戦後間もなく、青森県東北町千曳において「日本中央」と彫られた石碑が出土した。平安時代から「壷のいしぶみ」として歌にも詠まれ、その存在地があきらかになることを期待されてきたものである。ニセモノ説、多賀城碑のこととされるなど、真否については多くの論議があったものの、現在では「日本中央碑=壷碑」を疑う人はいない。東日流外三郡誌にはその図もある。「日本中央」と記されていたとの記述がある。
中国の文献は日本の範囲について東西三月行南北五月行と記す。カラフトから琉球まで含むとすればみちのくが日本中央でもおかしくない。
『真実の東北王朝』(駸々堂)ほとんど全文をインターネットに収録。