「王朝多元説」に代表される古田武彦氏の学説は、発表以来三十年を超えたが、今もって古代史学会からは無視され続けている。それなのに、例えば「縄文国家」という用語。この名称は、神話の分析、黒曜石や貝塚の分布、真脇の縄文巨大建物遺跡、倭人の周との交流検証から、古田武彦氏が提唱されたものである。
一九九四年に青森市・三内丸山遺跡が発見され、それまでの縄文時代の生活についてのイメージが一新され、そこには国家ともよぶべき社会構成の存在があきらかにされると、考古学者もマスコミもこぞって「縄文国家」の呼び名を氾濫させることとなった。
『九州王朝の論理』ー「日出ずる処の天子」の地(明石書店)