以上の点を、木佐氏は指摘したのち、次の問題を提起された。
「倭人伝の最初に書かれている行路記事は、張政の軍事的報告書を背景にもち、中国側の軍事用の目的にかなうものとして、書かれているものと見なければならなぬ
。
従ってそこに方角上の誤謬(たとえば、南と東のとりちがえ)や里程上の巨大な誤謬(たとえば、五・六倍の誇大値)があった、というような、従来多く行われてきた考え方は、ありえないと思う。
また何より、帯方郡から女王の都までの「總日程」が書かれていなければならぬ
。なぜなら、それなしには、中国側は、食糧の補給や軍事上の兵力増強などしようとしても、一切目算が立たないからである。」と。
いずれも、きわめて理性的な指摘である。一点の瑕瑾(かきん)もない。だが、この木佐提言によって、従来の「邪馬台国」論争の一切は、ふっ飛んだ。消滅したのである。
なぜなら、従来の論者は、あるいは「南」を[東」のまちがいとしたり(近畿説)、里程記事を〃五〜六倍の誇張〃としたり(近畿・九州各説)することによって、各自の目ざす地点へ「倭国の都」を引き寄せようとしてきていたからである。
その上、木佐提案によれば、もっとも肝心な眼目とされる「帯方郡から倭国の都までの總日程」を提示することができなかったのである。
これらはすべて、ありえざる解答、根本的な非現実的な解答にすぎなかったことが、木佐提言によって暴露されたのである。
これに対し、幸いにも、この提案を満足させえたもの、それは一九七一年に発表したわたしの
立場であった。
第一、方角にあやまりはない。 第二、里程は真実(リアル)である。 三国志は、秦、漠朝の里単位(一里=約四二五メートル)ではなく、魏・西晋朝の単位(一里=約七七メートル)によって書かれている。 第三、帯方郡から邪馬壱国までの「総日程」は四十日(水行十日・陸行一月)である。
以上の帰結は、「部分里程の総和は、総里程にならねばならぬ
。」という一事を至上命題とした結果、わたしの到達したところであった。そしてその帰結はすなわち、女王の都する邪馬壱国は“博多湾岸とその周辺”にあり、となす回答へと、わたしを論理的に導いたのであった。「陳寿(三国志の著者)を疑わぬ
」立場だ。
はからずもこの、わたしの二十年来の主張は、今回の木佐提案によって支持されうる、唯一の回答となったのであった。
今回、新たな証言が見出された。
その一は、「郭務[心hen宗]の証言」である。彼は唐朝の部将である。天智十一年(六六二)の白村江の完勝直後(九ヶ月あと。天智二年)、日本列島に派遣された。そして七ヶ月間滞在した。翌年(天智西年)再び来訪し、五ヶ月間滞在した。そしてその年の十二月に帰国している。
すなわち、白村江で完敗した「倭国」へ、勝利者側の使者として三度来訪した。第一回は、中国の百済占領軍司令官、劉仁願の命、第二回は、唐朝の天子(高宗)の命による来訪であった。第三回(天智十年)も、同じである。
その軍事的・政治的報告書が資料の一となって書かれたもの、それが旧唐書の倭国伝であること、この一事は疑いがたいところであろう。とすれば、張政の場合と同じく、大筋において、その「倭国」観を疑うことは不可能ではあるまいか。なぜなら、期間こそ、各何箇月にとどまりこそすれ、激しく交戦した相手国「倭国」の本体をとりちがえる、などということは、およそありえないからだ。
すなわちこの「倭国伝」の所述は、真実(リアル)である。そのように判断する以外の道はない。
その二は、「阿倍仲麻呂の証言」である。彼は「日本国」すなわち近畿天皇家の使者(遺唐使)として、八世紀初頭、唐朝に渡り、その後、「帰化」して唐朝の上級官僚として用いられ、都(長安。今の西安)に「五十年」滞在した。そしてその地に没した。その旨、「日本国伝」に明記されている。
とすれば、この「日本国伝」の記載が、他の誰人より、この仲麻呂(中国名、仲満ないし朝衡)の情報乃至“裏づけ”によった、と考えて疑いはない。
とすれば、この仲麻呂が国家の大体(「倭国」と「日本国」との関係)について、全くの錯誤を犯していた、などということは、ありうる話ではない。人間の理性に拠る限りは、これ以外の理解の道はないのである。
すなわち、旧唐書の[日本国伝」の記載は、真実(リアル)なのである。以上、三つの証言をあわせ、その指摘する歴史像を、真実な、日本の古代史像の根幹とすべきである。これを「政・[心hen宗]・満の法則」と呼びたい。(張政・郭務[心hen宗]・仲満)
もしこれを非とし、古事記・日本書紀のしめす“大義名分”の立場(近畿天皇家中心の一元史観、"Tennology"
と呼ぶべき、現王朝中心主義のイデオロギーの立場)を是とする学者、なおありとすれば、以上の論証のいずれが非か、それを明らかにしてあとになすべきであろう。それが人間の理性と良心ある歴史学者に課せられた、本質的な義務ではあるまいか。
一九九二・一・一稿了−
古代史ーー日本国の真実 「すべての日本国民に捧ぐ」新泉社 に収録
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