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1995年 9月25日 No.9

古田史学会報 九号

発行 古田史学の会 代表 水野孝夫

▼▼▼▼▼▼ 「縄文の国際交流」記念事業
エバンス夫人講演会のご案内と御寄付のお願い
 世界最大の博物館、スミソニアン博物館創立以来の研究員、エバンス夫人(ベティー・J・メガース博士)が古田武彦氏らのお招きにより、この度来日されることになりました。夫人は「太平洋を経由した古代人類の交流」をテーマとした論文を発表されており、古田武彦氏の『「邪馬台国」はなかった』で裸国・黒歯国の南米存在と、縄文倭人との交流説と期せずして一致、以来海を越えた学術的親交が続いている方です。    
 この度、「縄文の国際交流」記念事業の一環として、来日記念講演会が催されることになりましので、ご案内申し上げますとともに、同事業のための御寄付を会員の皆様にお願い申し上げます。(次頁の「趣意書」などを御参照下さい。)
★講演エバンス夫人(通訳付き)・古田武彦氏
★主 催 東方史学会
★日 時 一九九五年十一月二日(木)午後一時より (入場無料)
★会 場 憲政記念会館(東京都千代田区永田町一−一 国会議事堂に隣接)
★定 員 三〇〇名 申込先着順(別に学界・マスコミ関係者一五〇名招待)
★申込先(略)
★御寄付(略)
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楽しく有意義な活動を

古田史学の会・代表 水野孝夫

 八月二十七日の第一回会員総会で代表に選任されました水野です。昨九四年四月に緊急に発足した「古田史学の会」ですが、順調に発展し、現在会員数は約二六〇人、第一回の総会を古田先生の講演会とあわせて開催でき、会則・予算・人事とも事務局提案のすべてを可決していただいたことは、会員皆様の御協力の賜物であり、厚く御礼申し上げます。
 総会には友好団体である「多元的古代研究会・関東」の高田会長からお祝詞をいただきましたことを御報告いたします。昨年度は「古田史学会報」の発行、各地区での研究会を軌道にのせ、また友好団体との共同編集により『新・古代学第1集』を世に送り出すことができました。和田家文書の真偽問題は学問の問題を離れて、個人の人格攻撃に移行し、和田喜八郎氏自身が偽作者ではないことを示す事実や意見を証言する人を犯罪者扱いする安本美典と同調者一派の策動があります。これを「学問の問題」に戻すことは、古田武彦氏および支持者にとって緊急の課題でありま
す。偽書派の策動に動かされず「古田史学の会」に参加された会員の皆様に敬意を表します。
 有志の方々には会費のほかにカンパを賜りありがとうございました。会計報告にありますように会報発行直接費用は会費収入範囲内でありますので、あらたに会員論文集を企画したいと考えております。古賀事務局長の努力により、会報発行費用はほとんど用紙・封筒代と郵送費のみしか計上されていないことを御理解いただきたいと思います。
 昨年度は緊急のため代表である私自身が会計係を兼務しておりましたが、山崎副代表に会計を御引き受けいただき、正常な運営に到達したと考えます。振込口座加入者名の欄からわたしの個人名が消えて「古田史学の会」となり、口座番号も新番号になります。会報および『新・古代学』での案内をご確認ください。楽しく有意義な活動ができるよう世話人の方々と計って参りたいと考えます。御協力を御願い申し上げます。
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祝辞

深い信頼と協力を

「古田史学の会」結成一周年おめでとうございます。
 同じ時期、同じ志を持って結成された会として「多元的古代研究会・関東」より心からのお祝いを申し上げます。
 この一年、内外からの雑音にめげず、私たち古田史学を学ぶ全国の会が協力して、雑誌『新・古代学』を誕生させることが出来ました。これからも続けていかなければならない事業の一つです。
 古田先生の称える学説を珍奇な一つの学説ときめつけたがっている学界に、多元史観こそ正しい歴史観なのだということを事あるごとに示していくこと、一元史観も一つの史観などとうそぶいている人達にいつまでも「天動説」にしがみついている愚かさをさとらせること、「地球は動いている」のです。
 雑音に惑わされることなく、これからも深い信頼の上に立って、お互いに協力していかなければなりません。
 ますますの御発展をお祈りしています。 
 一九九五年八月二七日
   多元的古代研究会・関東 幹事一同 
           会長 高田かつ子


