ことに特(ひとり)の古田武彦

古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編1 親鸞--人と思想
            親鸞・思想史研究編  親鸞思想
            親鸞・思想史研究編3 わたしひとりの親鸞

『神の運命 -- 歴史の導くところへ』 古田武彦

人間の認識 古田武彦(古田史学論集  『古代に真実を求めて』 第三集 一九九六年 明石書店)

寛政原本と学問の方法2 -- 越後の親鸞 古田武彦 (『古代に真実を求めて』 (明石書店)第十一集)
真宗研究52号 「親鸞思想と日本海」 古田武彦

本ファイルは上記の資料のみに基づいて、生成AI「NotebookLM」で作成し出力いたしました。


2026.02.21

古田武彦の親鸞論

史料批判による「人間・親鸞」の復元

古田武彦氏の親鸞研究は、後代の教団によって理想化された伝記(『御伝鈔』など)や伝統的な宗学的解釈を厳しく排し、「親鸞自身の自筆書簡」と「同時代の証言(特に妻・恵信尼の文書)」のみを第一級史料として採用するという、徹底した史料批判に基づいています。古田氏は、装飾された「聖人」の仮面を剥ぎ取り、血の通った一人の人間としての親鸞を復元しようと試みました。本稿では、その主要な論点を解説します。

1. 「六角堂の夢告」と性愛の肯定

古田氏は、若き日の親鸞が比叡山を下りた決定的な動機を、抽象的な仏教的求道心ではなく、具体的かつ肉体的な「性愛(女犯)の問題」に見出しました。これは親鸞思想の出発点として極めて重要な位置を占めます。

女犯の偈文(三夢記): 親鸞が比叡山を下りる直前に六角堂で得た救世菩薩の夢告(「行者宿報設女犯…」)を、古田氏は「行者が宿報によって女性と交わることがあっても、私が玉女(美しい女性)となって犯されよう」という、公然たる性愛(女犯)と肉食の肯定宣言であると解読しました。これは単なる個人の悩みへの回答ではなく、末法の世における新しい仏道の在り方、すなわち「僧でありながら妻帯し生活する」という革命的な生き方の提示(「生涯荘厳」)でした。

恵信尼との「共犯関係」: この夢告は、妻・恵信尼と生涯を共にすることへの強烈な宣言でもありました。古田氏は、恵信尼が夫の死後、この生々しい夢告の内容を娘(覚信尼)に書き送った事実に注目し、「ここにあなたの父の人柄がある」と伝えた点に深い意味を見出しました。恵信尼は単なる従順な妻ではなく、親鸞の比叡山脱出の真意を共有し、非僧非俗の生活を支え続けた、新仏教運動における不可欠な「共犯者」であり同志だったのです。

 

2. 『教行信証』の成立と「承元の奏状」

主著『教行信証』について、古田氏は単なる宗教的教義の体系書としてではなく、不当な弾圧を行った国家権力に対する、魂をかけた「抗議の書」として読み解きました。

生きている住蓮・安楽の書: 承元の法難で処刑された兄弟子、住蓮と安楽。親鸞は生き残った自分を「死に損ないの住蓮・安楽」と規定しました。彼らの処刑がいかに不当な冤罪であったか、そして専修念仏こそが真実であることを証明するために、親鸞は生涯をかけてこの書を執筆・改訂し続けたとされます。

後序の告発と「承元の奏状」: 『教行信証』後序にある「主上臣下、法に背き義に違し…」という激越な文章は、後鳥羽上皇や土御門天皇ら当時の最高権力者を直接的に弾劾するものです。古田氏は、この部分が流罪中に朝廷へ提出した幻の「承元の奏状(抗議文)」の一部であり、それが後に『教行信証』に組み込まれたものであると論証しました。親鸞にとって念仏弾圧は過去の出来事ではなく、生涯許すことのできない「法と義に背く行為」であり、九十歳で死ぬまでその怒りは消えなかったのです。

 

3. 「親鸞一人がため」の真意

『歎異抄』後序にある有名な一節、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」についての古田氏の解釈は、独自かつ実存的です。

生存者の罪悪感と業の深さ: 多くの同志が殺され、あるいは転向していく中で、なぜ自分だけが生き残り、畳の上で死のうとしているのか。古田氏は、この言葉を単なる宗教的な謙譲や感謝ではなく、**「自分こそが最も罪深い悪人である」という痛切な自覚(業の深さ)**から発せられたものと捉えました。「それほどの業をもちける身にてありけるを」という言葉には、常人の想像を絶するような、底知れぬ自己凝視と孤独な魂の叫びが込められているのです。
特(ひとり): 『教行信証』の三願転入の告白や『歎異抄』に見られる「特(ひとり)」という表現に注目し、親鸞が常に集団や組織に寄りかからず、「個」として絶対的な孤独の中で真実に向き合っていたことを強調しています。これは現代の個人主義にも通じる、強靭な主体の確立を示しています。

 

4. 流罪のリアリティと地理的認識

古田氏は、親鸞の流罪の実態についても、当時の法制度や地理的条件に基づき、実証的な再検証を行いました。
越後か佐渡か: 『教行信証』後序に記された「遠流(おんる)」という記述と、当時の律令(『延喜式』等)における流罪規定(北陸道における遠流は佐渡のみ)との矛盾を突きました。従来の定説(越後流罪)に対し、当初は「佐渡」への遠流と認識されていた可能性や、権力側(近流としての越後)と親鸞側(遠流としての認識)での認識のズレについて、緻密な論証を展開しました。

犯罪者としての親鸞: 親鸞は高僧として優雅に配流されたのではなく、僧籍を剥奪され、「藤井善信」という俗名を与えられた「国家反逆の犯罪者」として扱われました。その泥にまみれた屈辱と、不当な権力への怒りこそが、彼の思想を鍛え上げる原動力となったことを指摘しています。

 

5. 史料批判の方法論(「削り取る」作業)

  古田氏の研究態度の根本は、後世に付着した虚飾を削ぎ落とし、裸の事実を直視することにあります。

『御伝鈔』の否定と史料批判: 本願寺三代覚如による『御伝鈔』を、教団維持と祖師崇拝のために美化されたプロパガンダであるとして、史実の認定には極めて慎重、あるいは否定的な立場をとります。伝承を鵜呑みにせず、矛盾を徹底的に突く姿勢は、古田史学の真骨頂と言えます。

恵信尼文書の重視: その代わりに、妻・恵信尼が娘に宛てた手紙(恵信尼文書)こそが、飾らない親鸞の素顔を伝える最高の第一史料であると位置づけました。そこには、病気に苦しみ、寒さに震え、経済的な困窮の中で家族を案じる、等身大の「生活者・親鸞」の姿が記録されています。

 

結論:古田武彦が描いた親鸞像

  古田武彦氏が描く親鸞は、祭壇の上に安置された静的な「聖人」ではありません。それは、愛欲に悩み、権力への怒りに震え、先に死んだ同志への深い負い目を背負いながら、「真実」だけを求めて泥土の中を歩き続けた、極めて強靭な意志を持つ「人間・親鸞」です。
"深い真実を語れ。そのとき人間に、恐れるものは何物もない" (『わたしひとりの親鸞』より)
 古田氏にとって親鸞とは、宗教的崇拝の対象ではなく、時代を超えて「人間はいかに生きるべきか」「国家や権力とどう対峙すべきか」を問いかけてくる、魂の同時代人でした。


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