雷山に 海鳴り届く 神の庵

らいざんに うみなりとどく かみのいお

雷山に 海鳴り届く 神の庵

  万葉集二三五歌¢大君は神にしませば天雲の雷の上に庵らせるかも£題詞とあわせて、この雷は奈良県飛鳥の雷丘とするのが通説であるが、ここはごく低い「土盛り」であって、全くこの歌にふさわしくない。また二四一歌「皇は神にしませば真木の立つ荒山中に海成可聞」海成可聞は「海を成すかも」と読まれてきたが、山中に海を作ることはできない。これは「海鳴りせすかも」である。
 雷(丘)を九州福岡・佐賀県境の標高九九五米の雷山と考えると、雲のかかる山であり、海鳴りの聞こえる山である。
 ニニギのミコトを祀る雷神社がある。頂上は天宮(あまのみや)と称され、斉明天皇二年条に登場し、海人族の祭祀場となっていた。これらは時間と空間を越えて、人麻呂の深い思いの込められた名歌である。

『古代史の十字路—万葉批判』(東洋書林後、ミネルヴァ書房)

大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも解説 講演記録


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