『古代に真実を求めて』第八集
古田武彦講演 ロシア調査旅行報告と共に 一、神々の運命、 二「磐井の乱」はなかった、三、トマス福音書について

原初的宗教の資料批判 -- トマス福音書と大乗仏教 へ


古田武彦講演記録 二〇〇四年一月十七日 場所大阪市北区・北市民教養ルーム

「磐井の乱」はなかった

ロシア調査旅行報告と共に

古田武彦

三 トマス福音書について

 残された時間はトマス福音書についてお話したい。去年から今年にかけて夢中で取り組んでいます。いくら時間とエネルギーがあっても足らないような生活を送っていますが、その問題の一端を紹介させていただきます。
 なぜ、このような問題に取り組んでいるのか、その件だけ申させていただきます。
 わたしがこの問題に取り組みましたの、一一四番(注:荒井献訳のトマス福音書の段落番号)の問題です。これは荒井献(あらい ささぐ)さんの翻訳、この方は東大名誉教授、わたしより四つ年下のかたです。キリスト教のプロテスタントのかたで、イエス伝の研究に精力をそそいでいる方です。とくにこの方の研究のメインをなしているのは『トマス福音書』です。お聞きになったことがないかも知りませんが、われわれが知っているバイブルとは別なのです。われわれが知っているバイブルにはないイエスの言葉です。
 一九四五年にエジプトナイル川の下流域の上域。そこのナグ・ハマディ村の墓地から見つかった。大きな壺に入った写本がパピルスを綴じ合わせた冊子がたくさん入っていた。四一の文書からなっていた。その一つがトマスによる福音書です。これはひじょうに古いものなのです。われわれが今知っているバイブルとはぜんぜん系列が別です。それでわたしが最初に知ったのは、荒井献さんが書かれた『新約聖書の女性観』(岩波新書)からです。偶然バイブルか何か新約聖書の本をもってロシアに行きたいと考えました。旅行ですから手ごろな本を探していると、偶然にわたしの関心のあるテーマがありましたので買いました。そのまま、置いておきまして昨年の一〇月ころから読みはじめまして、それでたちまち夢中になった。
 そこにわたしが、注目したのは下の百十四番です。『新約聖書の女性観』(岩波新書)に引用してあったのは、「イエスが言った、」以降でしたが。

   『トマスによる福音書』講談社学術文庫より
 一一四 シモン・ペテロが彼らに言った、「マリハムは私たちのもとから去った方がよい。女たちは命に値しないからである」。イエスが言った、「見よ、私は彼女を(天国に)導くであろう。私が、彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」

 マリハムは女性です。『新約聖書の女性観』(岩波新書)には「見よ、私は彼女を(天国に)導く・・・ ・・・天国に入るであろうから」が引用してありました。一回読んでも何のことか、わからないでしょう。「イエスが言った、」からもう一度読みます。(再読)変な言葉です。二回読んでもよくわからない。ところがわたしは、これを読んでピンときた。わたしは親鸞を研究していまして、親鸞の和讃に有名な個所がある。

  『親鸞聖人全集』浄土和讃 大經意
 諸佛の大悲ふかければ
 佛智(ぶっち)の不思議をあらわして
 變成男子(へんじょうだんし)の願をたて
 女人成佛ちかひたり

 「変成男子」、つまり女を男に変えて、そして後、救済する。これの背景はあとで申しますが、親鸞を研究している人はだれでも知っている言葉なのです。
 もう先ほどの言葉を一度言います。
   「見よ、私は彼女を(天国に)導くであろう。」
 これは、わかりますね。次です。
   「私が、彼女を男性にするために、彼女もまた、あなたがた男たちに似る生ける霊になるために。」、こう言います。わたしは、まず彼女を男にするのだ。それから後、天国に導くのだ。こう言っています。
  「なぜなら、どの女たちも、彼女らが自分を男性にするならば、天国に入るであろうから」

