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邪馬台国論争は終わった=その地点から 古田武彦


1977年6月30日初版発行

倭人も太平洋を渡った

コロンブス以前のアメリカ発見

創世記 八幡書店

C・L・ライリー他編 古田武彦訳著

はじめに」と「おわりに」は、下にあります。

始めの数字は、目次数です。

【頁】【目 次】
001 はじめに
009 序文と感謝のことば                   原著者

013 一帆走するイカダ                    エドウィン・ドーラン・ジュニア
    それは古代文明の生き証人だ    
049 二コロンブス以前の斧と手斧(ちょうな)の“柄づけ”への探究 ダニエル・ランダル・ベイルネ
    旧世界と新世界にまたがる、文化的な類型付けを求めて
103 三論争のまとは何か                   原編者
    その紹介
119 四“伝播”か、それとも“独立発達”か          スティーブン・C・ジェット
    ここから論争が始まった
219 五 “伝播”には、どんな考古学的証拠があるか       ゴードン・F・エクホルム
231 六 “伝播”                       ディビット・H・ケリー
    その証拠とプロセスを求める
243 七 様式と文化交流との間                ジョン・マラー

 

267 [補一]日本の古代史界に問うー新しい方法を求めて 古田武彦

268 見えない手 ーー分布図解読に王道なし
281“スフィンクスの問いかけ”ーー弥生遺跡の文字
288 黒潮の彼方
296 裸国と黒歯国の歴史
301 日本民族の起源への探究
306 〈補1〉「アジメリア」と「中国海」
306 〈補2〉“現地からの「裸族・黒歯族」の報告”

313 [補二]縄文とバルディビアとの関係 ベティ・J・メガーズとクリフォード・エバンス
    わたしたちの「日本−エクアドル」古代交流説に対する、マラーの評価について
    〈古田武彦の求めに応じて〉

325 おわりに
328 復刊のことば

執筆者リストと文献目録                    巻末

デザイン ーー郡幸男+中濱敦子

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倭人も太平洋を渡った ーーコロンブス以前のアメリカ発見

昭和五十二年六月三十日 初版発行

編著者 C・L・ライリー 他
訳著者 古田武彦
発行者 細萱尚孝
発行所 創世記

1987(S62).06.29
八幡書店 再

___________________

Man across the Sea
Problems of Pre-Columbian Contacts

Edited By
Carroll L. Riley
J. Charles Kelley
Campbell W. Pennington
Robert L. Rands

This Book is published with the assistance
of the Dan Danciger Publication Fund

Japanese Copyrigiht. ©1977
by Souseiki Publisher, Tokyo
Original Copyright ©1971
by Carroll L. Riley, J.Chales Kelley,
Campbell W. Pennington, and Robert L. Rands
Original English-language edition
by University of Texas Press, Austin & London
All right reserved


はじめに

 わたしは、かつて書いた。
 「偶然は、人を思いがけないところへ導くものである」と。
 古代史の森の奥深くふみ入ることとなった感慨を、処女作『「邪馬台国」はなかった』のはじめにのべたものである。
 この一句を今思いおこすのは、ほかでもない。わたしが異国の本を翻訳し、これを世に送ることとなろうとは、たった一度でも思いみたことはなかった。運命の、人を翻弄すること、またはなはだしい、というべきではあるまいか。
 明治以来、すでにおびただしい翻訳書があらわれた。そのあとで、わたしのような者が“訳者”の名をこの本の表紙に冠しているのを見て、思わず失笑する人も多いであろう。困難な訳業自体への侮辱として憤怒の情を抱かれる人があったとしても、それは何ら理不尽なことではないと、わたしには思われる。
 ではなぜわたしは、この訳書を世に問おうとしているのか。ほかに理由はない。この一書が日本の古代史研究の未来に不可欠の重大な意味をもつ。 ーーただその一事を信じたためである。
 これはたしかに“身のほど知らず”の挑戦かもしれぬ。しかしこのように、わたしがひきつけられているのだから、わたし自身の手で、ここにあるこの本の真の姿を明らかにしてみたい。あたかもヒマラヤに挑戦した、あの登山家のように。 ーーこの思いであった。
 わたしがこの本に出会うことができたのは、ひとえにエバンス夫妻(クリフォード・エバンスとベティ・J・メガース。スミソニアン研究所)の導きによる。
 わたしが三国志の魏志倭人伝に対して一字一句をゆるがせにせず、厳密な解読をすすめたとき、必然の論理の筏にいざなわれて“倭人の南米大陸西北岸交流”説へと到達した。
 そのあと、エバンス夫妻がエクアドル出土土器の研究から、すでに同一の帰結に達しておられたことを知り、一書を送り、その文通をうることとなったのである。(わたしの第四作『邪馬壹国の論理』〈朝日新聞社刊〉に往復書簡集所載)
 その手紙で、夫妻はわたしにこの本をすすめられた。
 この本では、コロンブスがアメリカを発見する以前に、すでに多くの旧世界の古代人が太平洋や大西洋を越えて新大陸に到着していた。その文化交流の跡が裏づけられている。そして倭人も、その代表をなす一例なのであった。しかも、そのような“内容”だけでなく、“方法”の問題への良心的な努力に貰かれていること、それがこの本のもつ魅力であった。
 わたしは今、はるかなる海の彼方の夫妻に対し、深い感謝の心をおくりたいと思う。
 この訳書にとって、無上の喜びがある。それはエバンス夫妻のすぐれた新論文をえ、「参考資料」として補篇に付載できたことである(いきさつは“あとがき”にしるした)。
 これは、先ず日本語として世に出る稀有の運命をもった、外国研究者の出色の新論文だ。それを本訳書は、掲載する栄をえたのである。
 もう一つの幸運、それは卓越した語学力の持主たる柳川秀子さんが一々刻明に誠実にこの訳書を披閲して下さったことである。
 このつたない訳業を終えるに当り、わたしの脳裏を去来する一つの書名がある。『蘭学事始』 ーーそうだ。わたしにとって、ここに日本の古代史の新しい扉が開け、光芒たる世界を見た。まことに文字通り、探究の「事始め」となったのである。
 この訳業の途次、わたしは望外の幸ある朝夕をむかえた。なぜなら、この本の内容をなす方法論に触発せられつつ、日本古代史の新局面を明らかにすべき新しき鍵を、次々と手にすることができたからである。
 ために、このような訳書としては異例ながら、日本古代史上の新しい間題点の一端をここにしるして、補篇にのせ、もって解説に代えることとした。
 これは未来への探究の礎石、わたしのささやかな記念碑となるであろう。


