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明治体制における信教の自由 古田武彦

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古田史学論集  『古代に真実を求めて』 第一集 一九九六年 (再刊 一九九九年)明石書店

●特別掲載

人間の認識

古田武彦

ー死んだ兵士の残したものは、こわれた銃とゆがんだ地球ー
(谷川俊太郎詞 石川セリ歌)

 二十一世紀に向かう、人間の使命。それは次の三つの課題への挑戦である。
 第一は、宗教。宗教は人間世界の中で生まれた。何のために。無論人間のために、だ。人間が幸せに、そして素晴らしく生きるために、その為に宗教は生み出されたのである。
 しかるに、宗教は“うぬぼれ”た。「人間を殺す」こと、その命令を下すことを、自己の権利であるかのごとく「妄信」し、唱えはじめた。人間は、その教えに、“酔っぱら”い、宗教という名の「絶対権威」を免罪符として、「人間を殺す」ことを恐れない。そういう姿が、地球の上に現れた。
 わたしたちは、歴史をふりかえるとき、「宗教戦争」という名の人間殺戮が、累々たる屍を築いてきた。その史実を見る。疑うべくもない、宗教の「越権」である。
 一九九五年の日本列島を震撼させた、某宗教教団にまつわる事件、それも人類の歴史の上に築かれた「人間の屍群」の荒野に立ってみれば、むしろ“微々たるもの”であったかも知れぬ。
 しかし、今、わたしたちは告げねばならぬ。「宗教が人間を生んだのではない。人間が宗教を生んだのである。それなのに、宗教は“人間を殺させる”権限があるかのように、うぬぼれるな。」と

 第二は科学。科学のいちじるしい発達は「科学に対する迷信」を生んだ。科学の「名」においておこなわれたことに対し、“酔っぱらった”精神だ。“宗教は信じぬが、科学は信ずる”群れは、地球上の「知的エリート層」に少なくない。一般の庶民にも浸透しつつある。
 しかし、当然ながら、科学の「是非」は、その「使われ方」による。たとえば、ナチス。「ガス室」という名の科学装置によって、大量の「人間殺戮」をおこなった。ナチスはもとキリスト教的労働者政党として出発した(オーストリア)。
 「非キリスト教」として、ヨーロッパ世界に残存していた「ユダヤ教徒」と「無神論者」などを抹殺しようとした。そのために、当時の「最新の科学装置」を使ったのだ。
 科学はみにくい。みにくい使われ方をすれば、これほどみにくいものはない。それは一個の包丁に似ている。一方では、無上の料理を造り出し、他方では殺人の道具となる。
 科学者は自分の手の包丁には、「絶対の戒め」のあることを忘れてはならぬ。「科学は当然ながら人間が造ったものであり、科学が人間を造ったのではない。」この当然の道理の下にあるとき、科学は美しい。無上に美しい。

 第三は国家。わたしたちは日常国家の“おかげ”をこうむっている。生活全般、文化・教育、全て国家の“おかげ”だ。疑いようもない。そのため、「迷信」が生まれた。「国家、至上主義」の迷信である。
 国家には“人間を殺させる”至上の権利がある。ーこれが近代国家をつらぬく「根本信条」となった。
 しかし、ここでもやはり、わたしたちは言わねばならぬ。「国家は、人間の造作物、人間の作った制度にすぎぬ。決して国家が人間を造ったのではない。」と。要するに、国家もまた人間の造った「道具の一つ」なのである。
 けれども国家は「凶器」だ。恐るべき魔薬だ。その証拠に、ナチスがあれほどの猛威をふるいえたのは、「国家」を得たからだ。「キリスト教過激派」と「科学」と「国家」、この三点セットの威力だったのである。これに対し、一九九五年の日本の場合、「国家」獲得以前に、“崩壊”したため、被害が“あの程度”にすんだのだ。
 勿論、あの中の犠牲者の一人、たとえば中部地方の山間に埋められたという、幼児一人のことを思っても、とめどなく心中に涙があふれ、とどまることはない。
 ないけれど、やはり言わねばならぬ。「国家」とのセッティング以前だったから、“あの程度”ですんだ。将来、この三点セットが成功すれば、数万の幼児が土中に埋められることであろう。二度あったことは三度ある。ナチス時代より、一九九五年より、未来のある日の「科学の殺人能力」は格段に上昇していることであろうから。ナチスは「ガス室」を必要とした。一九九五年は、開かれた住宅地や地下鉄という室外だった。そして未来の“ある日”は。慄然とせざるをえない。
 国家は、すばらしい人間の道具、人間の制度だ。だからこそ、無上の凶器なのだ。そうなりうるのだ。ナチスは「多数決」の成果に立って、その凶器をにぎったのである。そうだ。民主主義の制度が皮肉にも「独裁」を生んだのだ。
 二十一世紀に向かって、わたしたちは、「国家」の越権に対して、断呼として「ノン(否)」を告げねばならぬ。告げつづけねばならぬ。なぜなら、三点セットの一つ、「科学の発達」は日進月歩、一刻もとどまることがない。人間の力がそれを上まわらねばならぬ。それが必須だ。
 「宗教」と「科学」と「国家」と、三つの越権と“うぬぼれ”に挑戦する、これが二十一世紀に向かう、人間の課題である。

