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釈迦三尊 光背銘が 謎を解き
しゃかさんぞん こうはいめいが なぞをとき
法隆寺金堂に現存する釈迦三尊像は、大和朝廷における飛鳥文化を代表する最古級の仏像として、美術史上有名である。光背を負い、そこに銘文がある。「法興元三十一年・・・・仏師止利造」
通説では「聖徳太子が亡くなったので等身像を造った」とされている。古田武彦氏は「銘文では主人公は上宮法王、その夫人が王后となっており、聖徳「太子」とは合致せず、仏像は九州王朝の王者の像で移送されたとした。『古代は沈黙せず』『古代は輝いていたIII』
建築家米田良三氏は法隆寺も九州から移築された、としている。『法隆寺は移築された』
五重塔心柱の年輪年代測定から、この心柱は五九四年ごろ伐採されており、法隆寺再建まで百年以上は行方不明であったことになる。
●釈迦三尊の光背銘に、聖徳太子はいなかった(講演集より)
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制作 古田史学の会