2016年10月11日

古田史学会報

136号

1,古代の都城
宮域に官僚約八千人
 服部静尚

2,「肥後の翁」と多利思北孤
 筑紫舞「翁」
と『隋書』の新理解
 古賀達也

3,「シナノ」古代と多元史観
 吉村八洲男

4,九州王朝説に
刺さった三本の矢(中編)
京都市 古賀達也

5,南海道の付け替え
 西村秀己

6,「壹」から始める古田史学Ⅶ 倭国通史私案②
 九州王朝(銅矛国家群)と
 銅鐸国家群の抗争
 正木裕

7,書評 張莉著
『こわくてゆかいな漢字』
 出野正

 

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考古学が畿内説を棄却する 服部静尚(会報134号)

盗まれた天皇陵 服部静尚(会報137号)

古代の都城

宮域に官僚約八千人

八尾市 服部静尚

 平安京の図1、2で説明しますと、条坊で画された領域を京域と言い、この京域中央北部にあるいわゆる宮城を宮域と言います。宮域は後の時代=十二世紀以降には(図1に表記のように)大内裏と称されるようになりました。
 宮域には天皇の住まいと、律令政治を行う場所、つまり大極殿・朝堂院と中央官衙が配置されました。そして条坊には律令官僚の家地・寺院・市などに加えて、宮域からはみ出た中央官衙が配置されます。つまり宮域の中央官衙で働く官僚に家地を与え通勤させる、これが条坊整理の大きな目的の一つだったと考えられます。
 現代の省庁を考えた場合も同じですが、官僚が業務を行う官衙と、官僚とその家族が生活する住居、この二つが揃わないと律令政治は成り立ちません。逆にこのどちらかの存在は、もう一つの方の存在を必然とします。そのような観点から前期難波宮・藤原京を考察してみます。

図1:平安京の京域
図1:平安京の京域

図2:平安京の宮域=大内裏
図2:平安京の宮域=大内裏

一、中央官僚の定数

 大宝律令は七〇一年の制定、それを補足・再検したのが養老律令ですので藤原京および平城京と同時代の律令です。
 この養老律令職員令には各官庁の官名と定員数が書かれています。地方官を除いて全て合算すると、九千人強の中央官僚で構成されています。(表1)

表1:養老律令での中央官僚定員数
表1:養老律令での中央官僚定員数

 

二、各都城の「宮域」に設置された官衙

(一)平安京の場合

 図2は養老律令の時代から少し後になりますが、平安京の宮域の区画配置図です。この官庁名を先の養老律令の官庁リストでチェックすると、合致する所を斜体太字で表示していますが、ほとんどの中央官庁が宮域に配置されていることが判ります。
 養老律令の定員数で計算すると、七七六三人/九三一一人中で中央官僚の約八三%が宮域で業務していることになります。これは平安時代のことですが、養老律令後令外官など人員増加もあるはずです。この概算は相対的な数値と考えてください。

図3:平城京の宮域発掘状況
図3:平城京の宮域発掘状況

 

表2:平城京の宮域発掘状況より占有スペースの検討

区画 推測された官庁名 規模(東西×南北) 面積 ㎡ 人数 面積㎡/人
A 左馬寮   96m×255m  24480   90  272
B 右馬寮   96m×236m  22656   90  252
C 大膳職  213m×71m  15123  282   54
D 内膳司   88m× 71m   6248   80   78
E 左兵衛府詰所   44m× 71m   3124  443   7
J 造酒司  110m×124m  13640   75  182
K−1 兵部省   75m× 74m   5550   86   65
K−2 式部省   74m× 74m   5476  118   46
L 神祇官  104m× 74m   7696   90   86
M 内侍司   44m× 53m   2332  110   21


(二)平城京の場合

 平城京での官庁配置の全容は判明していませんが、図3(井上和人著「日本古代都城制の研究」二〇〇八年)のように宮域で、発掘調査での建物・配置・木簡などからA~Mの地点で官衙跡が確認され、それぞれ官庁名も推測されています。
 これとは別に近江俊秀著「平城京の住宅事情」二〇一五年によると、平安京と同様に宮域外にも若干の官衙跡が発掘されており、平城京においても中央官庁の大部分が宮域に設置されていたとみられます。
 ここで、養老律令よりそれぞれの官僚数で、官僚一人当たりの専有スペースについて表2に示します。
(1)A・B―左右馬寮およびJ―造酒司の場合は、単なる事務スペースだけでなく、厩舎や造酒や備蓄スペースが必要なので、一八二~二七二㎡/人と一人当たりスペースが広くなっているのは妥当です。

