会員からのお頼り(部分) エジプト年暦史料

2002年12月 3日 No.53
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エジプト年暦史料

相模原市 冨川ケイ子

 前略
 十月の例会にまた参加させていただきありがとうございました。皆様の研究発表を楽しくうかがいました。私の勉強はなかなかはかどらないのですが、細々とでも続けていく元気が出ました。十一月は都合で出席できないので、いくつか気がついた点を書かせていただきます。
 まず、二倍年暦は世界中の古典に痕跡が残されているはずだ、とのことですが、筑摩世界文學系1『古代オリエント集』(訳者代表・杉勇、昭和五三年、筑摩書房刊)の中に、百十歳は「古代エジプト人の理想の年齢だった」との記述を見つけました(五一七頁注)。同書からいくつかのテキストを挙げます。

一、「ウェストカー・パピルスの物語」(屋形禎亮訳。解説によると、ベルリン博物館蔵、パピルスに書写されたのはヒクソス時代の末〔前千六百年前後〕、物語は少なくとも第十二王朝〔前二十世紀〕、祖形の口承は第五王朝〔前二五世紀〕に遡るという。)同書四一九〜四二〇頁。王子デデフホルがクフ王に魔法使いジェディの人となりを紹介する段。

 「平民の男で、名前はジェディという、ジェド・スネフルに住んでおります。百十歳になる平民の男で、今でもまだ(日に)五百個のパンと肉、そして牡牛の肩肉(前半分)をたいらげ、百本のビールをのみます。・・・」


二、「宰相プタハヘテプの教訓」(屋形禎亮訳。解説によると、第五王朝末(前二千四百年頃)の作という。)同書五一七頁。最初に述べた、注のある部分です。

 「われは至福の座に(いたる)まで王のため正義を行ないたるが故に、先祖たちにもまさる寵愛をえて、王の与え給いし百十年の生命を達成せり。」


三、「オンク・シェションクイの教訓」(杉勇訳。解説によると、エジプト後期の教訓文学の一つ。)同書五六八頁

 「若いうちに息子が得られるよう、二十歳になったら妻を娶るがよい。」

 この部分は二倍年暦とは言えないかもしれません。


四、「「後期エジプト選文集」より」(杉勇訳。解説によると、後期エジプトでは学習のための模範文例がパピルス紙やオストラコン〔陶片〕に多数残されており、当時の世相を知る資料になっているという。)同書六三九頁

 「おお、王の右にあって扇を持つ者、神ゲブの広間の皇太子、「永劫の地平」にある神社の司祭、王の真の書記官、王に愛されたる人、あなたのご境遇が百万回も生を受けた人のようでありますように。「二つの邦」の創始の神、神々を創りたもうたアメン・ラーがあなたのためにお力をふるわれますように。また、あなたの御口はすこやかにて、いかなるきずもあなたには見し得ませぬによって、この神が王の恩寵をあなたに授けたまいますように。時の王、正義を愛する神ホルスのご愛顧を受けられますように。この世で百十の齢をまっとうされますように。・・・」

 百十歳というのが二倍年暦の、実際にありうる年齢だったのか、注にあるように単なる願望、理想だったのか、もう一つはっきりしないように思いますが、ご参考までに。


 これは会報の公開です。
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