おわリに

 「堕落するなよ!」ーー この一語が信州松本駅をはなれゆく列車の中の、わたしの耳朶(じだ)を打った。
 一九五四年初春のことだった。
 わたしは松本深志高校、六年間の教職を辞し、不明なる明日を求め、神戸へ向って出発した。おびただしい見送りの中から突如飛び出し、列車と共に走りつつ、そう叫んだ青年。 ーーそれが今、この本を世に問おうとする創世記の細萱尚孝氏である(その六年前、二十一歳と十八歳。兄弟のような「師弟」関係だった。同社の東堅一、萩元晴彦氏も同窓である)。
 わたしはエバンス夫妻のすすめによって、この本(原題“Man across the Sea”)を手にしてより、不思議な愛着を覚えた。それが訳書を世に出す機縁となったのであるが、一つ問題があった。それは本書中、第七章のマラー論文が当のエバンス氏を批判し、鋭角的に否認し去っていたことである。
 夫妻の手紙には、そのような点、何も触れられていなかったから、わたしははじめこれを知らず、やがてその批判の激烈さに驚いた。面子を重んじ合う“美風”をもった日本の学界では、この現象は稀である。日本の古代史界にとって「他山の石」であろう。
 けれども、わたしは忠った。エバンス夫妻側の見解も並載したい、と。なぜなら、夫妻の説は、日本古代史に対してあまりにも巨大な波紋の石を投じていたにもかかわらず、日本の学界はその真摯さに対応する礼儀をもたなかった。いたずらに無視と黙殺をもって遇しつづけてきたのである。(註三二七ページ)
 このような欠落状況の中で、「反論」だけ見せられたのでは、日本の読者は、とまどうほかないのではあるまいか。
 そこでエバンス夫妻にこれをお願いしたところ、直ちに快諾され、新たな一文をしたため、送付して下さったのである。この点、原著の編者とテキサス大学出版の寛恕を乞うと共に、当のマラー氏からの再反論の機の来ることを待望したい。
 この訳書は、原著の全部ではない。ほぼ前半の二分の一弱を訳出した。あまりにも大部になるのを恐れたのであるが、貴重な植物学関係論文等をふくむ後半部については、またの機会があれば幸である。
 この訳書を、この形で、今、世に送る。それは、この本を貰く“問越意識”と“方法意識”のためだ。一見“読みづらい”かに見える、この訳書中の方法論の精細な吟味。実はここにこそ従来の日本古代史界、最大のウィーク・ポイントがあった。この訳書にとりくんだ目途もまた、この一点にあったのである。
 わたしの喜び、それは青木洋氏の御協力をえたことである。秋の一日洛西に来て下さった。そして“手づくりヨット世界一周”の経験からの、さまざまの御教示。第一章の付図はそのとき、お描きいただいたものだ。忘れがたい。
 わたしもようやく、訳業辛苦の日々に別れを告げる。新しい朝に会うときが近い。一刻も早く漕ぎ出でたい。そのように朝夕思いつづけてきた。探究のため、手づくりの小舟はすでに用意された。日本考古学への挑戦だ。ある初夏のはじめの日、孤帆を張り、わたしは旅立つであろう。やがて襲い来る呑舟の嵐、その闘いの予感におののきながら。

(注)ただ例外として藤森栄一氏の『古道」に短文だが、美しい紹介がある。また芹沢長介氏(『日本の考古学」II縄文時代)・徳沢竜澤氏(季刊どるめん七号)・江坂輝彌氏(『消えた縄文人』)・山田宗睦氏(「インドヤポネシアヘの道」鳥尾敏雄編『ヤポネシア序説」所収)等がそれぞれの立場からふれておられる。また『九州の原始文様ー縄文土器にその原点を探るー」(佐賀県立博物館刊)に「南米エクアドルの土器」として六破片の写真が付載されている。


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