かって東大の井上光貞氏と、その師坂本太郎氏の間で「郡評論争」があった。書紀では大化改新の詔の時代から、行政単位は「郡」であるのに、木簡が示すところでは七○一(大宝元)年までは「評」である。どちらも「コホリ」と読む。論争は木簡の事実から、井上氏の「評」が事実であるとして決着した。しかし「何故か」は問われていない。
近畿の王朝が九州王朝・倭国を乗っとった結果、行政単位を評から郡に変えたのである。
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