エバンス夫人(ベティ・J・メガース女史)来日記念講演

「縄文の国際交流」記念事業、設立趣意書

 独創の時代は眼前にあり、国際交流の大潮流は古代より流れつづけ、その後も絶えることがありませんでした。
 考古学者・人類学者、ベテイ・J・メガース女史(博士)は、一九六五年、夫君の故エバンス博士と共に「日本列島とエクアドルとの縄文交流」学説を唱え、世界最大のスミソニアン博物館(アメリカ、ワシントンD・C)は、同館が世界に誇る双璧の学者として、夫妻を遇しつづけてきました。
 近年エバンス夫妻の独創的な学説は、新たな脚光を浴びてまいりました。
 一九八八年、ブラジルの寄生虫研究の科学者たちの共同報告(PALEO−PARASITOLOGIA NO BRASIL)によって、三五〇〇年前(放射能年代)のコウチュウ(日本列島産に多い)がミイラ(モンゴロイド)の糞石(化石)群から次々と確認され、夫妻の学説は劇的に「学的追認」をうけることとなりました。
 さらに昨年十月、日本のガン学会の学術報告(名古屋ガンセンター疫学部長、田島和雄氏による)によって、日本列島太平洋沿岸の住民(沖縄・鹿児島・足摺岬・北海道等)と南米の原住民(北・中部)とが、「H・T・L・V・?型」の遺伝子を共有することが明らかにされ、両者が「同一祖先の分岐」であったことが報告されました。これも、エバンス夫妻学 説の輝かしい“裏づけ”となりました。 
 従来の日本の学界は、日本人の一起源にかかわる、興味深いこの学説に対して、十分な敬それ故にこそ、今回高齢の女史の千載一遇の来日に対し、深く温い御支援の声を賜りたいと存じます。
 折しも、高知県の足摺岬に一大巨石群があり、その足下に広大な縄文土器出土領域の分布することが知られるに至り、女史にこれらの現地に直接接していただくと共に、東京(講演会、十一月二日<予定>、憲政記念会館。国会議事堂の隣)でも意義深いもよおしをさせていただくこととなりました。
 なおこのさい、女史に若干の国内各地の縄文遺跡を御覧いただくと共に、江戸時代に(国際交流の中で)渡来したとされる古代神像についても御一覧(東京会場にて)願う予定です。
 右のような、時機を得た企てに対し、深く御賛同賜り、御協力いただきますことを心からお願い申し上げます。 
 平成七年八月吉日
    東方史学会(会長 古田武彦) 


京大学生新聞が 『新・古代学』を紹介

「ほんものの学」を貫く古田氏の信念を学ぶ

『新・古代学』の書評が京大学生新聞(京大学生新聞会発行・八月二〇日付、三六九号)に掲載された。「『ほんものの学』を貫く古田氏の信念を学ぶ」という見出しで、「話題の本」欄に好意的に紹介されており、一元通 念の牙城ともいえる京都大学内部でのこうした動きは象徴的なことであろう。多元史観の夜明けは確実に近づいている。同紙の許可を得て、全文を転載する。(編集部)

