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藤本光幸氏への弔文 古田武彦
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「和田家文書」に依る『天皇記』『国記』及び日本の古代史の考察
 藤本光幸


遺稿

「和田家文書」復刻版発行について

藤本光幸

 昭和五十六年(一九八一)「和田家文書」の再書を始めてから、平成十七年(二〇〇五)の九月末日まで、二十五年かかってやっと「和田家文書」復刻版のための再書を終りました。
 今度、平成十七年十一月中に『和田家資料3』として「北斗抄」を発刊する事になりました。これについて、古田先生より「北斗抄」出版に至るまでの苦労話を書いて下さいとのご依頼がありましたが、私にとりましては「和田家文書」の再書は、苦労どころか、誠に楽しい勉強のための時間でした。
 「和田家文書」が成立したのは、寛政元年(一七八九)から文政六年(一八二三)にかけてですが、この時代は、“大博物学時代”といわれる時期で、「和田家文書」には、歴史的史実はもとより、伝説、伝承、民話、民俗、民族、詩歌、言語、文学、薬学、療法、神、信仰、宗教、神話、宇宙の創造、天文学、地理、人命の尊重と平等思想(安倍・安東・秋田一族の信證ママ)、等が述べられて居り、これを再書する事に依って、苦労よりも楽しい勉強の時間でした。
 しかも、当初四千八百十七冊巻あったとされる「和田家文書」が現在では千八百冊巻程度残存して居ると思われますが、現実には何冊巻残存するかは、この復刻版全部が出版終了してからでないと明白には判明しません。
 なお、本回の再書でわかった事なのですが、当時はカメラがなかったので、写真はありませんが、その代りに絵巻が沢山あって、「宇宙の創り」即ち、ビッグバンを「カオスの聖火」との表題で絵入りで示して居り、わかりやすく、しかも実に楽しい勉強の期間でした。
 十一月から『和田家資料3』に引続いて、「和田家文書」の復刻版が続々出版されますが、それが終了するまでは、私のライフワークですので死ねません。従って、「和田家文書」は、私にとりましては、長命の良薬です。それと共に、今後「和田家文書」の解明に依って、日本国の真実の歴史が解明されるものと信じて居ります。
 大化の改新に依って、焼失したとされる『天皇記』『国記』も津軽に現存するとされて居り、私も“「和田家文書」に依る『天皇記』『国記』及び日本の古代史の考察”との表題で、古田史学の会会報で発表させてもらう事になって居ります。また、邪馬臺国論争につきましても、“「和田家文書」に依る邪馬臺国論争について”の表題で発表する予定です。
 今後とも、新東方史学会と関連の諸研究会の皆様と共に、真実の日本歴史解明のために共に進もうではありませんか。
           (ふじもと・みつゆき)


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