 女はストレートに天国に行けない。そのため必ず行わなければならない通過点があって、男に化けるということです。このイエスは、女たちを男に化けさせる力を持っている。男に化けさせて、しかるのち天国に連れていく。このような話は聞いたことがない。普通のバイブルにはない。この思想は親鸞も言っていたことと同じですよ。女を男にして救済する。それが「変成男子」の願。
 もう一度、親鸞の和讃を見てください。親鸞がこれを言っている背景は、親鸞は大無量寿経を依りどころにした。法然・親鸞いずれも大無量寿経を依りどころにした。
 大無量寿経は四十八の願があって、その中の三十五番目の願です。

  大無量寿経(読みは一例)
 (三五)
 設我得佛十方無量不可思議諸佛世界其有女人聞我名字歓喜信楽發菩提心厭女身壽終之後復為女像不取正覺

 設ヒ我佛ヲ得ンニ 十方無量不可思議ノ諸佛世界ニ 其レ女人有リテ我名宇ヲ聞キテ歓喜信楽シ菩提心ヲ發シ女身ヲ厭ヒ悪マン 壽終ヘテ後、復女ノ像ト為ラバ正覺ヲ取ジ

 タトヒ ワレ ブツヲ エンニ ジュッポウ ムリョウ フカシギノ ショブツ セカイニ ソレ ニョニン アリテ ワガ ミョウジヲ キキテ カンキ シンギョウシ ボダイシンヲ ハッシ ニョシンヲ イトイ ニクマン イノチ オヘタノチ マタ オンナノ カタチト ナラバ ショウカクヲ トラジ

 「名字」というのは、「南無阿弥陀仏」です。「正覺ヲ取ジ」というのは、四十八願繰り返しています。こういう情けない、いやな状態が解消されなければ、私ひとりが悟りをひらいて、わたしが極楽に行くことはしたくない。これが菩薩の請願であり大無量寿経の請願のスタイルです。この三十五番目の請願が、女の人が「南無阿弥陀仏」を唱えることにより、死んでから男に変わる。そして極楽に来て救われる。それでもまだ女に生まれるようだったら、私ひとりが悟りを開いて極楽に行くつもりはない。このように言っています。これを、親鸞が「變成男子(へんじょうだんし)の願をたて」と唄った。同じ考え方です、これは「女が救われる。」という考え方、これだったら誰でもというとおかしいですが、女性差別の世界ではそうは言われていないですが、それにしても女が救われるという形に発展するというのは、あたり前と言えばあたり前であり自然な発展です。しかし、これが不自然な発展なのは、女を男に化けさせておいて天国に連れていく。このトマス福音書も、大無量寿経も女を男に化けさせておいて極楽に連れていく。これはひじょうに共通です。歪(ゆが)んでいるといえば、歪んでいて共通しています。こんな歪(ゆが)みが自然発生で、ユダヤとガンダーラに同時発生したと思いますか。どうもわたしは、それはないのではないか。両者にどこか繋がりがあるのではないか。このようにピンときた。これも詳しく言えば毎日のように新発見があり、経過を話せばおもしろいが、簡単に結論にいきます。

 荘厳経・三十六願経、大無量寿経には、四十八願経がありますが、これは発展につれて数が増えてきたので、その前は三十六願だった。その二十七願に女人成仏がある。これに対し議論はいろいろありますが、かんたんに結論にいきます。

  荘厳経 三十六願(読みは一例。)
 二七願・・・若シ女身ヲ厭離スル有リテ、我ガ名號ヲ聞キテ清浄心ヲ發シ帰依シ頂禮セン。彼ノ人命終テ即チ我ガ刹ニ生ジ男子ノ身ト成リテ悉ク皆阿耨多羅三藐三菩提ヲ得シメン

 これは完全に女が男に化けてというわけです。その前の二十四願経・大阿弥陀経、ここの二番目。だんだん古いほうに遡(さかのぼ)っている。ここでも「女人アリテ」とあり、女が登場している。
 ここでも女が男に化けて救われる。それでなければ、わたしひとりだけが、仏になることはしない。こういう請願です。

  大阿弥陀経 二十四願経 (部分 読みは一例)
 第二願 ・・・女人アリテ我國中ニ生セント欲スル者ハ、即チ男子ト作サン・・・

 だから、その前の二十四願経・大阿弥陀経で、すでにこの考え方は出てきている。ところが、その前の同じ二十四願経でも平等覺経には、それがない。代表的なものを、そこにあげておきました。

