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巻頭言

二〇一五年、慟哭の十月

古田史学の会代表 古賀達也

 二〇一五年十月は、慟哭の月となりました。十月十四日に生涯の恩師古田武彦先生が亡くなられたのです。享年八九歳、先生が敬愛した親鸞と奇しくも同年齢です。
 わたしが古田先生の門を叩いたのは三一歳のときでした。そのとき先生は還暦を迎えられ、支持者やフアンによるささやかなお祝いをしました。わたしが初めて先生にお会いしたときの思い出です。そして昨年、わたしはそのときの先生と同じ年齢、還暦を迎えました。また、一九九四年の「古田史学の会」設立以来、代表をされてきた水野孝夫さんの後を継いで、「古田史学の会」の代表となりました。そして代表としての最初の犬仕事が、こともあろうに古田先生の追悼会となってしまいました。
 先生のご逝去を翌十五目の早朝、出張先の愛知県下呂市のホテルで知りました。ご子息の光河さんからいただいた先生ご逝去の報に、わたしは慟哭しました。この日がいずれそう遠くない日に来ることは、理屈ではわかっていても、やはり現実となると受け入れ難いものでした。一週間ほど茫然自失としていたわかしでしたが、「古田史学の会」内外の友人たちの励ましや支えにより、少しずつ「正気」を取り戻すことができました。恩師を失ったショックにより悪化した休調と時間との戦いが、その日から始まりました。
 まず二つのことをやりきらなければならない、それは古田先生の追悼会と『古代に真実を求めて』追悼号の発行であると思い決め、急ぎ上京し、東京古田会の藤沢徽会長と多元的古代研究会の安藤哲朗会長とご相談し、メインの追悼会を京都で行うことなどをとり決めました。次いで服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集長)に、予定していた『古代に真実を求めて』第十九集の「九州年号」特集を「古田先生追悼号」に変更することをお願いしました。
 観光シーズンであり年末も追るなか、適当な追悼会々場を京都で見つけることができず、紆余曲折の末、正木裕さん(古田史学の会・事務局長、大阪府立大学講師)のご尽力により、一月十七日に「古田史学の会」新年講演会を予定していた大阪府立犬学なんばサテライトにて、「古田武彦先生追悼講演会」を行うことにしました。
 そしてもうひとつの大仕事『古代に真実を求めて』第十九集「古田武彦先生追悼号」をようやくここに発行することができました。追悼号にふさわしく、各界の方々からいただいた胸を打つメッセージを掲載することができました。感謝に堪えません。
 また、古田先生が生前に「わたしにとって特別な論稿」といわれていた「村岡典訓諭 -- 時代に抗する学問」(先生から託された自筆原稿の一部を巻頭に掲載)を始め、古田先生の学問の方法や思想にかかわる記念碑的論稿を掲載しました。
 そして、古田先生にとって最後の対談となった、桂米團治さんとのラジオトーク番組「本日、米團治日和。」(KBS京都放送。二〇一五年八月二十七日収録、翌九月に三回に分けて放送)を掲載することができました(茂山憲史氏による要約)。この番組が、古田先生最後の公の場でのお話となりました。掲載を了解していただいた桂米團治さん並びにKBS京都放送の皆様に厚く御礼申し上げます。
 末筆となりましたが、わたしたち「古田史学の会」は古田先生のご遺志を自らの志として、学問と真実探求の道をこれからも真っ直ぐに歩んでまいります。先生のご冥福をお祈り申し上げ、誓いの言葉といたします。

        平成二八年(二〇一六)一月一日


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