本居宣長『玉勝間』の九州年号

古田史学会報
200 4年10月12日 No.64


本居宣長『玉勝間』の九州年号

─「年代歴」細注の比較史料─

京都市 古賀達也

 本居宣長の『玉勝間』に九州年号の「教到」が記されていることを冨川ケイ子氏(注 1. )より教えていただいた。近畿天皇家一元史観の国学者本居宣長の著作中に、他書からの引用とは言え九州年号が記されていることは、宣長の思想・認識を探る上でも興味深い現象であるが、当該箇所は次の通りである。


東遊の起り

  同書(『體源抄』豊原統秋:古賀注)に丙辰記ニ云ク、人王廿八代安閑天皇ノ御宇、教到六年(丙辰歳)駿河ノ國宇戸ノ濱に、天人あまくだりて、哥舞し給ひければ、周瑜が腰たをやかにして、海岸の青柳に同じく、廻雪のたもとかろくあがりて、江浦の夕ヘの風にひるがへりけるを、或ル翁いさごをほりて、中にかくれゐて、見傳へたりと申せり、今の東遊(アズマアソビ)とて、公家にも諸社の行幸には、かならずこれを用ひらる、神明ことに御納受ある故也、其翁は、すなわち道守氏とて、今の世までも侍るとやいへり、
(岩波文庫『玉勝間』下、十一の巻。村岡典嗣校訂)

 東遊の起源として『體源抄』(注 2. )の記事を引用したものだが、この中に教到六年(丙辰、五三六)という九州年号が見える。通常、九州年号史料に現れる教到は五年までで、翌年(丙辰)は改元され、僧聴元年となる。従って、『體源抄』が引用した源史料は改元直前の正に教到六年に記された同時代九州王朝系史料の可能性が高い。後代に九州年号史料などを参考にして年号を付加しようとする場合、「教到六年」という表記を採用することは考えにくいからだ。もしそうするのであれば、「僧聴元年丙辰」となるであろう。

 『玉勝間』に引用された『體源抄』では、「丙辰記」という史料から引用したとするが、日本古典全集の『體源抄』(昭和八年刊)には、「記テ云ク、人王廿八代安閑天皇御宇教到六年丙辰歳」とされており、「丙辰記」という書名は見えない。念のため、日本古典全集『體源抄』の底本である東北大学本を確認したところ、日本古典全集と同じであった(注 3. )。また、江戸中期の写本である京都府立総合史料館本では、「記ニ云ク人王廿八代安閑天皇御宇教到六年丙辰歳」となっており、「丙辰」の二字がない。
 『玉勝間』引用本、東北大学本、京都府立総合史料館本それぞれに字句の異同があり、いずれが原形かにわかには結論を出せないが、今のところ『玉勝間』引用本の「丙辰記ニ云ク」が原形ではないかと考えている。なぜならば、『體源抄』が他書を引用する場合、「○○ニ云ク」と書名を明示するのが一般的であるからだ。「記テ云ク」や「記ニ云ク」というような書名を明示しないケースは極めて少ない。おそらく、東北大学本や京都府立総合史料館本の書写者が「丙辰記」という書名を不審として削除したのではあるまいか。しかしながら、後文にある「丙辰」の二字が書写時に紛れ込んだというケースも想定できるので、現時点では断定を避け、今後の課題としたい。

 このように、九州年号の「教到六年」における東遊起源説話とも言える九州王朝系史料の存在が明かとなったが、ここで注目されるのが『二中歴』年代歴に記された教到年号細注の「舞遊始」との関連である。これを九州王朝内での一般的な「舞遊」の始まりと理解するのでは、あまりにも遅すぎるため、意味不明の一文であった。ところが、『體源抄』の記事では「東遊」の起源説話として記されており、「舞遊始」を九州王朝に「東遊」がもたらされたとする理解が可能となったのである。
 『二中歴』年代歴の細注はいずれも短文であるため、正確な理解が困難であったり、意味不明の文もあった。しかしながら、先に「九州王朝の近江遷都」(古田史学会報 No.六一)にて発表した、朱鳥年号細注の「仟陌町収始又方始」が、『海東諸国紀』によって「定町段中人平歩両足相距為一歩方六十五歩為一段十段為一町」という面積単位の制定記事であったことが判明したように、今回、教到年号の「舞遊始」が「東遊」起源説話であったことが、またひとつ明かとなった。このように、国内史料を精査することにより、九州王朝系史料を発掘し、九州王朝史の復元が進むことを期待されるのである。

(注)
1. 古田史学の会々員。相模原市在住。

2. 豊原統秋の著作で、十三巻二二冊からなる音楽書。一五一五年(永正十二)成立。

3. 東北大学本調査にあたって、冨川ケイ子氏のご協力を得た。


 これは会報の公開です。史料批判はやがて発表される、『新・古代学』第八集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第八集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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