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古田史学会報
1997年12月28日 No.23
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昭和二九年東奥日報に掲載>

和田家資料(出土物)公開の歴史

京都市 古賀達也

 本年五月、和田家文書調査のおり、弘前図書館にて東奥日報を閲覧した。その時、昭和二九年二月十四日付の記事に、和田家が和田家文書に基づいて発掘した文化財公開のことが記されていた。昭和二十年代既に和田家が文化財を大量に収蔵していた事実を証明する記事だが、このことはとりもなおさず、和田家文書が偽作ではなく、安倍安東一族の伝承と秋田孝季らによる調査を記した貴重な文献であることを裏づける。このように昭和二十年代には、客観的な取材記事を掲載していた東奥日報であったが、現在では偽作論者を支援する斉藤光政記者により、完全に偽作キャ ンペーン紙へと変質していると言わざるを得ない。以下、貴重な資料として、同記事を紹介する。なお、紙面には遺物と若き日の和田喜八郎氏の写真も掲載されている。

<資料>
(見出し)
 五年前、和田親子が発掘
 本邦には珍しい佛、神像など
 融雪まって一般に公開
 飯詰山中から古文化財出土
 北郡飯詰村大字飯詰、農和田元一さん(五五)同長男喜八郎さん(二六)親子は昭和二十四年七月同村東方の飯詰山中で炭焼窯を造ろうとして土中を掘り返したところ相当大きい石室を発見、発掘の結果仏、神像をはじめ仏具経木を利用した古文書などが出土した。出土品は本邦の原始宗教につながりのある全く珍しいものとされているが、同親子は出土品と場所を公開することを極端に拒否したためその真偽をめぐって関係者から興味を持たれていたが初の出土品の公開が十二日午前十時から同村大泉寺で行われた。
 この公開には県教育庁文化財施設係員市川秀一氏らも立会いアララ、カマラ仙人、老子、聖天狗、ガンダラ仏、アシュク如来、ムトレマイヲス、法相菩薩、救世観音像(いずれも同寺住職開米智鎧氏鑑定による)のほか経木に書いた祭文、原始宗教のうち山岳教(山伏し)の表徴で学説では架空の人物とされている『役の小角』の一代記の他、造形文字の古文書仏舎利壺などで出土品はこのほかまだ相当あるといわれるが公開されたもののうち摩訶如来像、ムトレマイヲス像は本邦には全く珍しいものといわれている。
 しかし同鑑定は中央の専門家によるものではなく、その上同村附近で産出する俗称『アマ石』で約千四百年前に製作された像としては原型が完全過ぎることと、問題である『役の小角』の晩年は山岳宗教家の間では『唐』へ渡ったという説があるため飯詰山中にその仏舎利があるわけはないと疑問視しているという。
 このため県教育庁では同日公開された出土品を写真に収め文部省の文化財保護委員会に鑑定を依頼することになったが、一方和田親子もこの疑問を解くため今春の雪融けと同寺に発掘場所を仏神教と考古学研究家に公開することになったので五年間とりざたされた同問題も一挙に解決することになった。
△和田喜八郎さん談 今まで公開しなかったのは出土品を政府に持って行かれては村としても困ると思ったからだ。出土品が本物だかどうかは発掘場所を見てもらえばはっきり解ると思う。今春その場所へ案内する。
△県教育課市川秀一氏談 開米住職の鑑定通りでは驚くほどのものだ。はっきり調査するため文化財保護委員会へ鑑定を依頼する。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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