綱引き神事の始まりも私は出産と関係があるとしたい。その勝敗によって豊作や今年の降雨を占い最後に綱は切られるのだが、母体と胎児がつながった臍帯を蛇と見立てた綱のように考え、綱引きの踏ん張りを出産時の「いきみ」の再現のようにもどく行為としたのではないか。最初から勝つ方が決まっている場合もある。母体と胎児が綱引きをして最後に生まれ出て臍の緒は切られる。
 出産時の臍帯から蛇神がイメージされ、雨乞いや洪水抑制の祈りの最後に、さらには治水工事の完了の際に、臍の緒を切るように蛇神と見立てられた藁蛇や綱を切ったり弓で射るなどして神事祭祀を終えたのではないか。
 北方系の大蛇退治の説話がおそらく半島経由で入り、土着の蛇信仰と合成されて、さらには名剣神話も付加されてオロチ神話が出来上がったと考えたい。

 

(7)出雲国風土記にはオロチ退治の原型の記事があった

 不思議なことにスサノオのヤマタノオロチ退治の説話は、古事記、日本書紀には載っているのに、地元であるはずの出雲国風土記には見当たらないという。有名な神話であるのにどうしたことだろう。
 地元では守護神とされるオロチが、悪の権化とされ最後に切られるのは認めがたいことなので、風土記にはこの説話を載せなかったという解釈もある。ところが出雲国風土記もヤマタノオロチに関係する記事を載せていたのだ。
 古事記のヤマタノオロチは原文で『高志之八俣遠呂智』と表記されている。「高志」は越こしのこととされるが、風土記の神門郡の古志こしとも解釈されている。この古志の郷の記事は、日渕川を利用して池を築いた。そのとき古志の国の人たちがやって来て堤を造ったが、その時彼らが宿っていたところを古志とする地名譚となっている。古志の地に他の地域から治水工事にやってきた人たちの話なのだ。そして工事の完成のあかつきにはおそらく、蛇を祀る信仰があって藁蛇かしめ縄を最後に切る儀式を行ったのではないか。それがオロチ退治の神話になったのだ。古志の地域の困難の絶えない土木工事と儀式が神話化され、古事記ではわざわざ「高志」のヤマタノオロチと付記されたスサノオのオロチ退治の話になった。
 神である蛇を切るのは退治することではなく、神の力によって生まれた生命や事象を緒を切ることで完結させることを意味するのだ。切られた神はまた元の神の世界に帰っていくのだろう。
 こうして出雲国風土記には神話化されたオロチ退治の実際の出来事が簡潔にだが表記されていたと考えたい。
 蛇足だが、開通式や竣工式のお披露目として行う儀式にテープカットがある。アーサー王の時代からあったといわれる。これも関係があるかも知れない。作られた建造物はテープを切られることで初めて稼働できる。テープは臍の緒である蛇なのだ。テープを切るハサミも専用のハサミが使われるのだ。

 

注1)福岡県筥崎宮はこざきぐうの境内にあるご神木「筥松」の由来 神功皇后は生んだ応神の胞衣、臍の緒を筥(箱)に入れて岬に埋めたところに標しるしとして松を植え「筥松」と名付けられて以後、筥松のある岬(崎)ということで「筥崎」の名が起こったと伝わっている。

注2)推古天皇の時代、困難をきわめた長柄橋架橋工事を完成させるために、人柱を入れることになるが、その人選に「袴に横つぎのあたっている者を人柱にすればいい」と進言した本人が、該当する袴をしており、自ら人柱となって工事は無事に完成した。その娘は夫がキジの鳴き声を聞いて弓で射とめた様子を見て、人柱となった自分の父を思って、「ものいわじ 父は長柄 の橋柱 鳴かずばキジ も 射られざらまじ」 と詠んだ。 「口は災いの元」のような教訓話になっているが、実際はそうではないのだ。

注3)京都の鞍馬寺では竹伐り会式が毎年六月二〇日に行われる。オロチ神話が仏法に応用されたのだろうが、大蛇に見立てた青竹を競って僧たちが切って豊穣を祈る。

注4)一書曰、是時、素戔嗚尊、下到於安藝國可愛之川上也。彼處有神、名曰脚摩手摩、其妻名曰稻田宮主簀狹之八箇耳、此神正在姙身。夫妻共愁、乃告素戔嗚尊曰「我生兒雖多、毎生輙有八岐大蛇來呑、不得一存。今吾且産、恐亦見呑、是以哀傷。」素戔嗚尊乃教之曰「汝、可以衆菓釀酒八甕、吾當爲汝殺蛇。」二神隨教設酒。至産時、必彼大蛇、當戸將呑兒焉


 これは会報の公開です。

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