神武紀では神武天皇は九州から瀬戸内海を経由して、大阪近辺で大和のナガスネヒコと戦い、敗れてから和歌山、新宮へとまわったと書いてある。
浪速の渡りから河内湾に入り、枚方【平潟】に宿泊し、日下(くさか)の楯津で激戦するが、現在に至るまで、記紀のこの箇所は意味不明であった。以前は河内湾の存在を知らなかったからである。現在では海から遠いが、貝塚などの研究から、古代(二〜三世紀)なら河内湾が枚方、日下まで入っていたことが証明されていて記述はリアルであり、七・八世紀の史官には思いも寄らぬことで、造作できることではない。
神武の河内湾侵入は史実と考えられる。
『日本古代新史』(新泉社)
●神武東侵