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古田史学会報
1997年 6月16日 No.20

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百済年号の発見

宮崎県南郷村神門神社の綾布墨書

京都市 古賀達也

 宮崎県南郷村は百済王亡命伝説を持つ村である。同村の神門(みかど)神社には百済王の遺品とされる銅鏡二四面を伝えており、こうした遺物を保管展示するため、南郷村では「西の正倉院」を建築した。正倉院図に基づいて寸分違わず再建された「西の正倉院」に展示する以前に、神門神社に伝わっていた衣服に隠されていた綾織りの布に墨で書かれた古文書が発見された。この綾布墨書は、二〇×二五ほどのサイズで、墨書きの字を内側にして衣のえりに縫いつけてあったものだ。綾織と呼ばれ奈良時代からあった織物で、糸の締り具合いから日本の織りとは異なるとのこと(奈良正倉院吉松技官による)。
 その墨書の内容は「記国號」の表題を持ち、十六行、百四十九文字からなる。前宮崎大学教授、福宿孝夫氏(比較文字学専攻)の読解によれば次のようである。

 記国號
白西王城百北三千国守
帝泉帝皇明雲廿六年(為)
福智帝皇白雲元年
上 六国守阿香  大将(霊)官
  四国守(居)戸 少淨(託)官
  二国守我久  勝官将一
大白部守秀(隅)  尸官将九
中 二国守白(亦)大名 尸官二
  六国月(尸)淨山  守官六
  二国部卜尸 川正尸官大
  三国天官宝王   守護
下 三部大国皇城吉巡月尸尸一
  五国少元皇外(霊)守 下官
  三国今帝王内比丘尸一
  匹部守守来結体作人見

※()内は福宿氏による推定文字。

 読みや解釈は難しく、今後の課題としたいが、いくつかの注目すべき点がある。一つは「明雲廿六年」「白雲元年」という年号である。文脈から改元を意味していることから、年号であることは間違い無い。同村に伝わる百済王伝説からすれば百済年号である可能性が高い。高句麗広太王碑の「永楽」や、『三国史記』に見える新羅の年号は著名だったが、百済にも年号が存在したとなれば、その意味するところ深刻である。南郷村から同書の解読を依頼された奈良文化財研究所からは返答が無いらしいが、このことも事態の深刻さを現している。それは何か。朝鮮半島三国に年号が存在し、同時期の近畿天皇家には周知の事実として年号が無い。この矛盾である(近畿天皇家の建元は七〇一年、大宝)。
 百済の王子が倭国へ人質として来ていたことは史書に見えるが、人質を差しだした百済に年号があり、人質をとった倭国に年号が無い、という一元史観の解き難い矛盾に通説派は困っているのである。しかも、この墨書には年号の発布者が「帝皇」を自称していることまでが記されている。年号を持ち、帝皇を名乗る百済王と、年号も持たず天皇の称号にあまんじている近畿天皇家。先の人質問題を考えると、何ともアンバランスではないか。もはや多言は要すまい。六世紀から七世紀にかけて年号を持っていた朝鮮半島の国々と対等以上の大国であった倭国は、近畿天皇家にあらず。九州王朝こそ倭国=日本列島の代表者であり、九州年号を発布していた天子(『隋書』イ妥*国伝)の王朝なのである。南郷村より発見された一片の綾布墨書は九州年号と九州王朝の実在を、その論理の必然として指し示す。一元通念にとって深刻な事態とはこのことなのである。
 南郷村神門神社付近からは「大王」の銘を持つ黄銅製の鈴も出土しており、多数の銅鏡の存在といい、只ならぬ地域ではある。同地に伝わる百済王伝承や神門神社に伝わる師走まつり(この地に別れ別れで漂着した百済王親子が年に一度再会するという祭。九〇キロ離れた木城町比木神社と合同で行う。旧暦十二月十八日から二十日にかけて行われるが、昔は十日間かけて行われていたらしい)も多元史観により再検討が必要である。この綾布墨書の内容については、別に詳述する機会を得たい。

<参考文献>
福宿孝夫著『日韓の旧好』鉱脈社刊。
鉱脈社 〒番号880 宮崎市田代町二六三
<南郷村>
TEL0985ー25ー1758
南郷村観光協会 TEL0982ー59ー1111
宮崎県東臼杵郡南郷村大字神門二八七
西の正倉院  TEL0982ー59ー0100
※同村への交通手段
日向市から西へ三八キロ。国道388号線を小丸川に沿って車で約五〇分。宮崎市からは車で約二時間半。


インターネット事務局注記(2001.5.1)
1. イ妥*国 タイ国の、タイは[イ妥*]です。人偏に 妥 です。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集~第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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