 日本史には「大和なる天皇家の王権は、七世紀よりも前から、日本列島で卓越して尊貴な唯一の中心人物であった」という何百年の不動の通 念があった。そして誰も疑うことなくこの通念に従ってきた。しかし、ある一つの指摘でこの通 念は学問上無効となる。それは古田武彦氏の「この通念は、論証を経ていない」というのがそれである。古田氏は「神武天皇は九州からやってきた。この九州に近い近畿天皇家に先立つ古代九州王朝が存在していた」と初めて指摘した(論証は『新・古代学』、その他古田史学書に譲る)。この指摘が正しいとすれば、全ての古代史がくつがえされることになる。古代研究者たちは大きな動揺を受けた。しかし、世界人類の諸文化で同種の指摘がなされつつあるのも事実なのだ。
 本紙連載中の「近畿天皇家のルーツを探る」は実はこの古田史学をベースにしている。
「ほんものの学」とは単に知識を集積し、記憶し、想起し、折に触れて開陳する程度のものではない。すでに獲得された知識と、それについての意味づけを、事実の観察をとおして、より事実に即したものに成長させていく、不断のいとなみである。探究と検定が重ねられるなかで、真実は真実として彫り深められ、虚実は虚実として明らかになってくるものだ。
 しかし、人間は真実の前に謙虚になることが本当に難しい。「ほんものの学」によって新しい真実が提示されたとき、既存の概念に固執する者は、しばしば真理の提示者を迫害することになる。己を守りたい一心で、客観的な判断力が失われてしまうのだ。古田氏の場合も例外ではなかった。数々の歴史家が古田説の枝葉末節の部分をとって批判し、マスコミを使ってあからさまに古田氏を誹謗・中傷してきたのである。
 しかし、最初にあげた古田説の根幹は、崩されるどころか、時が立つにつれて真実の輝きをますます強めてきたのだ。『新・古代学』はこの「ほんものの学」を貫こうとする古田氏の信念を学ぶことができる絶好の書であろう。
 『新・古代学・第一集』では和田家文書『東日流外三郡誌』を特集している。和田家文書は貴重無類の史料でありながら、一部の歴史家から和田喜八郎氏の偽作であるとの嫌疑をかけられ、誤解のままにその保存と公開の道は閉ざされたままだ。古田氏は和田家文書偽作説は捏造であることを明快に論証、和田氏の無実を訴える。(京大学生新聞より転載)


長作爺さんの思い出 五所川原市 和田喜八郎


 ☆☆ 和田家収蔵物 ☆☆
 東京で一部公開予定
 和田家で収蔵されている神像や文書が十一月二日の「エバンス夫人講演会」会 場に展示公開される予定である。
 今回公開される神像は秋田孝季が天明年間頃エジプトから持ち帰ったもので、世界的にも貴重なものである。当日は国内の専門家やマスコミにも公開される予定で、大きな反響を呼ぶものと期待される。運搬費用なども寄付により賄われるため、皆様のご協力をお願いしたい。


青森県高屋敷館遺跡
 平安期の大環濠集落出土
 青森県浪岡町の高屋敷館遺跡から平安期の大環濠集落が出土した。八月三〇日付読売新聞によれば、平安期としては国内最大のもので、環濠集落は弥生と室町時代のみとされてきた通 説を覆す発見である。この遺跡は出土した土師器などから十世紀後半から十一世紀のものとされ、約三千四百平方メートルの規模で、ほぼ完全な形で出土した。遺跡は鍛冶工房や約百六十の住居跡を深さ約四メートル、幅五〜七メートルの環濠が三方を取り囲み、その外側に高さ約一メートルの土塁が造られている。
 北海道南部からも小規模な環濠集落が発見されており、この時期北海道南部と東北北部にまたがる一大勢力が存在したことをうかがわせると共に、和田家文書に記された古代伝承との関係からも注目される遺跡である。


