和田家文書「偽作」説に対する徹底的批判 古田武彦
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秋田孝季奉納額の「発見」 -- 「和田家文書」現地調査報告 古賀達也(会報1号)古田史学会報 創刊号 1994年6月30日 No.1
□□特集/和田家文書□□
古田武彦
◇◇はじめに(学問のスタンス)◇◇
学問に不可欠なものは、時間の経過への忍耐である。性急な結論は学問の敵。ことに私蔵文書の場合、“あせり”や“せかす”ことは禁物。今回の「寛政原本」の出現や「明治写
本」(和田末吉筆とされる)に対する地道な研究の継続、そのために「時を待つ」用意が肝要である。
(一)偽作論者は、なぜ、“あせる”のか。
敵は本能寺、真のねらいは「邪馬壹国」説や九州王朝説である。この点、中心的唱道者にとって、特に明白である。「季刊・邪馬台「季刊・邪馬台国」五国五一号」に「朝日新聞社出版部を批判する」とあるが、わたしの本で朝日のものには、和田家文書を全く扱っていない。邪馬壹国・九州王朝・『記紀』の新分析だけだ。それを攻撃する“たね”として、和田家文書攻撃が使われている。隠すより現わるる、のたとえ通
りに。
(二)偽作論者は、なぜ大きな失敗(WとSのとりちがえ)をしたか。
東日流外三郡誌問題を古田の全研究分野の中のWeak Point(弱点)と錯覚した。しかし実は、この問題こそ(古田にとって)最上の強み(Strong
Point)であった。なぜなら、陳寿(三国志)や太安万呂(古事記)の自筆本は出てこないが、秋田孝季・りく・和田長三郎吉次の自筆は出現可能だからである。末吉自筆はすでに大量
に存在する。喜八郎氏については、もちろん。
(三)偽作論者は、なぜ個人攻撃・人格攻撃を行うか。
それは彼らの「強み」の表現ではなく、「弱み」の表現である。文書それ自体に対する「偽作検証」に、内心自信をもっていないから、喜八郎氏個人に対する、個人攻撃や人格攻撃で、これを補わざるを得ないのである。しかし、このようなやり方に“動かされる”のは、同類の人たちなのではあるまいか。学問とは無縁だ。学問の世界にこのような手法の行われる慣例を作ってはならない。
(四)偽作論者は、なぜ「筆跡鑑定」の根本をまちがったか。
彼らが比較対象とした、いわゆる「和田家文書」なるものは、当の喜八郎氏によって「そうだ。」という同意を得たものでは全くない。根本の「同定」作業を欠いているのだ。
この一点がすべての学問的論議のはじまりだ。だのに、それがない。「鑑定作業」の根本が狂っているのである。
その上、いわゆる「癖字」が比較されている。しかしそのような「癖字」は、同じ流派内に共通
するものだ。同一流派内の師弟・親子等で筆跡相似の見られることは、筆跡鑑定者にとって常識である。(たとえば、親鸞と門弟との間には、相当細かい「くせ」まで共通
していること、著名。)今回の偽作論者はこの肝心の一点をもまた、完全に見失っている。
(五)偽作論者は、なぜ「既知のものさし」から論断を“いそぐ”のか。
たとえばO・E・D(Oxford English Dictionary)によって「光年・銀河系」の成立を論じる論者がある(パソコン通
信)。では外国人が岩波の広辞苑を基準にして「論断」しようとしたら、「まだ一九九四年段階には邪馬壹国説はなかった」ことになるであろう。なぜなら、どの版にも「邪馬壹国」の項目も説明もないからだ。また、「明治写本」には、末吉の年次「誤写」というケースも、ないとは言えない。従って「寛政原本」の出現するまで、「論断」を“あせる”必要は毛頭ない。(その「寛政原本」でも、孝季たちによる「誤記・誤写
」も、絶無とは断じえないであろう。当然のことだ。)逆に、「未知の新事実」の知られる可能性も、当然ありえよう。“あせらぬ
”ことだ。それが学問である。
(六)偽作論者は、なぜ「責任編集」の名において、ミス・リードするか。
1「和田りく」問題。(“女性が婚家の姓を名乗るのは、明治以降。故に「和田りく」の自署名はありえない。”和田りく自筆「天草軍記」について。二号十八頁にある。)しかし本居宣長の女流門人たちは婚家の姓で呼ばれている。野村望東尼も然り。従って、これは虚偽情報である。