  平等覺経 二十四願経(部分 読みは一例)
 六、我作佛セン時、人民我ガ國ニ来生スルモノ有ランニ悉ク徹視セザレバ、我作佛セジ
 七、我作佛セン時、人民我ガ國ニ来生スルモノ有ランニ悉ク他人ノ心中ノ所念ヲ知ラズンバ、我不作佛セジ
 八、我作佛セン時、我ガ國中ノ人民悉ク飛セズンバ、我不作佛セジ
 九、我作佛セン時、我ガ國中ノ人民悉ク徹聴セズンバ、我不作佛セジ
 十、我作佛セン時、我ガ國中ノ人民悉ク愛欲有ラバ、我不作佛セジ

 六願、何でもものを見通す力がある。これが人民になければ、私だけ仏になりたくない。
 七願、他人の心中のことが皆わかるようにならなければ、私だけ仏になりたくない。これは怖いですね。
 八願、国中の人民が、皆空を飛ぶようにならなければ、・・・。これは無邪気ですね。オーム真理教であったでしょう。飛行の術。古代インドのヒンズー教の秘法の一つなのです。それがバックになっています。
 九願、ことごとく徹聴する。千里眼とか、遠くのものを聴き遂げるようにならなければ、私だけ仏になることはしない。
 十願、みな愛欲があるならば、私だけ仏になりたくない。愛欲がなくなればどうなるでしょうね。

 とにかく無邪気といえば無邪気。素朴といえば素朴なものばかりが並んでいる。女を男に変えるという話はない。少なくとも二十四願の中には出てこない。ということは、最初はなかった。大阿弥陀経段階で、どこからか取り込んできた。これも大事なことは、さきほどの大無量寿経・四十八願経には、三十五願(女を男に返る)と同類の考え方はない。突拍子もなく、いきなり出てくる。大阿弥陀経・二十四願経でも、他につながりはない。そして平等覺経・二十四願経にもない。こうなると、どこか他から入ってきて大阿弥陀経段階で表れた。このように考えた。今はかんたんに言いましたが、ほんとうはどちらが先か複雑な議論があります。それは省略しまして問題の焦点から言えば、このようになる。
 それに対してトマス福音書には背景がある。つまりバイブルの創世記。アダムはイブの脇腹から作られた。変な造られ方をした。しかもその作られた方のため根性が悪くて蛇にだまされて、そしてエデンの園のリンゴを盗んで食べて楽園を追放された。
 これも横道にそれますが、蛇は本来バイブル成立以前の中心的な神様です。トルコへ行きますと、今でも薬局は蛇の看板がかかっている。蛇はすべての病をなおす霊能力がある偉大な神様です。多神教の時代には。それを悪者にしたのがバイブルです。バイブルはあたらしい。それまでの永らく神聖な蛇を悪者にすることによってバイブルは始まっている。『古事記』『日本書紀』で、蛭子(ひるこ)を悪者にしているのと同じです。
 とにかくユダヤの教養では、女は楽園を追放されたということに成っています。だからイエスが、福音を信じるものはすべて救われる。そうと言えば、おかしいよイエス。女は楽園を追放されたのに、おまえの権威ぐらいでは救われるはずはないかという反論が出てくる。万人が万人出るわけです。それに対して、この解答は、(わたしは)男を女に変える力があるのだ。そういう変わった解答です。この変わった解答には理由がある。これも毎日考えた、ハッと出たことをつなげて言っています。
 この間アレキサンダー展が神戸と東京で年末までありました。そこでご覧になった方は、おそらく記憶にあると思うのですがアテネの女神。美しい姿で横たわっています。まことに皮膚から顔から腰から美しい女神です。ところが後ろに回るとなんとお尻からオチンチンが出ている。男性の生殖器が出ている。両性具有像という説明がついていました。その時は、アッと思って帰りましたが、後から考えると正しい説明ではないですね。両性具有というなら前から見たらアテネやヴィーナスの女神ですが、裏へ回ったら筋骨隆々たる男性であれば両性具有という説明になる。あの像はそうではなくて九五パーセントは女で、そこへ男性の性器オチンチンが生まれたというものです。これはギリシャ神話にバックがある。

