に
二倍して 齢百じゃよ まだ、壮健
にばいして よわいひゃくじゃよ まだそうけん
『三国志』魏志倭人伝には、倭人が百歳、あるいは八十〜九十歳の長寿だとかかれている。またその注釈に引かれた『魏略』には、「倭人は正歳四節を知らず、但々春耕秋収を計って年紀とする」の記事がある。これは「一年に二回歳をとる、つまり二倍年暦があった」というのが古田説。そうすると当時の百才と云っても実は現在の五十歳だ。
『記・紀』の古代天皇の寿命に百歳を超える例が多いが、これなら説明できる。古代には、日本だけでなく、中国、インド、ギリシア、エジプトなどでも二倍年暦がつかわれていた形跡がある。これは古田史学の会の古賀達也氏が発表している。古田氏の二倍年暦説の延長上に得られた、驚くべき成果である。
『失われた九州王朝』(朝日文庫)
『「邪馬台国」はなかった』(朝日文庫)
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制作 古田史学の会