後漢の人王充の著書【論衡】に越裳(ベトナム地方の国)は白雉を、倭人は鬯草を周の成王に献じたとある。中国では殷から周への王朝交代があり、二代目の王が成王、摂政は叔父の周公であり、その政治は孔子が賛美したものであった。
戦乱がおさまり、周王朝が安定したとみた外国人が周王朝を訪問しはじめ、周王朝はよろこんだのである。
王充が都にいたころ、後漢光武帝が倭国に金印を与えており、ここに倭人とあるのは日本列島の倭人と考えてよい。鬯草(または暢草とも)は酒にひたす薬草らしい。
『邪馬一国への道標』(講談社)