 さらに、これには水野さんからおもしろい資料を送ってもらった。ギリシャ神話、あれは最終に終結した神話の姿です。その中にギリシャ以前の神話が包まれているというか皆取り込まれている。考えてみれば得な神様、損な神様、いろいろな神様がいる。初めから地球を持って支えている損な役割の神様が、初めからいるはずがない。あれは輝ける主神だったのが支える部族が戦争に負けたから、その神もまた損な役割を負わされた。かんたんに言えば、その一例になる。
 もう一つわたしが見つけた例を言いますと、太陽の神アポロは、車に乗ってオリンポスへ向かうではありませんか。ところがアテネから太陽の神アポロは北へ向かって行くことになる。アテネからオリンポスは北ですから。ところがギリシャでは太陽は北へ向かうのか。そんなことはありません。アテネに行ったことはないけれど間違いなく、太陽は東から西に向かいます。これではアポロは、オリンポスへ行けません。ところが、どこからオリンポスに行けるか。トロヤです。地図を見て驚いた。実在のオリンポスの山はトロヤの真西です。だからトロヤの上の太陽は間違いなくオリンポスに向かう。トロヤの真東の山のほうはクルド人のいる山岳地帯。クルドから太陽が出る。だから間違いなくクルド人の神話とかかわりがある。だからトロヤの神話とクルド人はかかわりを持っている。それをギリシャが盗んだ。今のところ、そのように考えています。だからギリシャでありえない話が、トロヤでならありうる話となり、ギリシャ神話に取り込まれている。
 元にもどり、男性の生殖器がついた女神という今の問題で言えばおもしろいことがある。アテネの神はトロヤの神とイコールである。同じである、合流したらしいという説明を水野さんがインターネットで探してくださった。これがトロヤなら何かといいますとアマツオーネ・女性戦士。どんどん時間がなくなっていきますが、アマツオーネの話はトロイ遺跡を発掘したシュリーマンのウィークポイントであると見ています。シュリーマンによるとイリヤッドを少年時代から信じて、トロイ遺跡を発掘した。それならイリヤッドをきちんと読めば、あのイリヤッドの大前提は、トロヤとアマツオーネとの戦いなのです。それでギリシャ軍が押し寄せたのを見て、「これだけの大軍に囲まれたのを見たのはアマツオーネと戦っていらいだ。初めてだ。」というトロヤの王が語る言葉が出てくる。だからあのトロヤ戦争が事実なら、アマツオーネとの戦いもリアルだ。わたしはそのように考えます。ところがなぜかシュリーマンは知らない顔をして、ふれていない。わたしは黒曜石を見て、南トルコの博物館で大変大きな黒曜石が展示してあるのを見てそう思いました。もちろんこれは実用ではなくて権力のシンボルですが。それはもちろんアマツオーネ・女戦士の勢力、黒曜石の文明が実在したのだ。それを滅ぼして金属器のトロヤ文明が取って代わった。そのように理解しています。それはともかく、今回はそのアマツオーネとアテネが合流したのだという説が書いてある。アマツオーネは女だけれど、男の性格を持っている。それをシンポライズしたのが、女神であるけれども男の生殖器が付いてあるという素朴な像になっている。今のところ資料によって考えただけですので確認は必要ですが。基本的には女に男の生殖器が付いてあるという淵源(えんげん)はあると思う。もちろんこれはイエスなどより、もっともっと古い。しかし今アレキサンダーの大遠征は、アレキサンダー展で示されたギリシャの石像がインドガンダーラの石の仏像に表れている。
 キュウピットのような羽が生えた子供が弓矢を持っている。あれがギリシャではアテネの女神の頭の上に来ている。それで心臓を射ると恋をするという。それと、まったく同じ格好をした子供が、今度はガンダーラでは羽の生えた子供が仏さんのところに飛んでくる。その場合はまさかお釈迦さんに恋をしているわけではないでしょうが。ですが形は同じです。ギリシャでは足にまとわりついている神様もいて、それもやはりガンダーラの仏さまと同じです。同じようにお釈迦様にまとわりついている。それを展覧会で見せていただいたが、明らかに両者関係がある。とうぜんギリシャのほうが古い。紀元前三百年・四百年段階ですから。ガンダーラは紀元後、三世紀ですから。矢印は完全にギリシャからガンダーラです。理屈抜きでわかるように最後の部屋まで展示してあった。しかしこれは、形の上です。
 今度は思想内容です。今のようにトマス福音書はリアルである。創世記をバックにして、しかもこのイエスはヘレニズムの影響を受けている。いまのキリスト教聖書学では、イエスは神様です。神様はヘレニズムの影響を受けるなどは考えられない。わたしにはキリスト教聖書学は関係しない。わたしはイエスはすばらしい人間です。わたしの大好きな青年です。イエスの時代はアレキサンダー以後です。とうぜんヘレニズムの影響を受けている。またヘレニズムの影響を受けていなければ、おかしい。
 一方ユダヤ思想、一方ギリシャ思想と学校では習ったけれども、わたしも教えたけれども、実際はヘレニズムの影響を受けているイエス以外にはありえない。その影響を受け入れないイエスというものはありえない。ところが今のトマス福音書はヘレニズムの影響を受けていることが出ている。
 結論から言えば、このトマス福音書がガンダーラに浮上した。しかも、それを裏付けるトマスという人の伝記がある。トマスはイエスの弟子ですが『トマス行伝』という伝記がある。この人はユダヤから奴隷に売られる。奴隷と言っても大工・技術奴隷です。大工と言っても、中近東の大工は石工です。北インドの金持ちに買い取られて行った。そこで宮殿を造るのに頑張って王様に気に入られた。そこでトマス福音書を元にしたキリスト教の布教をした。それから、そのあとは南インドの金持ちに買い取られて、南インドに行った。そこで死んだ。ところが現在、南インドに小さいけれど強固なキリスト教の教団がある。場所も荒井献さんが書いておられるから行けばわかる。その教団の開祖はトマス。もちろんほんとうの開祖はイエスである。ですがイエスを神として、開祖はトマス。トマス教団というのが、現在もある。凄(すご)いですね。
 そうすると理屈の上で、トマス福音書がガンダーラに浮上し影響が表れたと言いましたが、この『トマス行伝』のトマスの動きと一致している。
 この問題については、聖書学者はわたしのように簡単にはいかない。だって『聖書』がぜったい正しいというところに到着しないと困るからです。それから外れると大騒ぎです。わたしのほうは関係ないから、反キリスト教親キリスト教関係なく、あくまで論理の導くところに従っているわけです。まだ研究のさ中ですから六月にも、お話できると思います。どうもありがとうございました。

