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古田史学会報
1996年 6月 1日 No.14

東北日本の古代考八十万年

五所川原市 和 田 喜 八 郎


 古代丑寅日本國をヒナカミ(辺境)としてその住民を蝦夷と呼称し、エゾ即ちアイヌであると通 説されてきた。
 然るに現代考古学は遺跡などの発掘に依って、それらの出土品に科学のメスが従来の定説を覆し、正確な年代を語らせ当時の民族社会までも語らせている。
 とかく、東北の地方史はまつろわぬ化外の蝦夷という潜在意識に依って除かれてきた。だが、東北には古代王國が誕生し、狩猟や漁撈、農耕までも既に民族の衣食住にあり、信仰も掟もあった。
 コタン(部落)にはエカシ(長老)が選ばれ長老はオテナ(大王)を選んだ。
 罪を犯し者には掟があり罰則もあった。
 一族のマキ(紲)は固く、チセ(家)を造るにもユイ(奉仕)に依って速やかに建てられる仕組みが包括されていた。
 古来より継続されている傳統には、毎年のサクやマタ(冬と夏)の暦と、その年に起った出来事がユーカラ(語部録)として書き遺され、既にして文字があったことには驚く。
 信仰には天然自然みなながらカムイ(神)として、天なる一切をイシカ、地なる一切をホノリ、水の一切をガコと名付けた神をサクイオマンテ(冬の祭り)マタイオマンテ(夏の祭り)はポロコタン(大きな部落)にナイコタン(小部落)から老若男女が集い、雲を突くような六本主柱の堀立三階の高樓をヌササン(祭壇)とした。(現在、青森三内丸山遺跡では発掘されている。)
 祀られる神は、宇宙より落下した隕石を天なるイシカカムイ(宇宙一切神)として上階に安置し、中階には木の化石となったものをホノリカムイ(大地一切神)として安置され、地階には貝が化石になったものをガコカムイ(水一切神)として安置され、人の造る偶像などはなくイナウ(木幣)だけが供えられた。
 縄文中期の頃、土器が多く造られるようになり女人達がオシラ(祈祷)イタコ(霊媒)ゴミソ(占い)達の言う幻想夢現になる神を姿として各々がチセ(家)に祀った像の全般 化したものが土偶である。
 古代人達は知識におくれ、四季毎に起こる天災や身のまわりには、死との背併せな生活であり、いつの世にも人の死別 は悲しいもの で、ダミ(埋葬)にもヤントラ(墓)は大人と子供は別葬された。
幼くして死んだ童は、瓶棺に穴を開けて葬る心には、親を求めて冥土より甦えるという古代信仰の習しである。
 古代人達は、天然自然みなながら神であり信仰の対象であった。この信仰に依って神格されたのが天と地と水を要原とし、これを崇拝することに依って安心立命を叶う祈りの確立として人々は祭文を称へたのである。
 アラハバキ イシカ ホノリ ガコカムイ ただこれだけをくりかえし、悲しみにも悦びにも一心不乱に称へたのである。
 津軽に遺る(天地水神語部の傳)と題して語部文字が記す上代史をみてみよう。
 凡そ人祖の渡来は、古に遡ること十五万年乃至三十万年の昔なり。
 太古に人の住みける地に黄土嵐起こり、鳥獣みな新天地に求めて移り、人祖は山靼よりこの地に追ってたどり、豊かなる山海の幸ある日辺の國に定住せり云々。
(宮城県築館遺跡から出土した石器は六十万年乃至八十万年前のものと新聞に発表され、この科学測定は、語部録より五十万年前の古代に遡ることになる)
 語部録は全八十二卷に及ぶので、古田先生がいつまでも健在であることを祈り、これを解いて皆さんに説明出来る日に望みをかけて私は筆を置きます。
(東日流中山史跡保存会・会長)

参考(古田史学会報十四号 部分)


これは会報の 公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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