 「国家」の越権は、「国民の洗脳」にはじまる。その中心は「歴史教育」だ。
 自分(「国家」)好みの歴史を「正しい教育」として“仕立て”上げ、「学校教育」の根底におく。そして“自分好み”の「ロボット国民」を造り上げる。
 各近代国家は、皆、この道を歩んできた。わが国の場合、その一が、敗戦前の「皇国史観」であり、その二が、敗戦後の「天皇家中心の一元史観」だった。
 このような「国家教育」の特徴は、その流れの中にいる「ロボット国民」の大部分には、それを“気づく”ことができぬこと。この一点に尽きる。
 いかなる商業的コマーシャルも、この「国家コマーシャル」に比すれば、大人と児戯の差だ。もちろん商業的コマーシャルの方が、「児戯」だ。第一商業的コマーシャルは、万人の目に「コマーシャル」として映っている。テレビでも、新聞でも、パンフレットでも。
 しかし、近代国家の行う「国家教育」それ自体が一大コマーシャルの大系であること。この明白な事実に、人々は気づくことがない。だからこそ、このコマーシャルの「浸透度」は絶大なのである。

 一例をあげよう。たとえば、いわゆる「邪馬台国」。倭人伝を見れば、中国の天子をから倭国(女王卑弥呼)へ送られたものの至高物、それが「絹」であることは明白だ。他(金や銅鏡など)が一括して「目方」でしめされているのに対し、「絹」はあくまでも具体的に、詳細に特記されている。
 その「絹」の弥生期の分布(最古の有田から最新の唐の原まで)が、博多湾岸中心であることは、明白だ。(『日本古代新史』新泉社、『「邪馬台国」はなかった』朝日文庫、増補版等参照)
 これを原文通り「邪馬壱国」と呼ぼうが、改訂名称で「邪馬台国」と呼ぼうが、その地理的位置はすでに明白である。
 それなのに、なぜ、この一点に一顧もせず、あたかも「邪馬台国の位置は判らない」かのように、国家(調査官O・K)の教科書が“ふるまう”のは、なぜか。
 もちろん明治以降、一貫してきた「天皇家中心の一元史観」(皇国史観も含む)と“合わない”からだ。国家の、国家による、国家のための「洗脳」という、規制に合致しないから。この一点以外にない。


 もちろん、次のような見解もあろう。
 「すでに邪馬台国の筑後山門説については、一方の雄として記述している。その戦後教科書が、博多湾岸説を認めないからと言って、『一元史観』云々は、主観的だ。」と。
 しかし、このことが「邪馬壱国、博多湾岸説」に終わらぬこと、先刻、わたしの読者には御承知の通りだ。『日本書紀を批判する』(新泉社刊)でのべた通り、「七世紀までの倭国は九州(筑紫)を中心としていた。」という旧唐書(倭国伝・日本国伝)の叙述は、「評制と郡制の転換点が、七世紀末にある。」という、木簡の示す出土事実と一致している。これを“偶然の一致”視するとき、すでに歴史学は「史学」、へと変貌している。そう言う他はないのだ。すなわち、明治以降の「洗脳教育」は、論理上、完全に破綻している。
 かって教育が「キリストの神の宇宙支配」の正統性を証明するために、作製し、流布した「教会暦」はついに地動説の前に敗退した。壊滅し去った。
 同じく、「天皇歴」は、すでに歴史的事実と、「時の運行」に合致していない。そのことはすでに明らかになったのである。
 しかし、ガリレオを迫害したように、「天皇歴」の一派は、わたしたちに「無視」や「迫害」や「中傷」の嵐を“吹きつづけ”させ、消滅させようとして、無駄な努力を行っている。
 しかし地動説に立つとき、宇宙の運行が一つ、一つ鮮明に見えてきたように、「天皇歴」を静かに机のわきにおいたとき、わたしたちの祖先の真実(リアル)な足跡が明瞭に、疑いようもなく見えはじめたのである。
 それこそ何よりも、「国家洗脳」に別れを告げ、「二度あったことを、三度あらしめない」ため、人間の、人間による、人間らしい理性の認識の出発点であろう。
(一九九五・十二・三十一)


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制作 古田史学の会
著作  古田武彦