 質問一 オロチとアイヌのオロチョンとは、何か関係がありますでしょうか。
 <今回は略>

 質問二 『日本書紀』では物部麁鹿火が勝ったら西日本はやるよという話でしたが、話では勝ったような話でしたが、結論では物部麁鹿火にどこそこの領土をやるという記録もない。普通に考えれば、後世読んだ人は疑問に思う。それがそのまま書いてあること自体が良くわからない。それを疑問に思うのですが。どのように理解されていますか。

 回答
 これは言われたとおりです。『失われた九州王朝』でも扱いましたが、書き方そのものに、書き手や編者自身の気持ちが表現されているのではないか。これを見てもらえば、おかしいことがわかるでしょ。そういう謎(なぞ)かけですね。『万葉集』でも、そのようなことを『壬申大乱』(東洋書林)でも扱いましたが、同じような『日本書紀』の編者自身から見た読者への謎(なぞ)かけ、読んだ人に対しての謎(なぞ)かけがあったのではないか。あれが本当なら糟屋屯倉(かすやのみやけ)だけ、もらっても無意味です。糟屋屯倉は九州全体の百分の一部ぐらいですから。そこだけもらって満足する。あれだけ完勝して、それだけとはおかしい。あの話はそれだけを見ても、既におかしい。そのように書いた人から読者に告げようとしていた。それを明治以後の天皇家中心主義は、それをかまわず信じてきた。だからもしなんらかの実体があるとすれば、糟屋屯倉の問題が出るところを見れば九州の百分の一部ぐらいですから、朝鮮半島側へ行く通路ですから近畿天皇家に対して朝鮮半島へ行く基地として使用を認める。そういうことは、あったかも知れない。そういうことを種にして、あのような話を作ったかもしれない。これはあくまでも想像でありまして、実際にそうであったと言うのは、それなりの証拠がいる。実際、糟屋屯倉だと言われるところに行きましたが、どうも近畿天皇家の痕跡というものはあまり出ない。むしろ屯倉というなら九州王朝の屯倉です。それを一度にまとめて書いてある。
 継体の反乱(磐井の乱)の全体がおかしいというのは、今まで全体がおかしいと思わずに今まで来た。

