旧唐書には日本列島の旧知の倭国と新興の日本国が併記されている。七世紀末までは倭国の時代でありその倭国とは光武帝の金印授与の国、その後継王朝であるから、九州・筑紫の国である。これに対し八世紀以降は日本国の時代であり、その中心は近畿である。 中国の王朝が日本列島の代表者の認識をオールド倭国からニュー日本国へ転換した。「郡評論争」の示すところ、七○一年から行政単位の名称が評から郡に変化した。日本国の年号は七○一年大宝と建てられる。 『日本書紀を批判する』−記紀成立の真相−(新泉社)