「責任編集」はどうしたのか。
2「文明元年正月元旦」問題。(「安日彦長髄彦大釈願文」の右の年月日に対し、“文明元年は四月二八日の改元であるから、この年時は不成立”とする。「季刊・邪馬台国」五二号一九五頁にある。)
しかし親鸞の教行信証後序には「承元丁卯歳仲春上旬之候」と明記されている。ところが、建永二年十月二十五日に承元と改元された。従って仲春(二月)は建永である。しかるに、改元後は、年頭にさかのぼって「その新年号下と見なす」このルールによって、親鸞は書いている。著名の例だ。その著名のルールを知らず多くの同類例をあげ、偽作説の証拠としている。「責任編集」はどこへ行ったのか。生兵法大けがの元、とは、このことであろう。
(七)偽作論者は、なぜ「怪文書」を愛用するのか。
「自己」の実名を隠し(ペンネームなどを用い)、実在の他者を攻撃する文書」これを「怪文書」という。この卑劣な手法が「責任編集」などの名で美化されてはならない。許されてはならない。許されたら、日本の学問と言論界の腐敗だ。(「季刊・邪馬台国」五三号一二二頁)パソコン通信内でも、全く同様だ。ペンネームによる和田喜八郎氏攻撃が横行している。卑劣である。未来あるパソコンのために、同好者こぞって「ノー」と言わねばならぬ
。
(八)偽作論者は、なぜ偽作説成立のための「基礎条件」をしめさないか。
<その一>喜八郎氏が「偽作」のための膨大な和紙類を、どこから、いつ、いくらで入手したかをしめすべきである。(昭和のことならば、必ず判明。買ったら、領収書のひかえも誰かの手元にあるはずだ。請求書類も。それをしめすべきだ。)
<その二>喜八郎氏があれだけ多方面の、膨大な「偽作」をするための参考図書はどこにあるのか。喜八郎氏の家か。五所川原市や青森県の図書館か。その姿(くりかえし入館する姿)を誰か(司書側)が見たのか。その証拠をしめせ。これが偽作論者の義務である
(九)偽作論者は、なぜ「反復・宣伝」を好むか。
虚偽情報をいくらくりかえしても、真実にはならぬ。ただ人々の“頭を酔わそうとする” にすぎぬ
であろう。(雑誌・単行本の同一事項くりかえし。)ヒットラーの手口である。代わって冷静に、(八)のような事実をしめすべきである。
(十)偽作論者は、なぜ広太王碑改ざん説の手口を模倣し、再現するのか。
<その一>現物を見ずに「論断」する。 集安の広太王碑と「寛政原本」「明治写本」に対して)
<その二>先行の直接研究者に聞かずに「論断」する。(北朝鮮の現地調査団のメンバーと古田に対して)
<その三>実在する当事者に確かめずに「論断」する。(酒勾家の遺族と和田喜八郎氏に対して)
<その四>「改ざん・偽作」説に不利な証言者を「ウソつき」呼ばわりする。(栄喜と喜八郎氏・古田に対して
<その五>「改ざん・偽作」説に根拠を示して反論する人間に、あるいは面罵し、あるいは中傷する。(いずれも古田に対して)
(十一)偽作論者は、なぜ本源的宗教に圧迫を加えるか。
和田喜八郎氏にとって、和田家文書は単なる文献ではない。荒覇吐神への信仰の拠点である。国家が認定した“お墨付き”の宗教だけが、宗教ではない。個人や一つの家によってささえられている宗教にこそ、本源の宗教性とその生命がある。偽作論者は、本源的宗教への無知のために、その自由と尊厳を犯しているのに気づかない。
以上、偽作説は学問的に成立すること困難である。
◇◇むすび(当面の課題)◇◇
「寛政原本」出現以前になすべきこと、それは喜八郎氏に対する、いわれなき“ぬれ衣を晴らすこと、真の「和田家文書」と喜八郎氏筆跡との徹底した比較である。資料は豊富極まる。(やがて「国史画帖大和桜」や「ギリシア祭文」などの秘密も、解き明かされよう。)
一九九四年五月一九日 筆了
[編集部注]本稿は五月二十二日、文京区民センターでの古田武彦講演会(多元的古代研究会・関東主催)のレジュメを古田氏の了承を得て、編集部の責任により一部変更して掲載したものです。
これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜二集が適当です。
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