◇◇ 連 載 小 説 彩 神 (カリスマ)◇◇
     
月の精  (三)
 −−古田武彦著『古代は輝いていた』より−−
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇深 津 栄 美
        ◇       ◇
「知りませんでした、そんな辛い事情がおありとは」
 細烏は鍋をかき混ぜる手を止め、
「未練がましいとお思いでしょう・・・・?」
 弱々しくほほえんだ。
「行方知れずとなって二年にもなるのですから、夫は死んだものと諦めるのが普通でございます。現に、村長(むらおさ)はそう言っては時々、新たな縁談を持ちかけて参ります。でも、私にはどうしても、夫がこの世からいなくなったとは考えられません。子供達の話が本当なら、夫は私を置いて一人、故郷へ戻ったのだと・・・。」
 細烏は自分に言い聞かせるように呟いたが、その目は沖へ漕ぎ行く舟の幻を追っているようだった。翼がありさえすれば、自分も一飛びに天国(あまくに)を目ざすのに・・・・夫ははなぜ、自分を残して行ったのだろう・・・・? 夫の前に現れた「天つ御使い」は何を意味するのか・・・・?
「汁(つゆ)がこぼれますよ。」
 阿達羅の手が、匙を握ったままの細烏の手を抑えた。暖かく力強い手触りに、細烏はハッとした。
「失礼しました・・・・。」
 慌てて俯(うつむ)き、器類を井戸端へ持って行く。貝の肉汁は臭いアクが強烈な為、器はよく洗っておかないと次の調理に使えない
 夕餉時に、阿達羅(あとら)は細烏(さいう)に言った。
 暗がりに細烏のすらりとした姿が仄白く浮かび上がり、射し入る月光に井戸水が搖れる。物静かに裾を翻し、緩やかに両手を動かす様はどこか神秘的だった。唐天竺の境を成す雪山には西王母なる仙女が住み、その所有の霊薬を盗んで逃げた侍女嫦娥(じょうが)は月に住むと聞いたが、まめまめしく立ち働く眼前の女人こそ嫦娥ではあるまいか・・・・?
 涼しい風が二人の髪をなぶり、首の瓔珞(ようらく)が揺らぐ。天竺の貴婦人からの結納品だ。なぜ自分は、会った事もない淑女と言い交わしてしまったのか・・・・? 韓(南朝鮮)も天竺も常に異民族に国境を脅かされ、内々では権力抗争が絶えない。天竺と結べば国の威信は高まり、隅々にも睨みが利くようになろう。が、ここで波の低い歌声を耳にしていれば、一切から離れていられる。身分も血筋も捨てて唯の漁夫として、細烏と暮らす事は許されないだろうか・・・・?
「それは?」
 阿達羅は、細烏の足元の象牙色の花々に目を留めた。
 「宵待草ですわ。」
 細烏は花を集め、輪を編み出した。
「夕方になると開き、夜明けと共にしぼむので、月見草とも申します。盗みを働いた代償(つみほろぼし)に、嫦娥が貧しい人々を救う為、地上にまき散らした金貨とも、西王母の怒りに触れ、恋人との仲を裂かれて月宮殿に封じ込められた嫦娥の涙とも・・・・。」
 細烏の手の中で、象牙色の花々は優しくさやぐ。阿達羅の頭上に花冠が載せられた時、二人の唇は触れ合っていた。
        ◇       ◇
 都から阿達羅を迎えに来たのは、一週間後だった。
 その日も細烏の家には女達が集まって、染め物に余念がなかった。細烏は元から衣服(きもの)の趣味が良いと評判だったので、女達は看護の手伝いを兼ねて秋祭りの晴れ着の相談に来ていたのである。
そこへ、
「細烏さん、村長が大勢の役人を連れて来たよ。」
「慶州の長官が、立派な輿(こし)に乗って−−」
 子供達が飛び込んで来た。
 阿達羅が顔色を変える。近づいて来るのは事故の後、村長に預けっ放しにしておいた愛馬ではないか。
 「国王陛下、随分お捜し致しましたぞ。」
 慶州の長官が満面に笑みを浮かべ、阿達羅に両手を差伸べる。 
「王様ですって!?」
 愕然とする女達に
「さよう。このお方こそ、我らが国王阿達羅様じゃ。」
村長が説明し、
「さあ、陛下、こちらへ−−」
 屈強な役人達が、左右から阿達羅を鞍に抱え上げる。
 阿達羅は細烏に今までの礼を述べようとしたが、戸惑いが先に立ってうまく言葉が出て来ない。
 慶州の長官が、キツネにつままれた態の細烏に、
「陛下のお命を救って頂き、我ら、感謝の申しようもござらぬ。ひいては、白絹十疋(ぴき)をお納め願いたい。聞けば、秋祭りを控えているとの事、これで晴れ着を作られるが良かろう。」
と、声をかけ、部下達に命じて雪の山のような包を中へ運び込ませた。
その間に阿達羅の馬は村長に手綱を引かれ遠のいて行った。
        ◇       ◇
 都に着くと丁度天竺の船も入港したところで、人々の喜びは倍加した。仕掛花火が打ち上げられ、爆竹が鳴り、花吹雪が舞う。
 初めて相目見(あいまみ)えた天竺の姫君は、浅黒い皮膚に健康そうな血が射し、黒く艶やかな髪を引っ詰めてほっそりとした顔が一層小さく感じられる、首筋も四肢も華奢(きゃしゃ)な、愛くるしい乙女だった。阿達羅がまだ軽くびっこを引いているのを見ると、
 「足を怪我していらっしゃるのですか?」 
 急いで彼の肘を支えた。
 阿達羅は目を伏せ、萎れていた。細烏が月見草の花輪を拵(こしら)えてくれた際、自分はまるで嫦娥に饗応(もてな)されているような気がしたが、本物のお城の何と空々しい事か・・・・金銀の器は安ピカ物であり、家来達はおべっか使いの愚か者に過ぎない。妃は文字通 りの異国人(よそもの)だ。賑やかな音楽も談笑も、自分にはうるさいだけだ。
 自分の正体を知って、細烏はどう思っただろう・・・? 貧しいながらも平和に暮らしてい た寡婦(やもめ)を玩具(おもちゃ)にした、と怒っただろうか? −−いいや、自分は決して彼女を弄(もてあそ)んだのではない。それどころか、海で行方不明になった延王の身代りに、一生細烏と暮らしても良いと考えていたのだ。だから、細烏の家で厄介になっている間中、村の習慣(しきたり)を学び、人々に溶け込もうと努めたのに・・・・
(帰りたい・・・・)
 月見草の茂みに象牙の塔よりも気高くほほえむ細烏の姿が、阿達羅の瞼に浮かんだ。(続く)