 質問三 磐井の乱ですが、今まで継体の反乱と理解していました。それで質問なのですが継体が死んだ年と朝鮮の記録との時期のずれ、そのあたりはどのように理解したらよいのでしょうか。

 回答
 これも大事な質問です。
 継体紀の最後に、「日本の天皇及び皇子、倶に崩薨りましぬといへり。此に由りて言へば、辛亥の歳は二十五年に當る。後に勘校へむ者、知らむ」という百済本紀の記事があります。
 今考えてみますと、『失われた九州王朝』『古代は輝いていた 三』などを書いた人間として、間違いというか論理の飛躍があったと、今は考えています。結局百済側が伝える事件があったことは間違いがない。あそこに干支も書いてある。それも間違いがないと思う。ですがそれが磐井であるという証拠はない。磐井以外のケースで、そういう問題が起きえたケースがあったか。たとえば倭の五王。上表文のところで、悲痛なことを言っています。父が亡くなった。兄が亡くなった。自分が頑張らねば、そのように言っています。そのような背景に、この事件があっても不思議ではない。そういう目で、もう一度再検討したらよい。磐井にこだわらず、いったんこの事件を保留して、もう少し時間帯を自由に動かしてみたらどうか。六十年単位に動かしてみたらどうか。動かせば、何か引っかかるかところが見つかるかも知れません。大事な保留問題と考えています。

 質問四 質問と解答(略)

 質問五 (白村江の戦い以後)唐の軍隊が進駐した後など、その痕跡があるのではないか。雰囲気も含めてお気づきの点があれば教えてほしい。

 回答
 これをわたしが最初に感じたの土堤です。太宰府から有明海に向かって巨大な土堤が造られている。幅が五・六メートル、広いところはもっとある。高い土堤が造られている。それが何を意味するかは今のところわからない。結局潅漑のためとか、水害のそなえであるとか、いろいろの説があるがもう一つハッキリしない。それについて佐賀県教育委員会に電話すると幸いなことに徳富さんという方が出られた。この方は、この土手の問題について論文を書かれた専門の研究者だった。さっそく御自分の論文「肥前国三根郡の交通路と集落」(古代交通研究六号、一九九七年六月、徳富則久)と佐賀県教育委員会の資料を送って頂いた。堤土塁跡(県指定遺跡)となっている。この方はどうも軍事用のものではないかと書いておられる。それは納得できると、わたしは考えています。しかし、それは全体がつながっていない。太宰府近辺は、ちょんぎられているというか道路が途中で終わっている感じです。あれも唐の軍隊が来て、壊したと考えた一つの例です。
 もっとハッキリしているのは太宰府。あれが太宰府の遺跡だと現在展示してありますが、名前は朱雀門とか、紫宸殿とか、大裏とかの名前が点々と残っている。あれは今の太宰府には、ありうる名前ではない。天子の都にしかありえない名前です。きちんと残っています。それらの名前は残っていますが、太宰府遺跡としか扱っていない。しかし実は、あれは朱雀門遺跡、紫宸殿遺跡、大裏遺跡として扱わなければならない。それが破壊されて太宰府だけであるという形に残されているのではないか。今のところ、そのように考えています。
 そのように唐の軍隊が来て滅亡させた証拠というのは言い過ぎですが、痕跡とおぼしきところと考えています。神籠石もそうです。
 その他にも、これは古賀さんが詳しいですが、築後川流域でもかなり堤防や堀のようなものを造って壊された痕跡がある。また何の目的で作られたかわからない巨大な溜め池が、あちこちにある。従来は九州王朝という概念がないので意味不明なのです。しかしそれらを九州王朝という立場から、もう一度調べ直してみれば説明がつく。今のところ、そう考えています。

   日時・・・二〇〇四年一月十七日(土)
   場所・・・大阪市北区・北市民教養ルーム


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