(2)逆にE―左兵衛府の詰所の場合、これは文字通り詰所なので、七㎡/人つまり一人当たり約二坪のスペースと言うのも妥当でしょう。

(3)右記以外の官庁では、二一~八六㎡/人となっていますが、現在と比較すると、例えば大阪市北区区役所の床面積/職員当り=約七〇㎡とよく似ていて、古今の官僚の仕事場スペースの普遍性を感じます。


(三)藤原京の場合

 平城京に先行する藤原京は七世紀後半の造成ですが、この宮域は条坊の中心部にあって、大垣で囲まれた一辺約一㎞の領域を占めます。

 

図4:前期難波宮(宮城)の建物配置
図4:前期難波宮(宮城)の建物配置

(四)前期難波宮の場合

 図4は大阪文化財研究所の高橋工氏二〇一四年提供の前期難波宮の建物配置です。西方官衙には大規模の九棟の高床倉庫と管理棟の発掘があること、この北側の戊申(六四八)年木簡が発掘された地層とほぼ同じ谷地層から、三〇〇七点の漆容器が集中して発掘されていること(漆部司は大蔵省の下部官庁で、平安京の大蔵省の北側にも漆室がある)等から、ここが日本書紀の「朱鳥元(六八六)年春正月~乙卯酉時難波大蔵省失火、宮室悉焚」に見られる大蔵省と考えられます。
 そして東方官衙等を含めて、七世紀中頃(いわゆる孝徳期)にこれら大官衙が造成されたと、発掘に関わった考古学者は見ています。
 図4に付記したように宮域は東西約六二〇m、南北約七三〇mと考えられますが、高橋工氏は前期難波宮の場合急峻な谷が複雑に入り込んでいて、藤原京等のように外郭プランが整った方形でなくて、利用できる地形はほぼ全て官衙用地に当てられたのではないかと異形の官衙領域(図4の波線域)を提起されています。
 どちらにしても、大蔵省を含めて大官衙があったことから、前期難波宮で(大宝律令に先行する律令に基づいた)政治が官僚達によって行われていたことを否定できません。

 

三、古代都城の宮域比較

 表3に古代各都城の宮域を推定したものを示します。飛鳥浄御原宮の宮域は発掘では実態不明ですが、取りあえず内郭とエビノコ郭のスペースとしました。
 一方、大宰府で宮域に匹敵する官衙街があります。月山地区および蔵司地区など丘陵を含むのですが、丘陵にも礎石建物跡や漏刻台が発掘されており、これらも含めて宮域とします。(「西海の官衙大宰府」杉原敏之二〇一〇年)
 ここで、藤原京の宮域面積を基準に各都城を比較しました。又、中央官僚を八千人と仮定して、一人当たりのスペースを算出しました。これを見ると飛鳥京のみが狭く、ここに律令政治を行う官庁は収まらないことは明白です。

表3:古代都城の宮域比較

 京(年代は日本書紀上)  宮域(東西×南北)  概略面積 比較 官僚八千人とした場合の一人当たりのスペース
①前期難波宮 651年〜   620m× 730m   452;600 ㎡ 0.5   57㎡/人
②飛鳥京 656年〜   158m× 197m+ 93m× 55m   36,241 ㎡ 0.04   5㎡/人
(太宰府政庁Ⅱ)     870m× 430m   374,100 ㎡ 0.4   47㎡/人
③近江京 667年〜   400m× 700m   280,000 ㎡ 0.3   35㎡/人
④藤原京 694年〜  1000m× 1000m  1,000,000 ㎡ 1.0  125㎡/人
⑤平城京 710年〜  1300m× 1064m  1,344,364 ㎡ 1.3  168㎡/人
⑦長岡京 784年〜  1006m× 1006m  1,012,036 ㎡ 1.0  127㎡/人
⑧平安京 794年〜  1758m× 1758m  3,090,564 ㎡ 3.1  366㎡/人

 

四、まとめ

(一)七世紀中頃、前期難波宮に本格的な朝堂院及び大官衙街が造られたことが発掘で判明しました。この時期は九州王朝による「天下立評」が行われ、全国的に律令政治が開始されたと考えられます。その規模も養老律令が示す約八千人の官僚が働くのに十分な、律令政治を施行するに十分な官衙街と言えます。

(二)斉明二(六五六)年飛鳥岡本に宮殿建造とあり、飛鳥京があったとする学者もおられますが、宮域の規模よりして、前期難波宮の官僚はどこに行ったのか、全く説明がつきません。

(三)以上は、既に公表され論じられた事柄を単に羅列したにすぎません。つまり、古代史を専門にしている歴史学者・考古学者は充分認識しているはずの事柄です。しかし古田説を排除した一元史観では全く説明がつかないので、従って手付かずのまま放置されてきたものです。尚、この飛鳥浄御原の時期の都はどこかと言うと、難波宮のままか、もしくは太宰府の可能性が高いと言えます。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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