《作者後記》
 今回は、細烏女を「山海経」に登場する月の女神嫦娥にダブらせてみました。西王母が実在人物だったとすると、その侍女だったという事になっている嫦娥も実在人物であり、「君が代」の歌における岩長姫のように、本当は嫦娥の方が玉 (ぎょく)帝国の主人だったのに、ある時を境いに西王母にとって変わられたのでしょうか・・・・?(深津)


挑戦の魅力「古田史学」

明晰な論証方法で古代人の息伝える

札幌市 吉森政博

 「挑戦の魅力『古田史学』」と題した、吉森政博氏(本会全国世話人、北海道の会事務局)による、古田史学の紹介が読売新聞(七月二九日朝刊、札幌版)に掲載されましたので、転載し紹介します。この他、吉森氏と和田高明氏(会員)が札幌のケーブルテレビに出演され、古田武彦氏講演会の内容紹介などをされています。 (編集部)

「北海道に『古田史学の会』発足と聞き、心の底から躍り上がるものを感じています。北海道はアイヌ文明の悠久の大地、そのアイヌの名を真に敬し、愛し、明らかにする、それも貴会が発足点の一となることを望みます」
 昨年六月、「古田史学の会・北海道」設立総会に寄せられた古田武彦氏の「生涯の探究をともに」と題した祝辞の一節である。
 親鸞研究で注目されていた古田武彦氏が古代史研究に足を踏み入れたのは、昭和四十五年。翌年の「『邪馬台国』はなかった」では、それまで単に「誤記」とされていた、三国志魏志倭人伝の邪馬「壹」国を、三国志中の「壹」と「臺」をすべて検証することによって、誤りとは考え難いことを論証した。      
 古田氏の学説の魅力はその科学的ともいうべき論証方法にある。ともすると想像の学ともなりがちな古代史の世界に、明晰性を持ち込んだのだ。資料の明示、論理の明確さは、読者をして解明への道筋を共に歩むかのような知的興奮に魅き込んだ。それは優れた推理小説を読むがごとしだった。
 例えば、昨年発行された「人麿の運命」での、柿本人麿が死んだ時に妻依羅娘子が作った歌(万葉集、巻二、二二五)の解釈だ。

