2018年6月11日

古田史学会報

146号

1,訃報!竹田覚氏ご逝去
 合田洋一

2,九州王朝の都市計画
 前期難波宮と難波大道
 古賀達也

3,よみがえる古伝承
大宮姫と倭姫王・薩摩比売(その2)
 正木裕

4,実在した土佐の九州年号
小村神社の鎮座は「勝照二年」
 別役政光

5,書評
『発見された倭京 太宰府都城と官道』
 古賀達也

6,「壹」から始める古田史学十五
 俾弥呼・壹與と倭の五王を繋ぐもの
古田史学の会事務局長 正木裕

7,コンピラさんと豊玉姫
 西村秀己

 

 

古田史学会報一覧

(会報120号)

(会報122号)

 


訃報!竹田覚氏ご逝去

 

松山市 合田洋一

 「古田史学の会・四国」の会長その後名誉会長を歴任して全国世話人も務められた竹田覚氏が、去る四月六日に肺炎のためご逝去されました。御年九三歳で古田先生とは同い年でした。ここに謹んでお悔やみ申し上げます。
 私が竹田氏と巡りあったのは平成十四年(二〇〇二年)二月、・旧北条市(現・松山市)での遺跡発掘調査報告会でした。当時、氏は「北条ふるさと館」の館長をされておられ、私が「伊予之二名州」の比定地探しをしていたことから、それ以来、厚かましくも連日ふるさと館に押しかけ北条の古代にかかわる史料の提供を戴き、また私からはまだご存知なかった古田説の披歴をするなどして格別なご厚誼を賜りました。
 同年五月十八日に古田先生をお招きして四国で初めての古田武彦講演会を「北条ふるさと館」にて開催、翌日には竹田覚氏発見の新城山の巨石群調査に先生と共に登り、「愛媛岩」の発見につながりました。
 その後、同年十月に「古田史学の会・四国」発足の運びとなり、氏が会長に就任されました。また、翌年の平成十五年(二〇〇三年)二月一日に会員三〇名を集めての第一回「古田史学の会・四国の勉強会」の開催にこぎつけることができました。
 この十五年に亘り氏は「多元史観・古田史学」を発信し続けてくださいました。
 なお、当四国の会が今日まで永続できたのは、氏が永年各地の中学の校長を歴任されており、また「風早歴史文化研究会」の会長もされておられたので、その人望のお陰と思っております。どうか引き続き私たちを「天国(あまくに)」から暖かく見守ってください。永年お世話戴いたことに衷心より御礼申し上げ、追悼の辞とさせて戴きます。
                                    合掌


 これは会報の公開です。

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