「直相者 相不勝 石川尓 雲立渡礼 見乍将偲」
 「ただのあいは あいたえざらん いしかわに くもたちわたれ みつつしのばん」

 これまでの多くの万葉解説者とは違って、「相不勝」を「相い勝えざらん」と読むべきではないかと提唱する。
 愛する者を失った者が、遺体にとりすがりたい思いと、愛する者の変わり果てた姿を見ることに耐えられない思いと、「恐らく死んだ『あなた』もその姿を最後のイメージとして残すことに耐えられないでしょう」という悲痛な思いを読み取るのだ。
 そこには柿本人麿と妻というよりも、だれもが共感する、熱い思いを持った「人間」が存在する。
 最近、妻を闘病の末失ったばかりの読者が、この一節を涙ながらに読んだという話を聞いた。
 だが、古田史学の本当の魅力は、実は別にある。と、私は考えている。
 古田氏の緻密な論証から浮かびあがる古代人は、人間の顔をし、熱い息を私たちに吹きかけるのである。
「九州王朝」に始まった古田氏の古代史研究は、年々範囲を広げ、近年は東北・北海道にまたがる古代権力の存在を髣髴させる「東日流外三郡誌」の研究に力を入れている。 
 そこに記される東日流安東一族の活動範囲は、北海道で多く発掘される「擦文土器」の分布と奇妙に一致するようだ。
 また昨年の講演会では、アイヌの神話に触れ、「俺が作ったこの世界」という、記紀神話には見られない「天地創造の神」が存在し、アイヌの神話はかなり発展した形を取っている、との指摘もあった。
 古田史学は、様々な対象に常に新たな視点で挑んでいく、だから私たちはいつも目がはなせない。


 古田史学の会 会員論集の編集準備始まる
 すでにお知らせしていますように、会員論集発行にむけて、準備が開始されました。全国世話人の吉森政博氏(札幌市)を編集責任者として、北海道の会にお引受けしていただくことになりました。
 創刊号には、今までに寄せられた会員の論文から選考したものと、現在では入手困難となった、古田武彦氏の論文「明治体制における信教の自由」を掲載いたします。詳細が決まりましたらご報告したいと思います。なお会員には無料で提供いたします。御期待下さい。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 
第一回 会員総会の報告
 八月二七日、大阪天満研修センターにて、古田史学の会第一回会員総会が開催され、会則、左記の決算・予算、ならびに人事が事務局提案通 り承認されました。
 また、全国世話人を退任された藤田友治氏より、研究に専念したいとの退任の挨拶がなされました。古賀事務局長より、九五年度の事業として、会報の他に会員論集の発行、『新・古代学』一集五十冊の各大学等への寄贈、そして第二集編集への参加などが表明されました。
 選出された役員は次の通り。任期は二年。

[全国世話人] 水野孝夫(奈良)・吉森政博(北海道)・佐々木広堂(宮城)・青田勝彦(福島)・上城 誠(静岡)・宮林勇一(大阪)・古賀達也(京都)・山崎仁礼男(奈良)・前田博司(山口)<順不同>

[役員](世話人会の推薦による)
代 表 水野孝夫
事務局長 古賀達也
副代表  山崎仁礼男(会計兼務) 
会計監査 太田斎二郎(奈良)

採択された会則に基づいて、後日、水野代表より次の指定・任命がなされました。
1. 本会事務局を古賀事務局長方に置く。  
2. 会報編集責任者として古賀事務局長を任命する。
3. 会員論集編集責任者として吉森政博全国世話人を任命する。
 以上

 一九九五年九月十一日 
 古田史学の会 代表 水野孝夫

□□事務局だより□□□□□□□□□□□□
▽本号はエバンス夫人講演のお知らせの為、特別に発行しました。参加定員申込先着三百名のため、会員の皆様に早くお知らせする必要が生じたためです。
▽同事業成功のため、本会も全力でお手伝いします。会員の皆様の御寄付(東方史学会へ)を宜しくお願い申し上げます。
▽初めての会員総会で、無事会則採択され、喜んでいます。同会則は会の将来に無用な混乱や道を誤らないようにする為に中小路駿逸先生の御助言をいただきながら作ったものです。今後は「細則」により、詳細についても整備していきたいと考えています。
▽ゼロから緊急に発足させた会ですが、皆様の会費やカンパにより、財政的にも破綻することなく、運営できました。心よりお礼申し上げます。
▽九五年度会費未納の方は、宛名シールの会員番号右に94と記されています。
(納入された方は95)お確かめの上、未納の方は納入(三千円)をお願い申し上げます。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから

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